記事としては何度も取り上げてきたキーワードだが、
依存症という病気を一言でいえば、コントロールを
失う病気である。
よって、その判別は比較的容易である。
要するに、依存対象となるものを断って、
継続できるかどうかである。
お酒の場合、週に2日、休肝日を設けて、
それを1年でも2年でも変わらず継続できるなら、
その人は依存症ではない。
無論、飲まずに1か月でも2か月でも過ごせる
人はコントロールを失っておらず、依存症ではない。
依存症であれば、飲みたくなくとも飲まずには
おられない。
したがって、依存症そのものの病識のないものが、
依存症患者を見れば、意志の弱い、身勝手で嘘つきで
だらしない、どうしようもない人ということになる。
反面、コントロールを失った人間の本性とは、
存外、皆そんなものなのかもしれない。
回復とは、失ったコントロールを取り戻すことであり、
同時に、取り戻しつつあるコントロールも
一瞬にしてまた失う危険と常に対峙していることになる。
いわゆる、コントロールを有している者が、
失った者を責めたところで意味がない。
そして、この病気の厄介なところは、コントロールを
有している者を巻き込むことで、その人をもまた異なる
疾患へと陥れることなのである。
トラックの内輪差ではないが、巻き込まれないという
ことも、当人の周りにおいては重要なことである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/08/96bf64ad41b6a0ce772db3d7e989823c.jpg)
依存症という病気を一言でいえば、コントロールを
失う病気である。
よって、その判別は比較的容易である。
要するに、依存対象となるものを断って、
継続できるかどうかである。
お酒の場合、週に2日、休肝日を設けて、
それを1年でも2年でも変わらず継続できるなら、
その人は依存症ではない。
無論、飲まずに1か月でも2か月でも過ごせる
人はコントロールを失っておらず、依存症ではない。
依存症であれば、飲みたくなくとも飲まずには
おられない。
したがって、依存症そのものの病識のないものが、
依存症患者を見れば、意志の弱い、身勝手で嘘つきで
だらしない、どうしようもない人ということになる。
反面、コントロールを失った人間の本性とは、
存外、皆そんなものなのかもしれない。
回復とは、失ったコントロールを取り戻すことであり、
同時に、取り戻しつつあるコントロールも
一瞬にしてまた失う危険と常に対峙していることになる。
いわゆる、コントロールを有している者が、
失った者を責めたところで意味がない。
そして、この病気の厄介なところは、コントロールを
有している者を巻き込むことで、その人をもまた異なる
疾患へと陥れることなのである。
トラックの内輪差ではないが、巻き込まれないという
ことも、当人の周りにおいては重要なことである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/08/96bf64ad41b6a0ce772db3d7e989823c.jpg)