ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

冬戻り

2021年01月29日 | ノンジャンル
例年なら、最も寒い時期なのに、暖かい日が
続いている。

正月とその後の3連休の厳しい寒さが嘘のように
時には春のような汗ばむ日もあった。

日差しの温かい小春日和。日が沈むと途端に
冷え込みだした。同じ日の気温とは思えない、
極端な寒暖差だ。

こういう時に思い出すのが、山の天気である。
雲一つない青空が広がっていても、日暮れと共に
急に吹雪いたりする。

汗ばむほどだったのが、骨の芯まで凍てつく
ような寒気になり、時に命に係わる。

ともあれ、年明けの一月は、天候のせいも
あるだろうが、久し振りに長く感じている。
正月からもう随分と時間が経過したような
気がするが、ようやく来週、2月に入る。

忙しければ時間の経つのが早く感じられ、
閑であれば、長く感じるのと同じだろう。

年明け早々、弛緩した心身を引き締める
意味では良いかもしれない。

長く感じる一日ならば、その長さに予定を
詰め込むのではなく、長さそのものを
楽しもうとも思うのである。





倦怠

2021年01月25日 | ノンジャンル
腰の痛みも治まり、それなりに課題もひと段落して
迎えた誕生日は雨の日曜日。

取り立てて、欲しい物があるわけでもなければ、
食べたいものもない。やりたいことがある
わけでもなく、もし明日死ぬとなったとしても、
特に後悔はない。

無気力というわけではないが、終活という意識が
より現実的になってきて、家族や会社の未来を
踏まえて、その布石を残された時間で打つこと
のみを考えている。

思えば、断酒も幼い子供たちを残してはいけない
との思いで覚悟した。
その子供達も、もう一人前になった。

覚悟とか決意とかいう、そういう気張った思いも
今ではなくなった。

お酒を飲むつもりは無論ないが、飲もうと
飲むまいと、どうでもよくなっている。

こういう倦怠感に包まれた年の初めというのは
本当に久し振りである。

やるべきことは、迅速にやるものの、
あえて進んで何かに取り組む気力がない。

コロナ禍で、明日をも知れぬ不安な日々を
過ごしておられる人達には申し訳なく思うが、
それとて、つまりは他人事である。

死ぬのは他人ばかりであり、自らの死の不安も
死と共に消え去る。

これからの生きる糧は、どれだけあるかわからない
残された時間の意識と、その時間を
どう生きるのかの問いかけに他ならない。

そして、問いかけとは、迷いでも逡巡でもなく、
行動なのである。





還暦

2021年01月21日 | ノンジャンル
子供の頃の60代の大人は、もうかなりおじいちゃん、
おばあちゃんに見えていた。

今では、若い世代よりも元気で若々しい年代と
見えている。

ところが、いざ自分が還暦に近くなってくると、
子供の頃の記憶で、急に老け込んでしまうような
気がして嫌になる。

身体にもいろいろとガタが出ていて、それと
うまく付き合いながら日々を過ごしているものの、
成長がないとも言うべき気持ちだけは相変わらず
若いままである。

ともあれ、人生を一周し、新たな人生となる節目で
あることを自覚するには、今からその心づもりを
しておかないとと思う。

今では長寿でもないが、一応長寿のお祝いで
赤い祝いをするなど興味もない。
厄払いという人もいるが、大掃除でもあるまいし、
それなりに日々、身に積もる厄は払っている
つもりである。

自分の為、家族の為の60年。
次なる新生は、何の為か。

まあ、できれば、為を考えない新生としたい
ものである。





大寒

2021年01月20日 | ノンジャンル
日中が少し長くなってきたと感じるこの頃、
一年で最も寒くなる時節でもある。

今日は大寒。例年なら嫌でも身に染みる寒さで
意識せざるを得ない節目だが、今年は正月と
その後の連休の寒波があったせいか、初春の様に
空気も柔らかく、穏やかな日和となっている。

しばらくはこの穏やかな日が続きそうだが、
大寒近くに生れた私にとっては、何となく
そのぬるさが気持ち悪い。

骨の芯まで凍りそうな痛い寒さがあって、
少しの寒気の緩みを感じるのが1月の終わりから
2月と、身体の季節時計がなっているので、
今年は体調に気を付けないといけない。

年明け早々、腰を痛めたのも、そのあたりの
影響があったかとも思う。

身体を冷やさないということでは、このまま
穏やかに春へと巡ってくれたらよいのだが、
そうそう都合良くはいかないだろう。

我が家のボンちゃんも、つい先日、最後の
一葉を落としたばかりだというのに、
昨年よりも遥かに多い芽が膨らんできている。

囲われた抑圧からか、囲いを越えて左右に
大きく翼を広げるように枝を伸ばしたのが昨年。

今年は、思う存分にその枝に葉を茂らせる
ことだろう。

自身も昨年、身をかがめてばかりいた分、
今年は伸び伸びと背伸びをしたいと思うのである。





ポールダンス

2021年01月14日 | ノンジャンル
この20年というものは、欧州と東南アジアが
主要な出張先となっているが、それ以前は
圧倒的に北米が多かった。

駐在の話もあったほどだから、一回の出張が
数週間、あるいはひと月以上という事も
少なくなかった。

現地での休日は、観光に飽きると、バスケや、
アイスホッケーの試合を観に行ったりしたが、
若い頃なので、いわゆるヌードパブに連れて
行ってもらった事もあった。

お酒を飲みながら、ステージ上の
ストリップショーを楽しむスタイルだ。
中には、ポールダンスをする女性もおり、
そのレベルはかなり高かった。

ステージを囲むように配置されたテーブルは、
言わばかぶりつきの席で、なかなか空席がない。
そんな時は、マイクタイソンのようなボーイに
チップを握らせて、席を作らせる。

テーブルダンスと言って、客の目前で指名した
女性がダンスをするというサービスもあったが、
もちろん、別料金である。

女性には当然ながら触れることは出来ないし、
ヌードといっても、トップレスのみで、アンダーを
脱ぐことはない。

テーブルダンスでは、客にまたがるようにして
くねくねと踊るのだからたまらないのだが、
一切タッチはできない。
触ろうものなら、何人もいるマイクタイソンに
摘まみ出されてしまう。

チップの1ドル札を何十枚と用意しておいて、
それをステージ上で踊る女性に合図すると、
こちらに寄ってくる。

手渡しなどと言う野暮なことはしないで、細長く
折った1ドル札を口にくわえてアンダーに
向けると、パンツを引っ張ってそこに入れろと
誘ってくる。
その時にちらりと見えるアンダーヘアが
艶めかしい。

デトロイトにいた時は、こういうヌードパブを
梯子した。同じパターンでは面白くないので、
2件目はデトロイト川を渡り、カナダの
ウインザーへ行く。

アメリカでは御法度だが、カナダではアンダーも
脱ぎ、文字通りのオールヌードショーとなる。

若い男にとっては、どちらにしても生殺しで、
悶々としながら帰ったものだが、今なら
コーラでも飲みながらポールダンスを楽しめる
だろう。

西洋人のスラリとしたスタイリングがポールを
中心に旋回するのは、芸術的でさえある。

今なら、その、美の芸術性を邪心なく楽しめると
思うのである。