ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

春の雪

2020年03月30日 | ノンジャンル
もう8年になる。

震災の影響で、各工場が非常用の発電機を
常備しようとして、国内ではレンタル製品も含めて
大型の発電機は手に入らなくなった。

新規発注でも半年から一年という納期で、停電が
命取りとなるメーカーでは、喫緊の急務となった。

外国製の発電機を当たり、納入することになったが、
これも肝心のエンジンが品薄で納期が遅れ、
すったもんだの挙句にようやく納入にこぎつけた
ものの、調整や稼働において問題が頻出した。

何とかまともに動くようになって、やれやれと
ひと息ついたのが年末の大晦日ギリギリである。
年越しを稼働させながら迎える予定が、途中で
トラブル停止した。

現場はもとより、こちらも最悪の年越しであった
記憶が今なお生々しい。

その後、一つ一つの問題の原因を潰していく中、
最後の補修作業を春に行った。

前日に現地入りして、宿泊したが、朝起きて
外を見ると、一面真っ白の雪であった。

作業は屋外である。ブルーシートで作業場を
カバーして、補修を進め、指先やつま先の感覚が
なくなり、痛みさえなくなったところで終了した。

過酷な現場ではあったが、稼働させたときの、
見違える様な運転状況に、安堵と喜びと、
一気にそれまでの疲れが出たような複雑な思いに
包まれていた。

変な話だが、長い冬に耐えてきた雪国の人が
春を感じた時とはこういう事かと思いを巡らせて
いたのである。

昨日は、関東方面で春の雪日となった。
その情景を眺めていると、あの時の記憶が
まざまざと蘇る。

春の雪は、なごり雪でもなく、寒の戻りでもなく、
新たな始動という、行く雪なのである。

年明けから停滞が続いてはいる。
だが、この雪は、何かしら春の始動を思わせる。
春よ来いではなく、春を生くなのである。





彼岸

2020年03月24日 | ノンジャンル
父の一周忌となった。

あれからもう一年とは、引き絞った
弓から放たれた矢のような感がある。

最後の顔、棺の中の顔。

どれとも違う姿で、初めて父は夢見に立った。

私はそれを普通に受け入れていた。

時はもう春のお彼岸。コロナで喧しいが、
墓園に向かった。

母親が亡くなって、がっくり来るかと心配したが、
その後19年も生きた。
性格的には、職人には珍しく社交的で、
引っ越しをしても、すぐに近所の人と仲良く
なっていた。

母親とは正反対で、生きることを楽しむ点でも
職人であったかのようだ。

その点で言えば、私は、恐らく、いや、まちがいなく
母親似であろう。

やるべきことをやって逝った母親は、自分の
生きるを楽しんでいただろうか。
孤独な自分が、4人もの子供をもうけ、育て上げ、
その孫を皆、腕に抱いた上で逝った。

彼女にとっては、それが全てであった。
そして、早逝ではあったが、満足していただろう。

その後の19年を、父親は自分なりの満足の
仕方で生き、そして逝った。

時間の差はあっても、夫婦共に満足な生涯を
送れたのなら、それは幸せというものだろう。

家庭に恵まれなかった家内と約束したことがある。
最後まで見守り続けると。
だが、その時が徐々に近づいてくるのを意識した時、
私にはその約束を守ることができないと思う。

たとえ一日でもいいから、先に逝きたいと
思うのだ。

家内を見送った後の自分の生きるが想像できない。
口にはできないが、秘かに、自分が先に、
自分が先にと念じているのである。





飽きてきた

2020年03月17日 | ノンジャンル
コロナウイルスの感染拡大も、震源地?の中国は
ピークを越えたようだが、他国への拡大が
止まらない。

日本でも連日連夜、感染に関わるニュースが
途絶えることはないが、コロナにせよ、それに
付随するマスク不足にせよ、もう大阪の人達は
飽きてきているようだ。

観光客がいなくなり、休校や、イベント中止などで
閑散としていた場所も、徐々に人が増え始めている。

何と言っても、大阪人は、飽き性なのだ。
毎日毎日コロナコロナと、もうええっちゅうねん
というのが本音だろう。

かくいう私も同じである。

これだけ感染が広がってくると、初期のような
感染したら犯罪者のような扱いを受けることも
あるまい。
ウイルスの症状より、心的な不安の方が強かった
はずである。

中には、感染したことにさえ気づかず、
ばらまくだけばらまいて、自分は症状のないまま
普通に過ごしている人も多いだろう。

まして、2週間以上潜伏しているなど、
エボラの様に強い菌ではないし、感染が
生死に直結するようなものでもない。

感染したところで、死にはせんやろというのが
正直なところだろう。

誰が感染してもおかしくない状況であるなら、
基本的な予防を、しっかりとひとりひとりが
励行する事である。

それでも、四六時中クリーンルームに居られる
わけでもなし、感染する時はする。

もういい加減、何人感染した云々の報道は、
意味が無いように思う。

都会でのイベントは避け、郊外の自然と触れる様な
お出掛けをする人も増えてきた。

こんなことでもなければ、そんなお出掛けの機会も
なかったに違いない。

人や物の流れが止まれば、経済は破綻する。
止まると死ぬのは、私だけではなさそうだ。

飽きるのと慣れるのでは意味が異なる。
慣れるのは惰性、飽きるのは新たな始動に繋がる。

飽きたらすぐ新しい事に取り掛かる、それが
商いの町、大阪気質というか、心意気なのである。





マスク

2020年03月11日 | ノンジャンル
トイレットペーパー騒動も落ち着き、店頭で普通に
買えるようになってきた。

それでも今なお、ネットで高値販売している
者もいる。
バカバカしい話である。

マスクの品不足はなお深刻で、花粉の季節だと
いうのに、まだ店頭で買えるところは少ない。
入荷のうわさで、ドラッグストアの開店前から
行列ができている光景も珍しくなくなった。

取引先への支援ばかりに気を取られていて、
身近な社員の事に気が回っていなかった。

本社は東京なので、大阪よりも遥かにマスク
不足は深刻である。

2月に発注していた分が、ようやく届き、
各500枚ずつ、東京、大阪に配布した。

驚いたのは、本社の一人一人から、感謝の
メールが届いたことだ。
よほど切迫していたのだろう。中には、
休日に1週間分のマスクを手作りしている
者もいた。

花粉症の人、まだ小さい子供がいる人などは
もとより、通勤で長時間、満員電車に乗る
状況を考えれば、その切迫さは理解できる。

少し割高となるが、追加で1000枚を発注して
おいた。調達先はインドである。
納入は月末であろうから、5月くらいまでは
しのげるだろう。

私はと言えば、花粉症もなく、通勤もほぼ
自車なので、特に必要ではない。
冬の寒い乾燥した夜に、マスクをして寝る
ことはあるが、暖冬のこの冬はそれもあまり
なかった。

コロナウィルスの不安の中で、インフルエンザの
患者数は、例年に比べてかなり少ないらしい。
これは、マスク不足によって、手洗い、消毒、
うがいなど、予防のための処置を各人が
励行しているためだろう。

終息への近道は、やはり一人一人の意識と
行動によるという証左でもある。

マスクよりも手洗いが重要である認識を
広めてきたことにおいては、この騒動も
それなりの意義があるだろう。





屹立

2020年03月06日 | ノンジャンル
年明け早々、昨年の水害の寄付を目的とした
チャリティーバザーがあり、友人が主要メンバー
として参画していたので、立ち寄った。

苔リウムに使えそうな、陶器皿などを購入したが、
あるコーナーでは、書家の先生が好きな字を色紙に
書いてくれるという。

今一度、初心に還ろうと、「原点」という文字を
書いてもらおうと思ったが、一年断酒で頂いた、
故院長先生の書がある。

二つもいらないなと思い、別の言葉にしようと
想いを巡らせるが、なかなか一年の計とする
ものが浮かばない。

ふと思いついたのが、「屹立」という言葉だった。

早速それを書いてもらったが、なかなかイメージ
通りで、さすがという気がした。

孤立ではなく、屹立である。

世間で言う、富や権力、名声や健康といった
価値観を凌駕した、己が精神の屹立である。

地に倒れ、泥にまみれ、馬鹿にされようと、
笑われようと、今を生きる己心の屹立があればよい。

これは、人生の仕上げの段階に入ってきた
一人の人間の、生きる指標でもある。

地に足をつけ、また一日一日の足跡を、
今年も遺していくのみなのである。