ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

早春

2013年03月29日 | ノンジャンル
今年も春がめぐってきた。

冬の寒さに固まっていた身体が、風と水の温みに
緩んできて、却ってあちらこちらと痛みが出てきた。

春の嬉しい痛みというところか。

一年の始まりは、正月よりもむしろ春の方が実感される。
同時に、不安定になりやすい時期でもあって、
また今年一年を乗り切っていく上での不安や
焦りがつのる。

いい意味で開き直ればいいのだが、
なかなかそうもいかない。

生きていく限りは仕方のない事だが、ともかくも
あまり前を見すぎることなく、かといって後ろに
囚われることもなく、目の前の一日一日をしっかり
生きていくほかはない。

辛いことも、嬉しいことも、苦しいことも、
楽しいことも、一つ一つ、それぞれ、その時その時
なのである。

過去を見て今を嘆くより、未来への不安で今を疑うより、
今を最善にしようとする生き方を重ねていくしかない。

また、あらたな出発に向けて、自身の原点を
確認しておくべきであろう。

ということで、今日はクリニックに行ってこようと思う。






薫風

2013年03月18日 | ノンジャンル
水が温み、風が温み、今日は温かい雨となった。

寒暖の差は激しいものの、段々と春が近づいているのを
肌で感じられるようになってきた。

桜の咲く頃にはまた冷える日もあるだろうが、
また春がやってくる。

泣いても笑っても、悩んでも喜んでも、季節はただ
めぐっていく。

風薫る季節に、穏やかな心で会いに行きたいものだ。

今はただ、静かに冥福を祈りたいと思うのである。






過去世

2013年03月12日 | ノンジャンル
カミさんが、誕生日占いとやらの本を買ってきて、
しきりと感心している。

書かれている内容を聞くと、なるほど傾向としては
良くあてはまるように思う。

その中で、過去世の話も載っていた。

カミさん:ツァリーナ(女帝)
私   :修道士

この話には笑ってしまった。

わがままで、横暴の限りを尽くしていた女帝。
その横暴さに振り回され、嘆き、憤る人々をなだめ、
穏やかで平和な世にしようと奮闘する修道士。

時には、命を顧みず、その横暴さを厳しく諌めることも
あったという。

やれやれ、過去世から今に至るまで、何も変わって
いないということか。
カミサンとぶつかるのも、そういう経緯かと
納得していると、隣では不服そうなカミさんの顔。

我が家に君臨する女帝と、その僕(しもべ)たち。
時に僕たちをなだめ、女帝を諌める私の役割は、
過去世からのものらしい。

納得するとともに、やれやれと、苦笑するしか
ないのである。



あの日

2013年03月11日 | ノンジャンル
あの日、午後3時を過ぎて、ひと段落の時だったかと思う。

初めは、自分の頭の中が揺れているのかと思った。
ヤバイ、脳に来たかと一瞬焦ったが、やがてブラインドが
揺れていることに気づき、地震だと分かった。

すぐに止むだろうと思っていたら段々と揺れが大きくなる。
しかも、ずいぶんと長い時間、大小の揺れを繰り返していた。

一時は、阪神淡路を思い出し、ビルが倒れるかもしれないと
思ったほどだった。

東北で大規模な地震というニュースを見ても、カメラの
映像ではさほど大きな被害が出ているようには見えなかった。

東京の本社に連絡を取って、無事を確認したが、出張で
外に出ている者の安否はわからない。

その後、津波が押し寄せてくる映像を見たときは、
信じられない思いだった。
不謹慎だが、ニューヨークのWTCにハイジャック機が
突入した時のような、映画でも観ているような
感覚だった。
とても日本で現実に起こっていることとは
理解できなかった。

その日は仕事が終わった後、予定があったので
一旦外へ出たが、状況が状況だけに、その予定を
キャンセルして、職場に戻った。

被災地では交通は全くマヒしてしまい、東京も帰宅さえ
できない状況だった。

事務所では電話が鳴り、西日本に出張してきていた
取引先の人や、同じ社の出張に出ていた者など、身動きの
取れない人々からの連絡がひっきりなしとなった。

緊急事態の中、どのホテルも満室だったが、なんとか
ひとつひとつ部屋を確保して、帰ることができない人達に
斡旋し、やっと落ち着いた時には自分がタクシーで帰らねば
ならなくなっていた。

あれから2年。被災地では、まだ何も変わってはいない。
だが、変えていこうとする意志があちこちで芽が出るように
具体的になっていることは嬉しい限りである。

命拾いをした友人。亡くなってしまった知人。
いまだ行方不明の多くの人々。

それは、今なお、あの日ではなく、この日なのである。

せめて今宵は、静かに祈りを捧げたいと思う。



門出

2013年03月07日 | ノンジャンル
春の陽気に、しばし仕事の喧騒を忘れる。

今日は息子の高校の卒業式。

行ってやろうかとも思ったが、カミさんに行くように
言っておいたので、やめておくことにした。

父親が寄り添うときは、子供たちが困難を
乗り越えようとするとき。
お祝いは、母親が似つかわしい。

この春より大学生。
もはや大人として、子離れ、親離れの門出である。

親ばかを承知で言うが、二人とも人として素直に
育ってくれた。何より健やかであることに
心から感謝している。

飲んだくれていた父親である。
少々曲がってしまっても仕方がないはずだった。
やはり母親の力は絶大である。

季節はめぐり、また桜の開花が近付いている。
散る花に感傷的になるのも年を取ったせいか。

若者がまぶしく見えるのは、自分が輝きを失った
せいだろう。
これからは、対等の人と人として、互いに輝いて
いけるようになれたらいい。

いや、むしろ輝きを失うことを年のせいにしては
いけない。
彼にしろ、自身にしろ、今の自分に挑むことを
やめてしまえば、失うばかりなのである。

生きている限り、自身の輝きを見せていきたいと
思うのである。