ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

可能性

2014年05月30日 | ノンジャンル
娘ももう4回生。来年には卒業となる。

小さい頃から身体を動かすことが好きで、
じっとしてはいられない、猿みたいな子供だった。

理論派の弟とは違い、身体で表現するタイプの彼女は、
いろいろとやってみた結果、特にダンスと水泳に
没頭していった。

現在もアルバイトでスポーツクラブの
インストラクターをしている。

もちろん、夢は変わらず、中学校の体育教師に
なることである。
もうすぐ教育実習も始まるらしい。
子供が、子供を教えてどうするとは親の目線である。

普段、擦れ違いで、なかなか顔を合わせる時間が
少ないのだが、それでも一緒にいる時はいろいろと
話をしてくる。

なんでも、ひょんなことからイベントでダンスを
したときにプロにスカウトされ、バックダンサーとして
ステージデビューすることになったとか。

今週は東方神起?なるグループの大阪でのステージで
二日間バックダンサーを務めたのだそうな。

で、今度は7月の倖田 來未の大阪でのステージでも
バックで踊るらしい。

いつのまに芸能人になったんだ?と驚いたが、本人は
至って淡々としている。
ステージの興奮は別として、彼女としては、体育教師に
なる夢はぶれていないようである。

話を聞いていると、プロのダンサーを目指すかのような
日常だが、教師になる夢は揺るがないようだ。

いずれにせよ、若いということは可能性に満ちている
ということだ。

つまりは、年を取るというのは、可能性を見限ることだ。
ならば、まだまだ可能性を信じていくことが若さの
秘訣であろう。

身近に、可能性に満ちた若い者がいるというのは、
自身も若返るという点で、何よりありがたい事
なのである。

いくつになっても、まだまだ発展途上人。
今から、ここからで、老け込むことはやめに
したいものだ。

時間の制約はあれ、可能性についてのみ言えば、
年は関係ないのである。




洪水

2014年05月29日 | ノンジャンル
先週の出張の折のこと。

最終日の夜、疲れ切ってホテルに戻り、それでもすぐに
パソコンを開いて、メールのチェック。

時間がもったいないので同時にバスタブに湯を張っていた。

と、少し厄介な案件があり、その対応に集中していて、
お湯の栓を閉め忘れていた。

海外では水圧が低いところが多く、なかなか湯船に
お湯が溜まらない。
最悪の場合、シャワーだけで済ませるが、それも勢いが
なく、スッキリしないことが多い。

スラバヤもそんなものだろうと思っていたが、
ふと気が付くと、お湯が浴室からあふれてきている。

しまったと思い、あわてて栓を閉めたが、浴室の外まで
水浸しである。
お湯が溢れないように排水口がバスタブにはあるのだが、
それをあっさり超えてしまう水圧があったようだ。

ともかくあふれた水を浴室内に入れ、床の排水口へと
押しやり、何とか収拾がついてやれやれと思ったが、
部屋の入り口近くまであふれていたのでドアを開けると、
廊下にまで浸み出している。

大抵、ホテルにあるバスタオルは大きくて分厚いので、
これであふれた水を吸っては絞り、吸っては絞りを
繰り返した。

最後の夜に何をしているんだろうとおかしくもあったが、
下の階に水漏れでもしようものなら、補償問題になる。
フロントに連絡して、乾湿両用の掃除機で吸ってもらい、
事なきを得た。

昔、バスルームで転んで頭を切り、血だらけで帰国した
ことがあるが、それに比べればまだましとはいえ、
いわゆる油断大敵という点では同じである。

大事に至らなかった分、大いに反省すべきだろう。
そういう油断が、思わぬところで大きな問題となる
ことを改めて肝に銘じた。

いろいろと考えさせられる出張となった。



6.1

2014年05月28日 | ノンジャンル
この世に生まれた誕生日のほかに、もう一つ
再生という意味での特別な日が、6月1日である。

「死に年」の42歳のその日から、丸9年を迎え、
いよいよ10年目に入る。

確かに永い永い年月だが、振り返れば本当に
あっという間だった気がする。

最初の一年が、最も苦しみ、永く感じたことだけは今でも
変わらない実感としてある。

軌道に乗るのは、文字通り石の上にも3年という
ことであった。

この3年を越えてから、断酒に関しては随分楽には
なったが、常に素面で現実の問題に直面していかねば
ならない辛さは、時に死ぬほどの苦しみであった。

実際、死にたいと思ったことは何度となくあった。

4年前、断酒丸5年を迎えたのちに、主治医の院長先生が
逝去された。
大きな支えを失って、そのショックは計り知れないほど
であったが、何があろうと絶対に失敗はできなくなって
しまったなというのが実感だった。

ご存命であれば、会ってお話もできるだろうが、
亡くなってしまった人の私に対する生前の遺志を
裏切ることはできない。

先生をはじめ、家族や多くの人に、地獄の一年を、
そして最も苦しく永かった3年を支えて頂いたことを
心から感謝したい。

10年と言うのは大きな節目であることには間違いない。
だが、10年を越えて再飲酒する人も珍しくはない。
もういいだろうという心の弛みというより、達観が
そうさせるのかもしれない。

先生に頂いた言葉は「原点」。
何年経とうが、「一日断酒」なのである。

これからも、何度も何度もこの原点を確認しながら、
一日断酒を坦々と継続していくのみである。
この一点については、愚直で構わない。

あの日は梅雨前の暑い夏日だった。
今年も暑くなりそうである。





遠くへ来ています

2014年05月22日 | ノンジャンル
今週は、ドイツのお客様と名古屋、東京、群馬、栃木、
そしてシンガポール、バンコクと回って、今はシンガポールに
戻ってきました。

明日は早朝からインドネシアに飛び、翌日、シンガポール経由で
大阪に戻ります。
日曜日の朝帰国となり、帰ったらへとへとでしょうね。

仕事を終えたらすぐ移動という、過密スケジュールで、
なんの面白味もありませんが、ともあれ一つ一つを精一杯で
頑張っています。

もうアジアは国内出張の延長みたいなもので、もう少し
昔の感動があってもいいと思うのですが、淋しい限りです。

それでもやっぱり空はいつ見ても飽きませんね。

今夜の部屋。 中になぜか揺り椅子がどんと吊られています。

何だか変な部屋です。 ^^





遠くへ行きたい

2014年05月14日 | ノンジャンル
ふっとどこか遠くへ行きたくなることが誰にでも
あるだろう。
そういう歌もあったが、現実逃避ということではなく、
日々の通り一辺倒の時間と場所を越えて、自由気ままに
誰ひとり知る人もいないところで過ごす時間が欲しいと
思うのはごく自然なことである。

自分探しなど、どこを探したって見つかるものではないが、
自身の日常を離れることで発見することも少なくはない。

私はと言えば、こういう感覚は昔から皆無に等しい。
日常が国内海外を問わず飛び回っているので、いつも
遠いところにいる。

下手をすれば、知る人もいないどころか、
言葉さえ通じない。

そんな私が、ふっと日常を離れることといえば、
お墓参りくらいかと思う。

さて、来週からまた旅に出る、
関東へ出て、そこからシンガポール、タイ、
インドネシアと回り、帰国すれば翌週にはまた
中国へ立つ。

家に帰って、美味い漬物でお茶漬けを食べる。
それが、私の唯一の「日常を離れる」ことなの
かもしれない。