ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

生老病死

2017年12月24日 | ノンジャンル
この世に生を受けた以上、生きて、老い、病を得て
死んでいくことは避けられない。

父親が癌で入院している。

若い頃から手術を繰り返し、最後は腎臓を片方
摘出するという大きなものだった。

その後は見違えるように頑健に暮らしてきたが、
さすがに身体自体の疲れが出たようだ。

状態的に放射線治療は不可で、抗癌剤となるが、
一度目の投与で死ぬほど苦しみ、その治療継続を
拒否している。

妹や弟達は治療を続けるように説得しているらしい。
病室で二人になると、最も長い時間を過ごしてきた
父子である。
何も言わずとも互いの心は通じるものがある。

苦しんでわずかな時間を延命しても、生きている
実感はない。

もう為すべきことは為したのだから、残された
時間を自身の思うまま、望むままに生きればよい。

親より先に逝くという最大の親不孝を免れた私は、
自身もまた、子供よりも先に逝く。

その自然で当たり前のように思えることが、
かけがえのない、特別なことなのだろう。

私は父に、長生きしてもらいたいのではなく、
自分らしく最後まで生きて欲しいのである。





最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (はる)
2018-01-02 20:35:20
よく言われることですが「○○さんが死んだ」「大事故で、テロでxx人が死んだ」それは全て他人の死。例え自死であってもその中身、つまり死それ自体を生きている1人称が知ることは出来ない。

この辺りがわからないまま、まあ色々仰ってる。私も多少、モータル・フレッシュであることを忘れた。昨年暮れの失態でした。さあ、出掛けよう、病院へ。

トホホであるがいたしかたない。
返信する
Unknown (jetlinks)
2018-01-02 21:07:49
死生は一体ですが、死は他者のものですね。
自身には生しかないという事です。

だからこその、自他共にという事でしょう。
健やかな一年であります様に。^^
返信する

post a comment