一事が万事というのは、ある一面を見て、それが
万端に通じるという傾向性を推測することである。
つまり、ある意味主観的であり、客観性に乏しい。
人の一面を見て、それを推測によってその人の
すべてに通じるという見方は、やはり主観である。
どうもこの一事が万事的な発想が満ち満ちて
いるのは、ややこしい問題を、少しでも楽に
処理したいという、便利さと安易さを求める
傾向がそれだけ強くなってきたのだろうと思う。
人の心情というものはもとよりややこしい。
その人が集まって形成している社会はややこしくて
当たり前である。
できるだけ統制が取れるようには、その仕組み
として進化が可能だろうが、それを完全なものに
するなら人を度外視した社会優先の絶対独裁に
よるしかないだろう。
一面は単に一面であり、その一面でその人の
すべてを判断できるほど人は単純ではない。
客観とは、一事が万事ではなく、一を聞いて
十を知るの前提として、一を見て十を知ろうとする
地道で忍耐強さのいる行動に裏打ちされる
ものである。
ある組織や団体においても同じで、一人を見て
全ての人を判断する安直な主観ではなく、
一人一人全員を見ていって、その組織、団体を
判断、評価するという、客観的な視点が
欠落している。
それは、便利さの中で損なわれた、忍耐強さと
根気と、身悶えする様な労苦を厭わない
継続の力である。
いわば主観は一瞬、客観は死闘なのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c0/ccce11a32b1ed6e9de98de2cb24350d7.jpg)
万端に通じるという傾向性を推測することである。
つまり、ある意味主観的であり、客観性に乏しい。
人の一面を見て、それを推測によってその人の
すべてに通じるという見方は、やはり主観である。
どうもこの一事が万事的な発想が満ち満ちて
いるのは、ややこしい問題を、少しでも楽に
処理したいという、便利さと安易さを求める
傾向がそれだけ強くなってきたのだろうと思う。
人の心情というものはもとよりややこしい。
その人が集まって形成している社会はややこしくて
当たり前である。
できるだけ統制が取れるようには、その仕組み
として進化が可能だろうが、それを完全なものに
するなら人を度外視した社会優先の絶対独裁に
よるしかないだろう。
一面は単に一面であり、その一面でその人の
すべてを判断できるほど人は単純ではない。
客観とは、一事が万事ではなく、一を聞いて
十を知るの前提として、一を見て十を知ろうとする
地道で忍耐強さのいる行動に裏打ちされる
ものである。
ある組織や団体においても同じで、一人を見て
全ての人を判断する安直な主観ではなく、
一人一人全員を見ていって、その組織、団体を
判断、評価するという、客観的な視点が
欠落している。
それは、便利さの中で損なわれた、忍耐強さと
根気と、身悶えする様な労苦を厭わない
継続の力である。
いわば主観は一瞬、客観は死闘なのである。
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