ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

守られしもの

2007年10月27日 | ノンジャンル
先週の例会で、自分にとって最も苦しい時の事を話したが、
今日の診察で、先生もしみじみと当時の事を振り返っておられた。

単に、変死、自殺という事で終わっていたかもしれない。
事実、そういう状況で亡くなった人も多い。
カミサンが気付くのが遅れたなら、気付いても、私の理性が
幻覚に完全に凌駕されていたなら、今ここに私はいない。

本当に危ない状態だったと先生は仰るが、実際は、ピークを
多少とも過ぎた段階で病院へ駆け込んだはずである。

その前夜のピークの時、何がどうなっているのか訳がわからない
家族の恐怖も、ピークであったに違いない。

ともかくも、その訳のわからない状況の中で、カミサンを支えて
いたのは、子供達の、「お父さんを助けてあげて」という
言葉であったらしい。

今、その時とは比べようも無い私の姿に、やたらとくっついて
きたがる子供達の気持も良くわかるような気がする。

ギリギリの所で、家族に守られ、母親に守られ、父親に守られ、
先生や医療スタッフに守られて、今の私がある。

そして、今尚、守られしものとして、存在できている事も
確かなのである。

感謝する事を忘れてはならないが、それ以上に、生かされている
という事をゆめゆめ忘れてはならない。



やすらぎ

2007年10月24日 | ノンジャンル
夜明け前頃であろうか、何となく心地良く目が覚めかけた。

頭も身体も半分寝ていて、目を開ける事もできなかったが、
どうやら、カミサンが横で添い寝している事はわかった。

ん? なんだろうと、考えるのも億劫でそのまま寝ていた。
私の横で、まるで母親のように添い寝して、私の頭を撫でている
ようだった。毛が生えてきますようにとでも思っていたの
だろうか? でも、なんで今日に限って? こんな朝早くに?

カミサンの方に寝返りを打つと、顔が胸元に当たって、温もりが
伝わってくる。すると頭を撫でていた手を私の肩において、
子供を寝かしつけるようにトントンと叩き出した。

え? 一体なんなんだろうと思いながらも、こういうのって
何十年振りかなと不思議な気分であった。
そのまま芯からホッとして、何の不安も無い、安らいだ気持で、
再び深い眠りに落ちた。

スッキリと目覚めた後、出掛けにその事を訊いてみたかったが、
いつものバタバタした朝で、訊けないまま家を出た。

なんだか、わざわざ訊かない方がいいような気がして、
帰ってからもその事には触れずにいた。

それにしても、なんだったんだろう???
夢だったんだろうか?

いや、むしろ、カミサンがそうせざるを得ないようなおかしな
夢でも見たんだろうか?

よくわかりません。




その時

2007年10月21日 | ノンジャンル
今日は、断酒会の全国大会があり、参加された方も多くいらっしゃる
事と思います。

こちらでは、院内の月例会がありました。テストも終わり、
欲しいものがある娘は、勇んでついてきました。

実は、前々から考えていた事がありました。それは、もう2年と
4ヵ月が過ぎ、娘も中学3年生。私が断酒を開始したのが、彼女が
中学に上がった年の6月。そろそろ、あの一番苦しい時の事を、
機会があれば、彼女の前で話そうと、考えていたのです。

突然、一人言が多くなり、ベランダから身を乗り出したり、
その夜におじいちゃんの家に行ったかと思うと、次の日には病院へ
行き、ふらふらになって帰ってきた私の姿に、大きなショックを
受けながらも、何が起こったのか訳がわからないでいたであろう
娘に、その時の話しをする時期が来たと考えていました。

前回の例会では、息子もいましたが指名されず、その機会を失し
ましたが、今回はまず彼女が指名されました。
私の思いと符合するように、彼女の話しは、「その時」のことが
中心となったものでした。

次に指名された私は、最も苦しく、話しても話しても尽きない、
その三日三晩の話しをしました。
話し終えた後、一気に疲れが出たような感じがしましたが、
同時に、安堵に似た気分もありました。

後で、あの時何があったのか、私がどういう状態だったのか、
わかったかと娘に聞くと、ひどく納得したように、
うなずいていました。

ようやく、娘に理解してもらえる日を迎えられました。
これまで何度も私と例会に参加してきて、この病気のことを
ある程度理解できるようにはなっていたでしょうが、当人である
私自身のその時の状態がどうであったのかは、まだまだ理解
出来ないと、努めてその核心の話しは、彼女の前では避けて
きたのでした。

今日、話が出来た事は本当に良かったと思っています。
それでも、自身にとって、よほど大変だったのと安堵したのとで、
家に帰ると、そのまま夕食まで、寝込んでしまいました。

皆で夕食の食卓を囲んで、一時を過ごした今、心地良い疲労感と、
ホッとした気持に包まれています。



ベランダの風景

2007年10月20日 | ノンジャンル
南に面したベランダからは、220度位の範囲で景色が楽しめます。

ここ数年で、高い建物が増えて、景観を損なってきた面も
ありますが、西は河口から大阪湾へと広がり、阪神高速の湾岸線が
河口を横切っています。

USJのそばのJALホテル、京阪ホテルの向こうには、天保山の
観覧車が見え、舞洲と繋がる大橋の吊り橋脚が臨めます。

東は、三井アーバンホテルのタワーの向こうに、京セラ大阪ドーム
が見え、その向こうに小さく通天閣が見えます。
その左側には、大阪の中心街のビル郡。さらに左には、梅田周辺の
高層ビル群があり、夜は明るく輝いています。

月は西より出て、東へと移る様を見る事が出来ますし、
夕刻のラッシュ時には、伊丹空港へと向かう飛行機が3機ほど、
連なって見えます。

自宅自体は、淀川沿いの、殺風景な場所にあるのですが、玄関や
ベランダから見える景色は、色とりどりで賑やかです。

昔は、特に夏場は、ビールを片手に、ぼんやりと景色を眺めながら
ほろ酔いに。。。という事も多かったのですが、今では一日の
終わりに、疲れを投げ出すような感覚で眺めています。

閑静な山あいから河口への風景と、賑やかな都会の夜景まで
眺めることができるこのベランダは、とってもお気に入りです。

とはいえ、ここから落ちていたかもしれないんですよねぇ。



嘘というもの

2007年10月18日 | ノンジャンル
嘘を好きな人はいないだろうが、子どものバレバレの嘘というのは、
愛らしく感じる。もっとも、同じ嘘でも大人がつくバレバレの嘘は、
うすみっともなくて、呆れられるか、軽蔑されるだけであろう。

自分は結構平気で嘘をつくくせに、他人の嘘は許せないという
人も多い。
私もご他聞にもれずその口ではあるが、突き詰めて言えば、
要するに本音と、真実を知りたいと思う気持ちが強いせいだと
思っている。

推察も、思慮も、真実の前では、ただの戯言に過ぎなくなって
しまうこともあり、基本的に自分としては、ありのままの現実、
真実というものを直視した上で、物事を考えてみたいという
願望が強い。
だから、他人の嘘というものが嫌いではあるが、どうでも
いいようなことに対しては、さして気にもならない。

それとは逆に、自分が嘘をつくときには、それほど苦には
しないようである。
うしろめたさがつきまとうような嘘は、わざわざつきたくも
ないが、自分が嘘をつくときは、少なくとも自分自身がその
本音や、真実をはっきりと分かっている。
つまり、明らかな、本当の事を分かっている上でつく嘘なので、
嘘も真実も抱き合わせで自分にあるという点で、変な言い方では
あるが納得できているのである。

人間である以上、ある真実を胸に抱きながら嘘をつかねば
ならない場合もあるだろうが、その場合は、嘘をつき通して、
墓場まで持っていくぐらいの覚悟も必要なのである。
その覚悟もないようなものであれば、さっさと謝るなり、
真相を吐露して、楽になってしまった方が良い。

建前にしろ、お世辞にしろ、厳密に言えば多少の嘘が
含まれるし、本音と正直さだけで生きていくのは、かなり
難しいことともいえる。
要するに程度と、本質的な意味での問題であり、そのあたりが、
嘘と方便の差であるかもしれない。

事実、嘘のつけない、正直な人もいるのだが、それでも
方便として、より良い方向を志向する、させるといった事は、
多々あるであろう。

「嘘も方便」というのは間違いで、嘘と方便は厳格に区別される
べきものと思われる。

自分では、嘘をつき通すことが出来ない人間だと思っているが、
同時に、正直に生きていくことも難しいと感じている。

要するに、苦しくともつき通すべき嘘と、真実を併せて抱える
という覚悟が無いことは、さっさと捨てて、正直であれば
よいと思うのである。

子どもは、嘘とわかる嘘をついて、簡単に嘘と見破られる事で
安心して正直さを身につけながら成長していく。
同時に、円滑な人間関係を築くには、方便が必要である事も
学んでいくのである。

方便は使い捨て、嘘は、抱えるか楽になるか、そして己の信念に
則って、抱えるなら抱えるで、それも良し。なにも、わざわざ
苦しい思いをする必要はない、正直に生きていくというなら、
それも良しなのである。

どちらが幸せなのかという根本的な問題については、その中間の
グレイゾーンを生きている自分には分からない。
ただ、正直であらねばならないと信ずる事には、厳格に正直で
あろうとするのみである。