ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

誕生日

2012年07月23日 | ノンジャンル
昨日は、カミサンの誕生日でした。

娘はおしゃれなワンピースをプレゼント。

息子はせっせとケーキを作っていました。

私は、そのまま着て、お出掛け用にも部屋着にもなる
楽なワンピースを色違いで2着。

夕食はお寿司と、ゴマダレざるうどんにしました。

一番嬉しかったのは、食事の支度や、あと片付けを
しなくていい事だったかもです。

よせばいいのに、息子に「ケーキだけ?」と
挑発していました。

バイトの給料日が25日ですので、
さらに追い打ちをかけて、
「1週間以内ならプレゼントを受付けてるよ」と・・・。

この母と息子、そばで見ているだけでも漫才の
掛け合いみたいで面白いです。

まあ、なんだかんだ言っても、給料が出たら、
おそらく何かプレゼントするのでしょう。

さてさて、これで今年の我が家のバースデイは終了。

やれやれです。



不倫

2012年07月20日 | ノンジャンル
何かと喧しい昨今の政局だが、ここ大阪でも市長の
不倫騒動とやらで巷ではその話題で持ちきりである。

何のことはない、市長になるどころか、知事となった
はるか以前の話だそうだ。

まあ、政治家を失墜させる手管としては使い古された
スキャンダルということだろう。

報道もバラエティー化して、物見せ小屋のような
番組が多く、バカ騒ぎにしか見えない。
武骨なジャーナリズムはどこへ行ったのか。

不倫など、刑法の問題ではない。民法の問題である。
よって、私人としての当人とその家族、相手側及び
その家族間での話である。

市長に食い下がり、厳しい?質問をする取材記者が
いたそうだが、あんたは市長の身内かと訊きたいところだ。
笑止千万である。

他国では、不倫は刑法で処罰されるところもある。
ひどい国では、男性ならそのシンボルを切り取られ、
女性なら首まで地面に埋めて、石を投げつけ、処刑される。

いったい、どこの国の話かと、この騒ぎを見ていて思う。
別に市長を擁護しているわけではないが、遠い過去の話を
蒸し返されて、それを今さら表沙汰にされて騒がれても
如何ともしようがない。

だれしも過ちというものを経験して成長してきたのである。
これまで、一点の傷もなく、清廉潔白で純粋に生きて
きたと公言する者がいるなら、お目に掛りたいものである。

市長の政策に不満があるなら、堂々と対論を張って、
討議をしていけばよい。
まるで関係のないところで粗探しをして、ケチを
つけるような姑息かつ陰湿なやり方が気に入らない。

もっと言えば、相手は元高級クラブのホステスらしいが、
高級でもなんでもない。
床話というのは、男の最も油断する場面であり、それは
逆に言えば、母親の胎内にいるような安息と信頼が
あってのことである。

昔の芸者の心意気から見れば唾棄するに値する女性だろう。
所帯を持つことはかなわずとも、惚れた男を命がけで守る
その覚悟と心の品格に、ある種の凄みと気高さを
感じさせるのが芸者の気風というものであった。

本能的に浮気をする男に、浮気をさせない女性。
男を守るために命をかける女性。

もう今ではとっくの昔に時代遅れとなってしまったようだ。
逆に言えば、一人の女を守るために命をかける男が
いなくなってきたということだろう。

いやまて、二人いる。

浮気性な私に浮気をさせない女性が二人いた。

カミサンと娘である。

この二人の顔が頭に浮かぶと、それぞれ全く逆の作用で
浮わついた気分が萎えてしまう。

くわばらくわばら。




梅雨がえり

2012年07月12日 | ノンジャンル
勝手に梅雨が明けたと思っていたが、どうやらまだ
明けていなかったらしい。

昨夜は嵐のような強い風と土砂降りであった。
今週はこのまま、曇った蒸し暑い日が続きそうである。

さあ、これから夏本番と、気合を入れ直していただけに、
後ろに戻ってしまったようで、気勢が削がれてしまった。

今朝は肌寒いほどの風に、変な疲れがどっと出て、
一日中、気怠さが抜けなかった。

縫物をするときに、返し縫をするように、一歩進んで
半歩下がり、また一歩進むというのも、着実に足元を
固めるという意味では良いだろう。

波縫なら、進むのは早いが、あまり丈夫な縫合とは
ならない。
気持ちは前へ前へと向きながら、一歩一歩を確かめる
ように、半歩下がるのも悪くはない。

また、改めて気合を入れ直して、前へ踏み出す
こととする。





前を向く

2012年07月09日 | ノンジャンル
月末から月初にかけて、中国、台湾よりの来賓が相次ぎ、
バタバタとしている間に七夕になり、梅雨明けとなった。

また暑い夏がやってくる。

人は往々にして、感情に左右される。
それは仕方のない事でもある。

だが、だからこそ、感情に流されない自分で
ありたいと思う。
それが、殊、自身の特質でもあると思うからだ。

人の好き嫌いは、明確な定義があるわけではない。
「なんとなく」ということが多いものである。

人の性格の合う、合わないも、同じことである。
それぞれに個性があり、明確に違いがある。
外見にしろ、性格にしろ、考え方にしろ、興味や才能まで
一人として同じ人はいない。

それを全部同じにする必要もなければ、
合わせる必要もない。いやむしろ、それは不可能な
ことである。

自身のありのままを観て、他人のありのままを観る。
そして、自分にないところが、他人にはあることを
観ていけば、それは自身の前進につながる。

自分にあるものが、他人にないことを責めたところで
仕方がない。互いに良い面を観て、前を向いて行けたなら
それが本当の君子の交わりということになるのだろう。

自身の視点の持ち方、物の観方次第なのである。

そして、その観方が正しいのか、正しくないのかは、
それが自身の前進につながるか、後退につながるか
どうかなのである。

つまり、正しい自己中心主義で行くかどうかとも
言えるだろう。

さて、後半戦が始まった。
また一日、一日を、自分なりに精一杯で、
奮闘努力していくのみである。