記事としては何度も取り上げてきたキーワードだが、
依存症という病気を一言でいえば、コントロールを
失う病気である。
よって、その判別は比較的容易である。
要するに、依存対象となるものを断って、
継続できるかどうかである。
お酒の場合、週に2日、休肝日を設けて、
それを1年でも2年でも変わらず継続できるなら、
その人は依存症ではない。
無論、飲まずに1か月でも2か月でも過ごせる
人はコントロールを失っておらず、依存症ではない。
依存症であれば、飲みたくなくとも飲まずには
おられない。
したがって、依存症そのものの病識のないものが、
依存症患者を見れば、意志の弱い、身勝手で嘘つきで
だらしない、どうしようもない人ということになる。
反面、コントロールを失った人間の本性とは、
存外、皆そんなものなのかもしれない。
回復とは、失ったコントロールを取り戻すことであり、
同時に、取り戻しつつあるコントロールも
一瞬にしてまた失う危険と常に対峙していることになる。
いわゆる、コントロールを有している者が、
失った者を責めたところで意味がない。
そして、この病気の厄介なところは、コントロールを
有している者を巻き込むことで、その人をもまた異なる
疾患へと陥れることなのである。
トラックの内輪差ではないが、巻き込まれないという
ことも、当人の周りにおいては重要なことである。
依存症という病気を一言でいえば、コントロールを
失う病気である。
よって、その判別は比較的容易である。
要するに、依存対象となるものを断って、
継続できるかどうかである。
お酒の場合、週に2日、休肝日を設けて、
それを1年でも2年でも変わらず継続できるなら、
その人は依存症ではない。
無論、飲まずに1か月でも2か月でも過ごせる
人はコントロールを失っておらず、依存症ではない。
依存症であれば、飲みたくなくとも飲まずには
おられない。
したがって、依存症そのものの病識のないものが、
依存症患者を見れば、意志の弱い、身勝手で嘘つきで
だらしない、どうしようもない人ということになる。
反面、コントロールを失った人間の本性とは、
存外、皆そんなものなのかもしれない。
回復とは、失ったコントロールを取り戻すことであり、
同時に、取り戻しつつあるコントロールも
一瞬にしてまた失う危険と常に対峙していることになる。
いわゆる、コントロールを有している者が、
失った者を責めたところで意味がない。
そして、この病気の厄介なところは、コントロールを
有している者を巻き込むことで、その人をもまた異なる
疾患へと陥れることなのである。
トラックの内輪差ではないが、巻き込まれないという
ことも、当人の周りにおいては重要なことである。