ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

オン・オフ

2018年02月28日 | ノンジャンル
ウイークデイと休日のメリハリは、基本的に
ネクタイの着用か否かである。

一日においても、朝、ネクタイを締めると仕事モード
オンとなり、帰宅してネクタイを外すと、オフとなる。

昼間から、酒瓶を片手に路上に座り込んでいるような
イメージとは掛け離れた、一見キチっとした人も
この疾患に罹っているケースが多くなっている。

いわゆるネクタイアル中である。

ネクタイを締めている間は、接待といえども
仕事モードで、酔えない抑圧の中で飲む。

帰宅してネクタイを外せば、ようやくオフモードと
なった解放感で、自分のために飲む。

休日の楽しみは、何の抑圧もない解放感の中で
好きなだけ飲めるという事だった。

さて、ゆがんだネクタイを締め直すことを、
シェイプアップという。

朝、キリっと締めて、心をシェイプアップし、
その日一日、ベストを尽くして、ネクタイを緩める。

そのオン・オフは、もちろん、お酒中心ではなく、
自身のやりたいことが中心である。

仕事でやるべきことは、できるだけやりたい
ことへと昇華させていく。
オフモードでは、もちろん、やりたいことを
そのままする。

交感神経と副交感神経、緊張と緩和、オンとオフ。
やりたいことをしている時は楽しい。
オンもオフも、楽しみたいと思って、
日々を過ごしている。





男前

2018年02月25日 | ノンジャンル
結婚した時、家内はまだ21歳であった。

もう27年も経ったことになるが、今に至るまで、
互いに○○さん、○○ちゃんと、名前で呼び合って
いる。

波乱万丈と言える歳月を共に過ごしながらも、
彼女は私と一緒になって良かったという。

同時に、21という若さで、しっかりと人を見る目を
持っていたと自分を褒めることも忘れない。

思えば、私がどん底の時、周りからボロカスに
批判された時、堪え難い屈辱に苛まれていた時、
私の盾となって、本気で周りを敵にする覚悟で
屹立していたのは彼女だけである。

同時に、私に対する最大の批判者であったのも
彼女である。

その彼女が、内面の滲み出る年齢となった
私を見て、若い頃よりずっと男前になったと
評するようになった。

他の誰でもない、家内に男前と評されるなど、
男として生まれた男冥利に尽きるではないか。

いくつになっても、今が一番男前と言われたい
ものである。





ネット断酒

2018年02月23日 | ノンジャンル
個人的には、ネット上の交流だけで断酒を決意し、
継続させてきている人はほとんどいないと思う。

所説あり、意見も様々だろうが、いわゆる
ネット断酒なるものは不可能と考えている。

無論、病識を深める情報媒体、励まし合う場、
体験の共有という点では、一助となっていることを
否定するものではない。

それが、実際に会うことはできない人であっても、
一緒に断酒を継続していこうという同士を得る
ことができれば、その交流の中で断酒継続は
可能であるだろう。

相手の顔を見ながら話をすることも今では
ネット上では普通の事となった。
単に言葉だけのやり取りではなくなっている分、
昔に比べれば遥かにその有用性は高いかもしれない。

だが、互いに膝を寄せあって、生の体験を分ち合う
例会でさえも限界がある。
一つの体験と、その体験を通じて今ある姿を
見てさえなお、その捉え方は人それぞれである。

つまり、その人の訴えたいことがどれほどの人に
正しく通じるかは、実際に会って話をしていてさえ
わからないのである。

そうしてみれば、いかなる形態の交流にも限界が
自ずからあるということになるが、言葉にもできない、
表情や素振りでも表しきれないものが、相通じる
ことがある。

そして、それが起こるのは、ネットではなく、やはり
人と会うことでしかないのである。

いつであったか、院内例会での私の体験に、
スタッフは紋切り型の「貴重な体験をありがとう
ございました」などといって締め、私をがっかり
させた。

「良かったよ」「すごいね」「ありがとう」
「これからも頑張って」「共に頑張ろう」等々、等々、
どの言葉も、作り笑いも、挨拶も、握手も、拍手も、
全てを虚しく感じていた。

と、私のもとへ一人の憔悴した人が来られた。
彼とは一面識もない。その人が、私に握手を求め、
両手で私の手を握ったまま、何度も何度も
うなづいていた。

一言も言葉を発せず、ただ私の手を強く握って
うなづく彼の姿に、私の中でなにがしかの
化学反応が起こった。

それまでの虚しさは消し飛んで、熱いものが
込み上げてきた。
彼の心の声を、直接、自身の心で聞いたような、
不思議な感慨であった。

それは間違いなく、これまでの断酒継続を支える
一つの感動であり、忘れることのできない
瞬間である。

この体験は、ネット上では恐らく不可能と思うが
故に、ネット断酒は可能かどうかなどという
議論には関与する興味も関心もない。

少なくとも、その人の人生を変えるほどの化学変化は、
仮に言葉を通じてであっても、その奥にある、
言葉を越えるものによって起きることを身をもって
経験しているからである。