ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

一粒の米

2009年10月29日 | ノンジャンル
お米一粒には、お百姓さんの八十八の手が掛かって
いるのだから、無駄にしないで大切に食べなさい。

昔、ご飯をこぼしたりするとよくそう言われたものである。
もちろん今でも子供達には同じように私が言っている。
自らの命を支えるために、他の命を頂くというのであれば、
人としてその命に礼を失してはならない。

食事時の横着な姿勢や態度は、厳しく戒めて
きたつもりである。

さて、現実的には、米一粒ぐらいは、茶碗一杯のご飯を
食べる分には何ほどの事はない。あってもなくても
変わらない。
これは、人間というものの認識を主体とした見方である。
何キロもあるお米のうちの一掴みなど、取るに足らない、
どうでもよい事に思うのも人であり、いや、その一掴み
こそが、全体であるのだと認識するのも人である。

当のお米にしてみれば、どちらでも良いことである。
ただ自然の、ありのままの存在であるにすぎない。
でき得れば、その本来の役割であるところ、つまり
大地に振り落とされ、芽を出し、再び後継を輩出する
事を、全うできれば良い。

人間は、その役割を果たす可能性とエネルギーを
秘めた種を、自らの生命に置換する、つまり食べる
のである。食べられたなら、その米は本来の役割とは
全く転換された役割となって、他の命を支えることになる。

そのお米に無駄はない。無駄を生み出してしまうのは
人間だけである。

社会の大衆の中で、確かに自分自身はこの世で一人の
人間であるのだが、それは誰でも同じ事である。
自分一人がいなくとも、何も変わらないと自分を見るのも、
いや、自分がいなければ社会自体がないのだと見るのも、
またこれは人間の認識の仕方に過ぎない。

この世に生れ、今を生きる以上、自身にどのような力や
可能性が秘められているのか、何を為すべきなのか、
いや、むしろ何を求められているのかを考える時、
初めて自分自身という存在を知覚できるのではないか。

その時、ありのまま、一粒の米となって、芽を出すもよし、
衆の中で一体となって進むもよし、後に大地に帰るのも
よしなのである。

大河の中の、取るに足らない一滴と捉えるか、
大河の源流の一滴と捉えるか、大河の本流と一体の一滴と
捉えるか。その捉え方は人それぞれである。
そして、それはその人の生き方なのである。





お酒とは

2009年10月27日 | ノンジャンル
嗜むもの。

本当にお酒が好きで、嗜みを持つ人は、

依存症にはならないだろう。

無理して飲むものでも、頑張って飲むものでもない。

美味い酒を楽しむ人にとってみれば、嗜み方も知らぬ

飲み方で依存症になったものが、お酒を害悪と

みなすことは、笑止であろう。

楽しむべきお酒を、現実逃避の手段としたのは

自分自身である。

ストレス解消の手段として飲むか、楽しい一時として

味わうかでは雲泥の差である。

一杯のお酒が、料理を引き立てる。

料理には目もくれず、渇えるようにひたすら

飲んでいた。

「どうしてそんなに飲むんだ?」

『忘れたいためさ。』

「一体何をそんなに忘れたいんだ?」

『忘れたよ。』

求めているのは陶酔と麻痺。

もうとっくにお酒は楽しむ、嗜むものから、

薬物、毒物へと自ら変えていたんだな。

アルコールは自然にある物質。ドラッグは人工。

自然のままであれば良いものを、ドラッグと

してしまったのも自分自身である。

自らが招いた災いを、お酒のせいにするなど、

卑怯千万というものだ。





綿毛ひとひら

2009年10月25日 | ノンジャンル
女の子が小さな命を散らせて、3週間となった。

慌しい3週間だった。

それがかえって救いとなっていた。

消えない声、笑顔、明るい影。。。

本当に淋しいのは、お別れのその時じゃない。

ふと風が吹いた時に、もう同じ世界にいないと感じるときが

淋しいのだろう。

これから、ずっとその淋しさを抱いていこう。

たんぽぽのような笑顔を忘れない。

そして、ふわふわの綿毛となって飛んでいったことも。




DEPARTURE

2009年10月24日 | ノンジャンル
夜が明ける前、タイを締める音が耳に高い。

ひんやりと湿った夜気の中、車に乗り込む。

道は空いていて、行き交う車もまばらだ。

駅では早朝にもかかわらず、多くの人達がいることに

いつも驚かされる。普段自分が寝ている時間にも、

働く人達は多くいる。

電車の窓から朝日が昇る。晴れた空に差す陽の光は

みるみるうちに眩しくなる。

カウンターでチェックイン、ブリーフケースを片手に、

ゲートへ向かう。訪問先への手土産を買い、

空港ラウンジでしばし一息。

搭乗して飛び立てば、地上とは打って変わった痛いほどの

光の中へと入っていく。




巡航高度に達し、空の上とは思えない穏やかな時間が流れる。

やがて水平線が光と影の境となり、地上では見ることのない

星たちの群れが窓の外の閃光の合間に広がる。




夜間飛行というのは多くの乗客と共にいる機内であっても、

孤独を深く感じると同時に、宇宙に包まれる一滴の

自分を感じる。

やがて、再び水平線が燃えるようなオレンジに変わり、

目も開けられないような陽射しというより、光線に包まれる。

着陸と同時に、さあ始まるという緊張感が心地よい。

反対に帰国の着陸は、身体の芯から疲れが出る瞬間だ。

私はこの仕事がやはり好きなようである。



自由と孤独

2009年10月18日 | ノンジャンル
男が独り旅立つときに感じる自由への高揚は、
同時にほろ苦い孤独の覚悟を秘めている。

恋心にも似た、甘い香りと柔らかな温もりに包まれて
いたい想いと、それ以上に、独り過酷で自由な天地に
身を預けたい本能的な渇望がいつも心でせめぎあう。

大地に根を下ろし、大樹となって枝を伸ばし、
葉を茂らせる盤石な存在となりたい想いと同時に、
根無し草の自由で孤独な流浪の存在への憧れが心に
つきまとう。

旅の切なさ、ほろ苦さ、淋しさを身に沁みて感じながら、
温かで安全な港に戻れば、また想いは旅立ちへと向かう。

身勝手で厄介だとは思うが、男とはそんなものである。


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