ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

夢中

2020年05月28日 | ノンジャンル
小さい頃、簡単なプラモデルがおまけか何かであって、
初めて組み立てという事をした。

確かジャイアントロボだったと思う。
頭、腕、脚を組み立て、最後に胴体に乗せ、
胴体前後を組むのだが、これがうまくいかない。
合わせる時に、頭が落ちたり、腕が落ちたりして、
何度やっても組めずに、泣いた記憶がある。

母親が見かねて、手伝ってくれ、ようやく完成した
時には、この上なくうれしかった。

以来、小遣いを貯めては、ありとあらゆる
プラモデルを組み立てた。

接着剤は蓋のないチューブがひとつ。穴をあけて
使うのだが、量に限りがあるので、足らなくなって
しまわないように気を付けないといけない。

時には、プラスチックを熱で溶かして組む作業もあり、
なかなか大変だった。

風呂で遊べるので、潜水艦などは好きだったが、
水中モーターなどは高価だったので、
ゴムでスクリューを回すタイプのものだった。

息子ができてからは、専ら多かったのが、
ゾイドという動物型ロボットだった。
これもずいぶん組み立てた。

昔のプラモデルに比べれば、接着剤を使わない
嵌め込み組み立てなのだが、感心するほど精巧な
部品と組み立て仕様になっている。

息子も大きくなり、組み立ててやる必要が
なくなってから、もうかなり長い年月が経った。

自粛生活が長引く中、ふと思い立って、プラモデルを
組み立てることにした。

なるべく小さく、精巧なものをと思って始めたのが、
最もお気に入りのタイプのガンダムである。

組み立て始めると、時間を忘れて夢中になる
ことができた。
久し振りの感覚である。

それにしても、最近のプラモの精巧さは、想像を
遥かに超えていた。
15センチほどの高さのものであるにもかかわらず、
指の関節さえ可動する。
部品もミリ単位のものが多く、指でつまむことも
ままならないものが多い。

昔なら半日で完成させていたものだが、一日や二日
では到底完成することは出来ない代物だ。

モデル自体は完成させても、装飾のデカール(シール)
を貼る作業が残っている。
このデカールも、ミリ単位以下のものが多く、
この作業だけでも、本体を組むくらいの時間が
必要だ。

それでも、夢中になって何かをするという事が
あまりなかったので、完成した時は小さい頃と
同じようにうれしさを感じた。

だがそれで終わりではなかった。
細かい作業、細心の注意、長時間同じ姿勢、
目の酷使。

それらのツケは、一気に身体に現れる。
動けないほどではないが、再び腰痛に悩まされる
日々が続いている。

もう一体あるのだが、組み立ては、しばらく後に
することとする。





直訴

2020年05月25日 | ノンジャンル
時代劇などで、御上に直接訴状を渡す直訴というのは、
切羽詰まって命がけでという設定が多いが、
実は日常茶飯事だったらしい。

町役人を経てというのが、所定の手順なのだが、
この町役人というのが結構いい加減なもので、
まともな手続きではいつまでたっても
埒が明かないことも多く、直訴というのは、
一日に何度もあるような事だったようだ。

とはいえ、所定の手順を踏んでいないのであるから、
余程の内容でない限り、取り立てられることもなく、
殆どが廃棄、つまりは棄却という事になっていた。

もちろん、不届きな内容であればともかく、
直訴したからといって、罰せられることも
無かったようである。

しかしながら、目安箱に比べれば、その必死さの
度合いは高い。
まして、訴状である以上、匿名という事は
あり得ない。

今のSNSなどにおける匿名性は、ひとことで言えば
責任の回避である。

そもそも、匿名というのは、弱者を守る為である。
責任を回避し、自分の為の逃げ道をいくつも
用意した上で、素性も明らかな特定の人を
誹謗・中傷するなど、人として下劣である。

対等に批評し、意見交換をするなら、世間的に
知られている相手の素性程度まで自身の素性を
明らかにして行うべきである。

石打ちの刑というのがある。
身動きできないひとりに対して、石を投げ打つ
という処刑方法である。

非道だの、人のすることではないなどと
言いながら、自分は平気で石を投げている。

石が当たって、その人が亡くなっても、誰の石が
当たって死んだのかわからない。
投げた者は、自分の石ではないと言い逃れる。

石を投げられ死ぬ人。石を投げて平気でいる人。
この社会は、江戸の社会よりも遥かに退化している。





原産地

2020年05月22日 | ノンジャンル
言うまでもないが、製品がどの国で生産された
ものかを示すのが、原産地である。

いわゆるメイドインxxxxということだが、
実はこれは結構曖昧である。

例えば、OEMで、海外生産されたものを輸入し、
自社のパッケージで再輸出する際、原産地を
日本としている場合が多い。

原産地証明というのは、言うなれば自己申告で、
商工会議所でスタンプをもらうのだが、
登録されているサイン済みの書類は、ほぼ間違いなく
スタンプを押してもらえる。

私のサインも登録されているので、書類に
自筆サインすれば、日本産の製品として
輸出できることになる。

よって、原料から加工、完成に至るまで、純粋に
国内で一貫して製造されたものであるかを知るには、
原料の材料証明を取ることになる。

例えば、原料を輸入して、製品製造した場合、
製品の原産地証明は日本とできるが、材料証明が
中国であった場合、当然ながらそれを日本とは
できない。

その意味で言えば、純粋にメイドインジャパンと
言える製品は極めて少ない。

マスクの原料は、不織布である。製品といっても
ほぼ原料に近いものであるから、実際には、
原料の産出国が原産地であろう。

マスク不足も徐々に解消されてきており、
高騰していた価格も、平常とまではいかないが、
一時期に比べればかなり下がってきた。

その中で、S社のマスクをわざわざ抽選に応募して
かなりの割高な価格で購入する人の気が知れない。

家電メーカーがマスクを製造できるのは、
クリーン設備のある工場が空いていたからである。

生産工場は公表しているが、原料については
公表していない。

つまり、純粋な国産品ではないということだ。
手間と高いコストをかけても購入する人は、
記念コインのような感覚なのかもしれない。

下請けに、常に厳しいコストダウンを強いてきた
割には、自社製造品については、随分甘いのでは
ないかと苦笑しているのである。





解除

2020年05月20日 | ノンジャンル
静かな連休明け、大阪では休業要請の段階的解除が
15日から始まり、国も緊急事態宣言の解除を
関西地域に対し明日にでも行うようだ。

首都圏については、やはり月末頃迄様子を
見るようだが、連休明けから3週目を判断期間と
するのは至極妥当である。

大阪では1週目、2週目と解除が続く事になるが、
もうすでに人出もかなり多くなっている。

引き籠りのすすめのような自粛要請で積もった
鬱憤は、高速料金を払って渋滞に巻き込まれた時の
それと似通っている。

渋滞を抜け出した時、どうしても速度が上がって
しまうのも、その鬱憤晴らし的な要素が大きい。

解除の名のもとに、同じく渋滞効果が出て
しまわないかと懸念している。

経済というのは人と物、そしてお金の移動である。
そしてまさしくこの移動によって感染は拡大する。

自粛であれ、解除であれ、移動における接触という
点についての警戒と防御の必要性は、何も変わらない。

ワクチンができ、治療薬の確証が為され、
新型コロナがインフルエンザと同様の位置に
置かれるまでは、この接触警戒ということは
解除とはならないのである。





普通に飲む

2020年05月19日 | ノンジャンル
夜の接待も、出張もなくなって、早2ヶ月ほどになる。

毎日出勤している関係上、在宅での弊害もなく、
毎日同じような時間帯に帰宅して、規則正しい
生活となっている。

早朝に目が覚め、二度寝したところで、
寝坊することもなく、スッキリとした起床と
なっているが、もう何年振りかでお酒を
飲んでいる夢を見た。

しまった、飲んだ! ではなく、もういいだろうと
飲んでいるのでもなく、普通に飲んでいた。

また一から断酒だという落胆ではなく、
やめたい時にやめればいいという楽観でもなく、
飲んだらダメだったかなというかすかな
記憶と、別に飲んだところで何がどうという
事もないという安堵感があった。

ビールを飲みながら、今、再人気のハイボールを
飲んでみようと思っているところで目が覚めた。

宴会の場の様だった気がするが、確かではない。
お酒の味もしたかどうか、つまりうまいと
思っていたかも定かではない。

むしろ味は何もしていなかった。
ただ、その場の雰囲気は心地良く、楽しかった
ことはハッキリ覚えている。

もうすでに亡くなってしまった人達もそこにはいた。

飲まないは、意志ではなく希望。
飲みたいも、意志ではなく欲望。

希望も欲望も、今朝の雨上がりの様に靄が
かかってくると、本当は何が楽しかったのかが
見えてくる。

あの世で普通に飲むというのは、
そういう事なのだろう。