ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

出張

2007年09月30日 | ノンジャンル
ドイツのお客様を迎え、名古屋、東京、栃木へと出張で廻り、
土曜日に帰阪した。

帰りは、直接病院へ行き、点滴を受けて帰宅した。ろくに寝る
暇も無いほど過密なスケジュールだったので、かなり疲れが
溜まっていたのだろう。とにかくも、薬を飲んで、半日以上
寝込んでしまった。

ともかくも、連夜の接待というのは疲れる。いや、単にお客様と
だけなら、長年の付き合いでもあるし、互いに気心も知れて
いるので、大した事は無いのだが、そこに他の方々が混じって、
宴会騒ぎとなった場合、非常に疲れる。

日本式のお酒の場は、無礼講となり、バカ騒ぎとなってしまう。
素面でバカになれない自身が、その中で共に過ごす事は、雰囲気を
盛り上げる演技をしている事に他ならない。

一日の仕事で疲れている身にとって、その場は負担とはなっても、
決して他の人と同じように発散の場とはなり得ない。
こういう時こそ、飲めたらなあとは、何度も思ったが、飲む気は
さらさら無かった。

ただ、自分もそういう時代があったのであるから、理解は出来るし、
騒いでいる人達の気持も良く分かる。
だからこそ、分かるだけで、自分はというと、分かってもらえない
状況が虚しく、かといって、一人醒めているわけにもいかず、
演技をし続ける辛い時間でもあるのだ。

なかなか、仕事とは割り切っていても、連日連夜となると、
虚しさがつのる。なるべくなら、あまり過密なスケジュールは
やめて、少しインターバルをおいた方が精神衛生上は
良いようである。

馴染みの店に行って、歌をうたったり、話しをしたりというのは、
飲まずともそれなりに楽しいものであるが、接待というのは、
もろに仕事の延長であり、今回のように連日深夜までというのは、
さすがに堪えたようだ。

それでも、帰ってから半日ゆっくり眠ると、徐々に気力も体力も
回復してきて、次の戦闘モードに入っていけるから不思議なものだ。
実際に、飲んでいた頃は、かなり疲れを引きずっていたように
思えるが、月曜日の朝には、すっかり虚ろな気分も吹き飛んでいた。

様々な意味で、善きにつけ、悪しきにつけ、今までとは違った感慨を
持った出張と接待であったが、これもひとつの回復の道程であろう
とも思える。


筋肉痛

2007年09月24日 | ノンジャンル
顔の話である。

私の場合、どうも第一印象が悪いらしい。
暗い、堅い、怖そう。。。と、まるで、良い印象が無い。

皆、声を揃えて仰るには、話しをすると、まるで違う印象で、
面白いのだが、そこに至るまでが近寄り難いとの事。

男たるもの、へらへらと、にやついた締りの無い顔をする
ものではなく、きりっと、苦味があるくらいが良いと常々思って
いるもので、普段はどちらかと言えば仏頂面で、その点でいえば
損な顔である。

ただ、仕事となるとそうも行かないので、取引先、客先との会議
などでは、基本的に笑顔を絶やさない。
とはいえ、営業スマイルである以上、普段使わない顔の筋肉を酷使
するようで、顔の両側が筋肉痛となって、引きつる事がある。

常日頃から、笑顔でいる人にとっては、経験する事が無いであろう
筋肉痛である。

ところが、家族で談笑している時は、大笑いする事も多いのだが、
この筋肉痛になった事が無い。

やはり、笑顔を作るというのは、どこかに無理があるようである。
それでも、家で自然に笑う事が多くなってきたからだろうが、
最近では、この営業スマイルによる筋肉痛が和らいできた様だ。

普段の仏頂面は変わらないが、笑顔でいる時間が確実に長くなって
きているのであろう。
一人であれば、そういう変化も無かったに違いない。
家族とは、互いが、互いを、笑顔にさせるものらしい。

人と接している時は、自然な笑顔でいたいものである。
後にやってくる、顔のツッパリや、筋肉痛は、無理の証である。
それが無くなっていった時、私の第一印象も、変わって
くるであろう。



彼岸の悪夢

2007年09月23日 | ノンジャンル
夜明けに、息子と仕掛けた網を確認しに川へ出掛けた。
残念ながら、ぼうずで、今度はもう少し河口に仕掛けようかと
話しをしながら帰って来た。

少し横になってと思っていたら、いつのまにかまた寝入って
しまった。

久し振りに友達と飲んでいる。どうやら仕事帰りのような
雰囲気だ。飲み始めではなく、いきなり、かなり飲んだ後の
状態から夢が始まった。

そろそろ帰るという段になって、駅で電車を待っている時に、
ようやく、かなり飲んでしまった事に気がつき、愕然とした。
なんで、飲んだのか、そういう状態のまま飲み続けていたのかも
記憶が無い。

飲んでしまったというには程遠いほど、酩酊している。
悔恨の思いがつのると共に、身体が思うように動かなくなった。
小刻みに全体が震えながら、線路の方へと勝手に身体が
動き始める。それを元へ戻そうとするのだが、まるで
その意志とは関係なく、身体がうごめいて行く。

自分の意志とは関係なく勝手に動いている自分の身体。
なんとも言えない恐怖が走る。
あの時と同じだ。離脱症状。。。また繰り返してしまった。しかも
症状は悪化している。なにより、酩酊の仕方が尋常ではない。
これほどお酒に弱くなってしまっていたのか。
ぐるぐると頭の中を様々な思考が駆け巡る。

気付くとカバンを持っていない。慌てて探すが、他人の小銭入れを
拾って、駅員に届けると、落とした人がちょうど来ていた。
お礼の言葉を聞くこともせず、また探しに行く。
また他人のカバンを拾う。中身を確認すると、入っているものは
自分の物と殆ど同じ様なのだが、一つ一つ違う。

一体、なんで飲んだのか、なんでこんなに酩酊してしまって
いるのか、カバンをどこに置き忘れたのか、何もかもが分からなく
なって、叫びたい衝動に駆られた時、目が覚めた。

本当に夢で良かったと、久し振りに思った。
目が覚めて、ほっと胸をなでおろすような、強烈な夢であった。

お昼から、お彼岸の法要であったが、祈りを捧げている時には、
なんだか感極まって、涙が滲んだ。

お酒を飲まない日々を送る事が、それ自体、幸せであって、
その事に慣れてしまわないで、しっかりとかみ締めるために、
見させてくれた夢であったかもしれない。

此岸より、彼岸へと続く道は、やはり困難が多く、険しいもので
あるのかもしれない。

何はともあれ、穏やかなお彼岸の一日となりそうである。




有言実行

2007年09月22日 | ノンジャンル
「もう飲めへんて言うてるやろ!」

病院へついた途端、初診であろう患者と、その母親、ワーカーさん
とが、なにやら揉めている。

患者は診察を待っていられない用事があるようで、母親は、早速
家族ミーティングに参加している最中のようであった。

こういったケースも含め、昔ほどでは無いにしろ、たまに急患で、
診察中に、2回も救急車が来る事もある。

たかが2-3時間の待合いの間にも、様々なドラマがある。

久し振りに見掛けたひとは、スリップして、また今日から
やり直しという事であった。
私と話していたわけではなかったが、スリップに至ったまでの
経緯を事細かく、しつこく話されていた。
私には、弁解、言い訳としか聞こえなかったが、一体誰に向かって
弁解をしているのかと不思議に思っていた。

それ以上に、今度は、口先でいくら断酒と言ったところで、
飲む人は飲むというような事まで言い出した。

思わず、「自分のことかよ」と口に出かかったが、なんとか抑えた。

「不言実行」ということが、一つの美徳とみなされているが、
その最悪の現れ方は、暴力である。

飲んでいる頃は、有言不実行で、次第に語る事も、行う事も出来なく
なっていった。不言不実行。話もせず、行動もおこさない。
生きているという事からかけ離れた状態となっていくのが
この病気なのだ。

今、私達は、「一日断酒」を宣言して、それを実際に行っている。
そしてこれからもそれを積み重ねていく。
話し、語り、具体的に行動していく。つまり、生きるという事だ。

「有言実行」こそが、私たちの姿であらねばならない。



想い出の品

2007年09月22日 | ノンジャンル
中学時代、近くに出来た、家電量販店に友達とよく遊びに行った。
オーディオデッキや、スピーカーなど、汎用からマニアックな
ものまで取り揃っていたので、飽きる事はなかったが、なにせ
値段が宇宙的な数字で、とても自分の貯金などで買える様な
物ではなかった。見るだけで満足だったのである。

ところで、そこに手動のタイプライターが展示されていた。
英語の教科書にあるようなきれいな英字が、簡単に打てると
あって、たちまち夢中になった。 
休みの日には必ずといっていいほどその販売店に立ち寄り、
「試し打ち」をして、店員に煙たがられていたものだ。

値段も決して、はなから手に届かないというものではない。
だが、苦しい家計を知っている私は、両親にねだる事は
出来ないと頭からあきらめていた。
しかも、高校受験が目の前の時期であった。

もともと、妹や、弟達のように、買って貰えるまで拗ね倒すと
いうことが出来ない立場であった。
「いつか買ってな、また今度買ってな」が、私の口癖だった。
でも、このタイプライターだけは、なんとしても欲しかった。

公立高校合格を条件に、母親に頼んで見ると、意外にも、
「合格したらね」との返事をもらったので、俄然、受験勉強を
頑張った。 
たまに、販売店に見に行っては、自分で自分を鼓舞していた。

「待ってろよ、絶対手に入れてやる。。。」と。

父親は単身赴任。実質、働きに出ている母親が家計を守っている
状態だったので、とんでもない贅沢品であることも、百も承知して
いたのだが、それでも欲しかった。

普段、必要最低限のもの以外を、「おねだり」するという事が
なかった私の珍しいおねだりに、母親も何とかしてやろうと
思ったのかもしれない。

無事に合格し、いよいよ買ってもらえる段になって、母親が、
新聞に載っている、広告を私に見せた。
そこには、タイプライターが載っていて、販売店のものよりも
かなり割安であった。

どちらかというと、ビジネス用で、色も地味で、販売店にあるもの
のようにおしゃれなデザインや色では無かったが、せっかく買う
気になってくれている母親の気持ちを、萎えさせるような事は
この際、一切したくなかったので、その品を買ってもらう
ことにした。

初めて手にした、自分だけのタイプライター。英字を打つという
イメージからは少し離れた、インクリボンの匂いや、ミシン油の
ようなグリースの匂い。パチリ、パチリと打っていくと、まるで
英字新聞のようにきれいなタイプが紙に現われる。

本当に嬉しかった。それからというもの、様々な事に使っていたが、
最も本領を発揮したのは、映画スターへのファンレターである。
映画雑誌を買って、ファンレターの送り先を調べ、好きなスター
へのファンレターをタイプで打って、送るのだ。
外国へエアメールを送ったのも、この頃が初めてであった。 
そして、一月ほど経つと、そのスターの秘書から、お礼のカードと、
スターのサイン入り写真が送られてくる。
映画スターから返事をもらったその喜びは、なんとも形容しがたく、
身のうちから、震えが外へ向けて大きくなって現れてくるような
気がした。

その後、自分だけでなく、友達のためにファンレターを打ったり、
時には仲の良い従弟のために内緒でファンレターを送っておき、
返事が直接届くようにしておいて、大感激された事もあった。

この、タイプライターが私の初めての海外との交信、交流の為の
ツールとなったのだ。

大学に行くころになると、電子タイプやワープロが台頭してきて、
どんどん進化していったが、就職したときには、まだ手動の
タイプが主流で、職場は、誰もがタイプを打つ、バチバチバチッ
という、異様な騒音に包まれていた。
そして電子タイプが一般化し、ダダダダダダという音に変わり、
今ではPCが普及して、カシャカシャカシャという音に変わって
来ている。

母が亡くなり、実家においてあったこのタイプを持ち帰ったのだが、
もうかれこれ、買ってもらってから30年近くになる。
今なお、十分使えるし、独特の匂いも変らない。

母親に買って貰ったもので、唯一残っているのがこのタイプである。
久し振りに打って見ると、懐かしい匂いと共に、当時のことが
鮮やかに蘇った。