ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

キャンセル

2018年11月28日 | ノンジャンル
これまで飛行機の遅延は幾度もあったが、
初めてのキャンセルを経験することになった。

早い目に空港に着き、チェックインしようとすると
定刻2時間前から受け付けるとのこと。
普通といえば普通だが、チェックイン自体はいつでも
できるはずだ、

搭乗券をもらうと、案内があるまで保安検査に
進めないとのこと。
嫌な予感がした。機材が到着どころか出発して
いないことを示すことだからである。

これは大分遅れるなと覚悟はしたが、いつまで
待っても案内がない。問い合わせるたびに聞く
現地出発時刻はズレていき、結局キャンセル
となった。

その後は修羅場である。ホテルの手配、振替便の
手配、預かった荷物の戻しと、スタッフは
てんやわんやだった。

中国の都市に青空が戻ったのもつかの間、
今年は米中の貿易摩擦で、環境どころでなくなり、
規制が緩くなった途端、目の前のビルが見えない
くらいに煙霧で真っ白である。

機材も視界不良で飛べなかったようだ。

キャンセルは仕方がないが、その後の対応で、
航空会社の評価は決まる。
共同運行とはいえ、最悪の対応だった。

荷物を預けていなかった私は、何とか家に
帰ったが、延べ7時間近く待っていたことになる。
風邪気味でもあったので悪化し、熱も出だして、
最悪な半日となった。

帰宅は深夜。風呂に浸かり、湯上りのほてりを
冷まして薬を服用し、死んだように眠った。

翌朝はスッキリと起き、気持ちも今日からと
切り替わっていた。
長年の身についたものがあるのだろう、
元々その日が出発だったかのような
切り替えができていた。

今度は無事に着いて、またここから、
今からなのである。





太陽の塔

2018年11月24日 | ノンジャンル
2025年万博開催地が大阪に決まった。

1970年開催の時、私は小学生だった。
動く歩道など、高度成長期の当時における万博は、
子供たちが思い描く未来予想図を凝縮したかのようで
あった。

一番人気は今でいうドームのようなアメリカ館と、
天空を切り裂くかのようにそびえていたソ連館
であった。

待ち時間が長く、残念ながら両館ともに入場できな
かったが、太陽の塔の衝撃的な姿にひどく感動した
記憶がある。

確か、太陽の塔の貯金箱をもらった覚えがある。

昨夜から開催決定に、街は沸いているが、どうも
私は素直に喜べない。

開催地の夢洲は、地元でもある。
これから、開催へ向けて工事が進み、中断されていた
地下鉄の延伸工事を含め、交通・輸送の整備も
進むだろう。

夢洲自体は、海上輸送貨物のコンテナヤードがある
くらいで、孤島に近い場所なので、工事自体は
急速に進められるだろう。

開催となれば、普段、誰も来ないような場所に
大勢の人々が来場し、賑やかになることも
間違いない。

閉会後の撤去や取り壊し、IRの一環とした再生も
容易であろう。もともと、オリンピック招致の為の
埋立地であるからだ。

若い世代にとっては、私たちの当時のように、
大阪の、いや、日本の未来を夢見ることのできる
一大イベントであることに変わりはないかも
しれない。

だが、話題となるのは、経済効果といった、
いわゆる金、金、金、の話ばかりである。

実は、この傾向に嫌悪感を持っていたのは、
オリンピック招致の時以来である。

つまりは、金で夢を買おうというのか、夢を金に
しようというのかという嫌悪感である。

太陽の塔は、初の万博の象徴でありながら、
その設置の問題から、施工期間がかなりタイト
であった。

開催期間中だけ持てばよいということでの
突貫工事だったが、工事にあたった人々の職人魂は、
初めから手抜きともいえる工事をすることを
許せなかった。

結果、工期に間に合わせつつ、何十年と持つ堅固な塔を
完成させたのである。

周りに何もなくなった後、一人立つ太陽の塔を
見るたびに、この塔こそが万博であったと思った
ものである。

願わくは、2025年の万博にも、この太陽の塔たる
べきものがあれよかしと、心から思うのである。

未来は、言葉ではなく、その心に植えられる種のような
ものであるからだ。





疾駆

2018年11月23日 | ノンジャンル
今年は、年明け早々、いきなりのトップギア発進から
これまで走りに走り続けてきた。

幾度かあった峠も、今月になって一通り越えて、
やれやれと、やっと一息つけている。

とまれ、関係案件で来週は中国出張となるが、
これで今年の出張も一区切りとなりそうである。


昨夜の雨が上がって急にこの季節らしい冷え込みに
なってきた。
一年の疲れを最も感じやすい時ではあるが、
結局、バタバタしながら今年も終えることに
なるだろう。

この一年を一言で表せば、「疾駆」という言葉が
思い浮かぶ。

振り返るだけでめまいのする思いだが、SICKでなく、
疾駆であったことに感謝すべきなのであろう。





墓前

2018年11月18日 | ノンジャンル
母親の墓前で手を合わせると、なぜか自分の
嫌なところをあからさまに見せつけられる。

それでいて、それを素直に認めて、
気をつけて直さないとなという気にさせられる。

そこに母親はいない。
ただ、その遺骨があるのみである。

だが、そこは、やはり母親に会える場所なのだ。
時には黙ってこちらを見つめている。

打ちひしがれた情けない姿に、雨を降らせて
私を追い返した時もあった。
時に、褒める代わりに虹をかけてくれた
事もあった。

そこには、人として生きる自身の原点がある。
どんな自分も、そこでは一旦受け入れて
もらえるからだ。

つまりどんな自分も、自ら認めることから
また新たに始めることができるという意味で
原点とも言えるのだ。

生きる手段としての断酒には、
無論その原点がある。

しかし、自分を自分たらしめる、
自身の原点といえば、それはやはり
母親なのであろう。






旅立ち

2018年11月16日 | ノンジャンル
「死」というものを、不幸とするなら、私たちは
その不幸に向かって生きていることになる。

例外なく一定である死が不幸なら、今を生きる
意味などない。

わざわざ不幸で終わる為に生きる必要など
ないではないか。

死というものを意識するのは、生きるものである。
死に哀しみ、不幸を感じるのも生きるものである。

死の間際に、幸せを感じるか、不幸を感じるかは、
自身がその時になってみないとわからない。

つまり、生きているものの目線で死をいかに
解釈しようとしても、詮がないということだ。

今年亡くなった家内の父親は、死の直前、自分で
あと2週間くらいかなと言っていたそうである。
その通り、2週間後に他界した。

彼は不幸だったのか。 いや、彼は、幸・不幸など
眼中になく、その日を今生の別れと新たな旅立ちと
見ていたに違いない。

私の父親も、恐らく年を越せるかどうかという
ところだが、穏やかな日々を過ごしている。

彼もまた、新たな旅立ちの準備をしていると
私には思えるのである。