ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

軽薄短小

2013年12月19日 | ノンジャンル
「大きいことはいいことだ」とは、
もうずいぶん昔のフレーズだが、世の中
何でもコンパクト化が進み、いわゆる
軽薄短小がもてはやされている。

男の器をこう言われたなら最悪ではあるが、
どうも、内も外も小さくなってきている気がする。

そもそも、昔の重厚長大というのは、今と比べれば
中身は薄いが、今の軽薄短小は技術の粋であり、
中身は重厚長大である。

つまりは、大きな殻に小さな実、小さな殻に
大きな実と、総体としてみれば実質変わりはない。

ところが、内も外も軽薄短小な風潮があるような
気がしてならない。

昨年の都知事選。衆議院の選挙と重なったとはいえ、
有権者の6割を超す投票とその7割近くの支持を受けての
当選だった知事が、わずか一年で辞職に追い込まれた。

政策上の問題ならともかく、個人の借入金の問題でである。
実質、この一年、目立ったことといえばオリンピック招致に
成功したことのみで、都政に関しては何一つできずに
辞職となる。

現実的に、選挙ほど金のかかるものはない。
十分な資金を確保することも立候補者の器である。
資金援助をしてくれる支援団体を持つ政党は、
その支援団体の利益に反する政策を強行できない。

それに比べれば、あくまでも個人の借入であり、
なんら逡巡する必要はないのだが、この人の態度から見て、
なにがしかの裏取引があったのかもしれない。

いずれにせよ、日本の首都の知事たる者のブレブレの態度
そのものが、すでにこの人の器を示してしまった。

直接投票で、圧倒的支持を受けた者がこの体たらくでは、
なんともこの国の行く先が不安になる。

さらに言えば、圧倒的多数の有権者がこの人を支持した
ということを忘れてはならない。

一票の格差という問題は別として、一票の重さというものを
有権者一人一人が今一度確認する必要があると思うのである。

それにしても、国の中心たる都で、とことん突き詰めて
審議すべきことは、そんな些末なことではないと思うのだが。

まるで大スクープのように、各メディアとも大きく連日に
わたって取り上げているのを見ては、なんとも虚しい気分に
させられるのである。

さて、新たな知事はと考えても、誰も頭に浮かばない。
次の知事選も、うすら寒いことになりそうである。



サーチライト

2013年12月18日 | ノンジャンル
普段、テレビを見ることが本当に少なくなった。

帰宅して見ると言えばニュース番組くらいで、
トレンディドラマなど、話題にはついて行けるものの、
内容をじっくり見たことはない。

倍返し? じぇじぇじぇ? 
反映されている流行語大賞も、じぇじぇじぇはともかく、
あとはごくありふれた言葉である。

おもてなしなど、言葉の説明ならともかく、
普段、口に出して使う言葉ではない。

話がそれた。休日にはたまに、見るとはなしに
ドラマを斜め見することもある。

私の中では、「LOVEだね」と、
「○○が死ぬことは禁じられている」がお気に入りだ。

特に、ドラマのエンディングが心地良いと感じ、
耳を澄ませば、玉置の曲だった。

いろいろと表面的なことばかり言われるが、
彼の音楽は薄っぺらい感傷を超えて、
凄みを感じるほどの優しさに溢れている。

人はここまで優しくなれるのかという驚きと、
そこまで強くなれるんだという感動がいつも
彼を見るたびに起こる。

この曲も、スポットライトではなく、サーチライトという
タイトルに、それが表れている。

自身を照らしてもらい、そして自分も照らしていく。

あのとき、私は彼女を照らしてあげることが
できなかったのかと思うと、今なお悔しさに涙がにじむ。

今年も残りわずかになって、いい曲に出会えた。

もうどこを照らせばいいのかわからなくなってしまったが、
灯りをつけている限りは、いつか照らすこともできるだろう。

そう信じ続けている。






夢幻飛行

2013年12月16日 | ノンジャンル
青空に向かって飛び立つフライトは、出発の時にこそ
ふさわしい。

疲れて帰国する時に、あまりにまぶしい空へと
向かうのは、かえって気が休まらない。

深夜便で早朝に到着するのは、確かに疲れるが、
帰国の時には、むしろゆったりとした時間を
満喫できる。

窓の外は、手が届きそうな無数の星が見える
こともあれば、雲間に飛行機のフラッシュが瞬いて、
白く鈍く反射する単調な眺めに、頭の中も
白濁としてくる。

その中で、いい音楽があれば、それは至福の
ひと時である。

乗務員もバタバタすることなく、静かな挙措で
サービスをして回るのも心地よい。

多くの乗客がいるにもかかわらず、ふと自分一人が
何か別の世界にいるような錯覚に陥る。

そんな微睡むようなひと時が、いわゆる充電という
事なのであろう。

静寂と闇は、決して忌み嫌うものではなく、喧噪と光の
対極でありながら一体のものである。

やがて、強烈な朝日が闇を払って、現実の世界へと
私たちを押し出していく。

夜の空港と、深夜便は、決して嫌いではない。
ただ、やはりそれは為すことを終えて帰国する際にこそ
最も似つかわしいと思うのである。





悠久

2013年12月05日 | ノンジャンル
12月に入って、もう今年も終わりかと
夜空を眺めてみれば冬の空は高く、星の光も
明るく見える。

無限の宇宙の広がりと、悠久な時間とに思いを
馳せれば、何ともちっぽけな存在が、わずかな時間を
あくせくと過ごしていること自体に虚しさを感じる。

だが、同時に、自身がその無限の時空の中に、
確かにある存在だということに、感慨も深いのである。

ヒミコという天体は、いわば三つの銀河が重なり合おうと
している。だが、その光は、130億年昔のものである。

まだ太陽系すら存在していない時より、その光は旅を続け、
地球にたどり着いた今、その光は130億歳となる。

現実に、今の時点での状況はわからない。
これからの観測は、その歴史を紐解くことになる。

地球が46億歳。その時間の3倍近くの年月を経て
辿り着いた光。

私たちは、確かにこの光の中で存在し続けてきたのだろう。
そして自分が自分である以上、そこには変わらない自身が
脈打っているに違いない。

私たちは、生まれては死に、死んではまた生まれる、
星の化身なのである。