ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

身体の記憶

2011年05月31日 | ノンジャンル
ここのところどうも体調がおかしい。

短時間とはいえ、よく眠れているはずなのに、
朝は身体が強張って動けない。

頭も、眠剤を飲んだ時のように重く閉塞した感じで、
スッキリしない。

もうこのまま寝ていようかと、無気力な衝動が
時折よぎる。

手足を伸ばし、身体を伸ばして、ようやく
起き上がって、重い頭を上げると、少しずつ
気力が充実してくるが、自分でもわかるほど
どんよりとしたオーラに包まれている。

ふと気づくと、今日は5月の末日。
ああ、あの日の前日だったか。

頭ではもう、ひとつの節目ということで落ち着いて
いるはずだが、身体は如実に記憶しているらしい。

そういえば、昨年の今頃も最悪だった。

今年は出張で、クリニックへは行けないと思っていたが、
予定が延びてどうやら行けそうである。

今日から、ここから、私から。

明日という節目を迎え、確認も自覚も、覚悟も
新たにすれば、今のこのどんより感もスッキリできる
だろうと、何となくそんな気がしている。

また、私の新たな一年が始まる。




雑草

2011年05月27日 | ノンジャンル

雑草は強いから、どこにでも生えてくるのではない。

過酷な環境に耐え、踏みつけられ、刈られ、
引っこ抜かれてきた経験が、コンクリートやアスファルトの
割れ目からでさえ芽を出す生命力を育んできたのである。

人もまた、苦難によってこそ成長がある。

初めから強い人などいない。
乗り越えていくその苦闘の中に、強さというものが
育まれていく。

それは、他者をなぎ倒して、今の自分を高い位置と
することとは根本的に違う。
自らが一ミリでも、一歩でも前へ進もうとする
力なのである。

強ければ強いほど、他者に優しくなれるのである。

雑草という草はない。 それぞれにちゃんと名前がある。

どんな苦境にあっても、それぞれの芽をだし、
それぞれの花を咲かせていけばよい。

自分らしくというのは、そういうことなのである。






原点の日

2011年05月22日 | ノンジャンル
6月1日は私の原点の日である。

毎年、この日だけは必ずクリニックへ行き、処置室で
あの日のことを振り返る。

それがまた、新たな一年を過ごす上で、大きな力にも、
支えにもなってきた。

今年も、その日がもうすぐやってくる。
ところがどうやら、出張で、その日に通院どころか、
日本にいない公算が高くなってきた。

初めての事ではあるが、それはそれとして、改めて節目を
しっかりと心に刻みなおす気持ちに変わりはない。

もうあれから6年。

中学にあがったばかりだった娘は大学生。
小学生だった息子も高校生。

如何に生きるかを、これほど真剣に自身に問いかけた
年月はそれまでなかっただろうと思う。

そして、これからも、その問いかけがやむことはない。

その時に、最善と出る応えを、ともかくも具体化していく
他はない。 修正もやり直しも、具体的な行動によって
得られた結果を基にしなければ始まらない。

また私の新たな行動の一年が始まる。




貧者の一灯

2011年05月17日 | ノンジャンル
義援金の話である。

今回の震災に対し、世界各国から義援金や、
支援が寄せられている。

苦難を分かち合おうという国際社会の基本的な在り方は、
様々な国際間のしがらみや軋轢を越えて、誠に評価すべき
事と感じられる。

苦しむ人をそのままにしておけない。
その一個人の想いが、国家という大きな単位であっても
行動に移されるというのは、言わば理想である。

我々が思い描く平和理想に向けて行動するとき、
国家もその理想に向けて具体的に動くということではないか。

政府も各国に向けて謝辞広告を打ち出したが、
台湾に向けては、紙面掲載をしなかった。
中国との関係、台湾との国交関係上の措置であろうが、
ひとつ我々が認識しておかねばならないことがある。

台湾よりの義援金は、米国のそれを遥かに超え、
今では100億を超えている。

義援金の多寡を言っているのではなく、経済的に決して
豊かではない、わずか2300万人の人口の
自称独立国家が、大国を上回るほどの義援金を集めた
そのこと自体の意味を、我々は知るべきなのである。

その義援金の9割以上が民間から寄せられたものである。
もとより、義援金それ自体に価値の差はない。
いずれも日本人として心から感謝すべきことである。

だが、経済大国や、資産家による大きな義援金の
話題ばかりがニュースを賑わせている。
ともすれば、義援金の多寡で、その国なり、企業なり、
人なりの評価をしてしまうことになりかねない。

詳しくは述べないが、長者の万灯、貧者の一灯の話を
思い出した。

闇を払う灯りには何ら変わりはないが、その想いには
やはり違いがある。

まさしく身を削って、苦難に喘ぐ隣人の痛みを分かつ想いが、
台湾よりの義援金なのだと思う。
国家として認められていない彼らに対し、国家としての
謝辞広告を打ち出さなかったことについても、
「身内に礼状はいらない。」と、意にも介していないという。

過去の大きな震災の際に、日本が最も迅速な支援を
行ったことに対する恩返しと、台湾の誰もが言い切る。

日本と台湾の関係は深いものがあるが、それも世代交代に
よって変わってしまっただろうと考えていたが、
日本の美徳とされてきたものが、今も尚、台湾で
脈打っていることに反対に驚かされた。

イラン・イラク戦争の折の、トルコの人道的支援もまた、
日本より受けた遠い昔の恩返しであった。

この貧者の一灯の精神こそ、今回の震災を契機に
我々日本人が改めて取り戻さねばならないものでは
ないだろうか。

受けた恩は、身を持って返していく。
それは、共々に分かち合うということである。

そしてたとえ身を削って与えたとしても、そこになんら
見返りを望む心はない。

そういう人としての崇高な精神を、改めて思い出させて
頂いた気がする。

堂々たる国家である、台湾国民の皆様に、謹んで
お礼を申し上げたいと思うのである。




17歳

2011年05月16日 | ノンジャンル
今日は息子の誕生日である。

高校2年生、17歳の初夏。

懐かしいあの時代に戻りたいとは思うが、後悔はない。
ちょうど自分なりに進みたい方向が見えてきて、
そのためにと頑張り切った思い出がある。

かけがえのない大切な時期である。
ひとつでいいから、これだけはやり切ったと心に刻むものが
あって欲しいと願うのも、親ごころである。

まだまだ、青い春の時代。
だからこそ、無限の可能性に満ちている。

自分らしい、自分だけの大輪を開かせるための
大切な時期である。
悔いのない日々を過ごしてほしい。

年を取り、自分の可能性に限りを知らず知らずつけて
しまっていることに気づかされる。

自分を諦めないとは、自分の可能性をいくつになっても
信じることである。

春の新芽を見るたびに、それを自身の芽と見るか、
自分の外にそれを見るかで、その人の輝きは変わってくる。

いかほどの年を取ろうと、いよいよ、これからなのである。

カミサンが用意したプレゼントは、チュッパチャップスツリー。
昔、駄菓子屋などにおいてあるお菓子を、箱ごと買いたいと
思ったことは誰にでも経験があるだろう。

カミサンも、叶えられなかった夢を、息子へのプレゼントで
叶えているのかもしれない。
素直に喜んでいる息子を見れば、子供と大人の境にいることを
改めて感じる。

いや、男というものはいくつになっても、
そういうものなのかもしれない。

むしろ、それが大切なのであろうとも思うのである。