ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

年の瀬

2007年12月30日 | ノンジャンル
年の暮れとあって、一年を振り返るべきときなのだろうが、
今一つ実感が無い。

毎年、同じような事を言っているとは思うのだが、本当に一年と
いうのは、過ぎてしまえば瞬く間のようである。
こうして一年、一年を加速度的に過ごしていくのかもしれない。

今年の我が家のニュースはと考えてみても、さほど大きな事柄は
無かったようだ。
せいぜい、息子が中学校に上がったことくらいであろう。

特に取り上げるべきも事も無いのは、それだけ平穏で、皆元気に
一年を過ごせたと言う事で、本当に喜ぶべき事なのである。
怪我や病気も無く、家族がそれぞれ自分のするべき事を元気に
やり遂げた一年というのは、何よりもありがたく、新しい年も
そうであって欲しいと願うばかりである。

私自身も、初めの四半期のごたごたを越えた後は、
かなり落ち着いた状態を維持しながら年越しを迎えられたことは
嬉しい限りである。

我が家にとっても、大事件であったあの時から一年経ち、
二年経ちして、ようやく安定期に入ったかのようである。
石の上にも三年とはよくいったもので、来年の半ばには、
まる三年の断酒となる。

正直、身体にしても、精神にしても、ここまで普通の状態で、
飲まないのがあたりまえという風になろうとは、
想像もしていなかった。
初めはかなりの力技を続けなければならないと覚悟して
いたのだが、二年が経つ頃には、かなり力が抜けて、
安定した状態へと移って行ったようだ。

まる三年を過ぎたなら、またどう変わっていくのかも、
少し楽しみでもある。
いずれにせよ、これからも今年のように、弛まず、飽かずに
一日一日を大切に積み重ねていく事である。

その時点では何も変わりが無いように見えるのだが、一年単位で
振り返れば、大きく変わってきていることに気付くのである。

それは、このブログの記事を時系列的に読み返してみても、
時間と回復と、それに伴う自身の変化が見て取れるのである。

この作業は全く個人の為のものではあるのだが、読んで下さって
いる方々に、何がしか益するものがあるとすれば、それは本当に
嬉しい事でもあるのです。

今年も様々にコメントや、投稿を賜りまして、
励みとさせて頂きましたこと、本当にありがとうございました。
皆様にとっても、良いお年となることを心からお祈り致します。
どうぞ、来年も宜しくお願い申し上げます。



仕事納め

2007年12月29日 | ノンジャンル
仕事もスッキリと一区切りをつけ、社内の整理整頓、清掃も終えて、
外も内もさっぱりとして納会となりました。

やはり一つの締めとして、今年の業務を終えた区切りに、夜の街へと
繰り出しました。

話をしたり、食べたり、飲んだり、歌ったり、冗談を言ったりと、
外から見るとまるで今までと何も変わりません。
ただ飲んでいるのがお酒ではないので、酔う事が無いだけです。

一年の疲れが、ホッとした心にどっとあふれてくるようで、
なんとも言えない気だるさと虚脱感に包まれながら、それでも
充足感もあって、複雑な心境でした。

深夜に帰宅し、入浴してぐっすり眠ると、思わず朝寝坊をして
しまい、危うく今年最後の通院が出来なくなるところでしたが、
連絡すると来てくださいとのことで、診察、処置、年末の挨拶を
済ませて帰って来ました。

そういえば、ラウンジで同じように納会でしょうか、何人かの
他のお客さんの中で、私と同じようにお茶を飲んでいる
年配の方がいました。
店の娘に、運転ですかと訊かれていましたが、
そうではないようでした。

飲めない事情があるのでしょうが、その方を見るに、どうやら
私と同じ理由で飲まないものと思われました。
それでも、飲まない事で、目に光があるようにも見えました。
その光を二度と失わないよう、頑張って欲しいものです。
もう年齢的に、「次のやり直し」は難しいと見て取れたからです。

出来ればその場でその方と、お話をして、ミニ例会みたいな事に
なったら、きっと楽しかったろうななどと病院で考えていました。

偶然とはいえ、年の瀬に不思議な巡り合わせだったと思います。



酒席にて

2007年12月27日 | ノンジャンル
さて、テーブルに並んだビールジョッキ。

手を伸ばせばすぐにでも口に出来る状態。

喉を鳴らせて、一息に飲み干すときのあの喉越し、味わい、香り、
そして渇きが潤されるあの快感。
古い記憶が徐々に蘇る。

飲めたらなぁ。もう飲めないんだなぁ。
いや、もう飲まないんだった。

同時に、つい最近のことのように蘇る苦い記憶。
飲みたくも無いのに飲まずにはおれない。
決して美味いとは思えない、むしろまずいとさえ感じているのに
飲んでしまう。
たまらず吐き出してしまうのに、その分をまた補充しなければ
ならないように飲む。

胃も、喉も、口の中もカラカラに乾いたような、擦り傷から血が
滲んでいるような感覚の中で、更にその傷の上をこする様に
ビールを流し込んでいく。

飲まないから、いつまでも治らなかった傷が少しずつ
回復してきたんだな。
飲むよりも大切な、食べるという事が出来るように
なってきたんだな。

お酒は飲まないとはいえ、飲むものはいくらでもあるんだな。
しっかり食べて、お茶を味わい、優しく渇きを潤す事も覚えた。
荒れた胃では受け付けなかったコーヒーも、食後に
美味しく飲める。
風呂上りに飲む清涼飲料水は、しっかりと身体に水分を補給し、
生き返ったような爽快感がある。

飲む快感は一瞬。飲まない爽快感はこれからずっと
感じることが出来る。

どちらがいいかは本人次第。太く短くか、細く長くか。
どうやら、細く長くが、今の自分の望みであるようなので、
これからもコツコツと一日一日を積み重ねて、
生きたいと思います。



三本柱

2007年12月24日 | ノンジャンル
依存症の回復のための治療に関する歴史は、まず、抗酒剤の開発
から始まっている。文字通り、お酒が嫌いになって飲まなくなる
薬ではなく、アルコールの分解能力を低下させて、耐性を減衰
させる薬である。抗酒剤を飲んで、アルコールを摂取すれば、
まるでお酒を飲めない人が大量にお酒を飲んだようなひどい状態と
なって、下手をすれば救急病院へ運ばれる事になる。

抗酒剤が開発されたのが1914年。物理的にお酒を
飲ませない事は出来るが、飲まないのではなく、飲めなく
させてしまうのである。

そこに最も大切な、「もう飲まない」という意識が無ければ、
飲めない状況はかなり辛いものであろうし、事実、抗酒剤を
飲まないで、いや、飲んだ振りをして、飲酒を続けてしまう事に
なるケースが殆んどであったろう。

物理的に飲めなくさせてしまう抗酒剤を服用させる事は、
確実な事ではあるが、、本人に飲まない意識が無く、抗酒剤の
ために飲めないという意識であれば、その断酒は挫折する。

自身が病気である事を認めるために病気の知識を深め、回復には
断酒しかないと理解し、回復を目指して命を永らえようという
決心をして服用するところに、本来の抗酒剤の役割がある。

事実、抗酒剤が出来てから、僅か15年少し後の、1930年には、
世界的な精神科医であったカール・ユング医師が、アルコール
依存症患者の治療を見放してしまう。

「もはや医学ではどうしようも出来ない。あなたが、治るとすれば
霊的(SPIRITUAL)な目覚めしかないだろう。」との
言葉を残している。

そして、1935年に、共に依存症であったビルとボブが出会う。
これが、AAの誕生である。
互いに、相手の苦しみを自分の事として理解し、その上で、共に
励ましあいながら、断酒を継続していくのである。
断酒の辛さ、苦しさ、飲みたい欲求、飲まずに過ごした事で
経験した大きな喜びなど、共々に分かち、共感し、そして会う度に、
また飲んではいない姿で会おうと、励ましあったのであろう。

それぞれの喜怒哀楽に共感し、共有する事で、飲まない日々を
重ねていったに違い無いのである。

人は自分だけのために生きていけるほど強い物ではない。
つまり、自分というものを人にわかってもらいたい、そして、
人のためにできる事を精一杯やる事に、一人では感じる事の
出来なかった、より大きな喜怒哀楽を感じるのではないか。

共に痛みを分かち、それをバネに、共に大きな喜びへと変えて行く。
人は人との関りのなかでこそ、本当の喜びと感謝を感じることが
できるのである。

たった2人とはいえ、この人と人との関わりから、この病気の治療に
おいては、大きな力となった事は間違いないであろう。
抗酒剤も、医者でさえもどうにも出来ないとされた病気であったにも
拘わらずである。

それから、自助グループが発展拡大し、医療においても専門病院が
開業していく。

今はこの、抗酒剤、自助グループ、通院が断酒の3本柱と
なっているが、共に断酒を続けて行こうとする仲間、友人、同志が
大きな力となっている事は歴史から見ても明らかである。

この病気になれば、既に飲酒自体が孤立となってしまう。
人との関わりのなかで断酒を続けて行く事は、自分を理解し、
他人を理解し、同じ依存症である事を認識し、共に断酒を継続
していこうと励ましあう事で、自身の断酒の決意、つまり飲まない
という意志をその時々において強化しているということなのである。

願わくは、家族の前で抗酒剤を飲み、一日断酒を自身の決意として
固め、通院により、自身が完治の無い病気を持っているという
認識を新たにし、その中で苦しい事、辛い事を仲間の前で吐き出し、
他の仲間の同じ苦しみを聞き、互いに同苦しながら、自分だけ
ではない、あの人も苦しい、でも頑張っている、自分も頑張ろうと
決意を新たにできれば、それだけ「飲めない」ではなくて、
「飲まない」という意識を常に新鮮に維持できるのでは
ないだろうか。

マニュアル的な意味での3本柱ではなく、常に飲まない意識を
新たにし、強固にしていくためのそれぞれの柱なのである。

人によってはこの3本を全て必要とする場合もあるだろうし、
1本、2本で継続していける人もいるだろう。

要するに、形ではなくて、何が自分の断酒の原点と、飲まない
意識を風化させないで常に新たに出来るかという事なのである。

人それぞれ、依存症となった経緯は様々で、断酒継続の方法も
様々である。万人に絶対的に有効といえる方法は
無いかもしれない。

ただ、これまでの歴史や、経過、そして精神科の病気であるという
点を考慮すれば、この3本柱は、原則中の原則であるといえる。
特に、人との関わりのなかに身を置く事が、最も重要だとも
思えるのだ。


制御不能

2007年12月22日 | ノンジャンル
基本的に制御というものが無ければ、いかなる思考も行動も
成り立たなくなる。

機械にしろ、生物にしろ、この制御機能があってこそ、正常な
稼動、思考、行動ができるのであり、制御機能が麻痺すれば、
機械なら暴走し、それ自体のクラッシュか事故に繋がる。
乗り物であれば、暴走となり致命的な事態となって
しまうであろう。

人間であればどうか。部分的制御不能であれば、思考、行動に
おいてまだ救われる場合もあるだろうが、全不能となれば、
死に至る場合もある。

例えば、腕を動かそうとする場合、筋肉を収縮させるだけではなく、
反対の筋肉が伸びる事で自然に抵抗となる。収縮する力が、伸びて
戻ろうとする力を上回るから、腕が思うように動くのである。

更に言えば、脳の「動かす」という指令には、同時に反対の指令が
同時かつ平行して発せられる。脳の指令自体にも制御があり、
実際の動きにも制御があるということだ。

これが不能となれば、脳の「動かす」指令のみが暴走し、
それに伴って、実際の動きも暴走する。つまり、痙攣状態と
なって、動作自体も不能となってしまう。

原因は別ではあるが、動作不能という状態は、癲癇などの
発作状態を考えればよく理解できるかもしれない。

「動かす」指令のみが発せられると、よりスムーズに、機敏に
動けるような気がするのだが、実はそうではない。

理性と本能というものも、一方は制御的機能であり、もう一方は
本然的なエネルギーであると言える。

エネルギーである以上、制御が無ければ暴徒化し、集団生活、
社会生活それ自体が成り立たない。脳の進化についても、
基本的な生命活動を維持するだけのものから、新たにより高度な
社会生活や、創造活動を可能にするために新皮質の形成、つまり
理性の構築がなされてきたのである。

飲酒は、この理性、つまり制御機能を麻痺させてしまう。
一過性のものであればなんということはないのだが、継続的に
麻痺状態に置かれていると、不可逆的な状況に陥る。
こうなると回復は難しいのだが、それでも断酒すれば回復の希望は
断たれることはない。

自身の場合は、離脱時期に部分的制御不能の状態に陥り、
あり得ない幻視、幻聴を理性では如何とも出来なかった
体験を持つ。

例えば、理性がはっきりとしていて、思うように身体が動かない
ケースなら、意識と身体の関係であり、歯がゆく情けない思いも
するであろうが、神経経路の問題によって、意識の指令通りに
身体を動かせないだけである。

これはこれで大変ではあるが、個人の自我意識には何ら影響は無い。
同一人格の自我意識を表とするならば、普段は決して表れる事の
ない裏の自我意識が具体的に顕在化し、同一人格の中で同居する
というのは、非常に厄介な状態である。離脱の暫定的な期間だけに
現れた症状としても、その衝撃は自身の中ではかなり
大きなものであった。

一過性にしろ、精神分裂の状態にある自分自身を、本来の表たる
自我意識がはっきりと認識していながら、何ら効果的な制御能力を
持てないでいるというのは、耐え難い状態でもあった。そして、
それが進むと、ちょうど癲癇の発作のように、身体までもが
制御不能に陥るのではないかという恐怖感があった。

何よりも、他者による自我の支配を厭い、意識下の理性による
制御が不能となる状態を忌み嫌う私にとっては、これまでの人生に
おいて最悪の体験であった事は間違いない。

健康面、家庭面、社会面、金銭面など、断酒を継続している人に
おいては様々な「底打ち」の体験があるだろうが、私に関して
言えば、この制御不能の体験が、底打ちとなっているようである。

少なくとも、この世に生を享けてからこれまで一貫して
統一されている自分自身を、わざわざ分裂させる意志は
毛頭ないのである。

ただ、生まれもった好奇心も如何ともしがたく、正直に言うと
あの同居人にもう一度会いたい気もする。

しかしながら、ここでも制御の力の方が強く、二度と会わずに
一生を送るつもりでいるのである。