2月は逃げる、3月は去ると言われるように、
年が明けて2月、3月は本当に毎年ながら早く過ぎ去る。
会計年度末や、受験など、世間も慌ただしいので
仕方ないかもしれないと思いつつ、もう2月も
終わりとなる。
出処進退で言えば、半世紀以上も生きていると
どうしても処すること、退くことを先に考えてしまう。
それが老いるということなのであろう。
ともかくも結果を気にせず出る、進むという気概は、
若さというものであり、年齢には関係ない。
処するよりは一歩前へ出て、退くよりは進むことを
考えて、これからも生きていきたいものだ。
昔から、厳しい現実の局面に立たされると、
まず逃げようとする傾向がある。
立ち向かっていくべきだとか、立ち向かえなどと
自分を鼓舞しなければいけないのは、この傾向の
ためである。
弱い自分、卑怯な自分、臆病な自分、姑息な自分を
嫌悪するだけなら容易いことだ。
そういう自分の傾向をそのまま認めて、そこから
一歩踏み出す勇気を奮い起こす。
それができる時もあればできない時もある。
常に全勝ということはないだろうが、せめて
勝ち越しだけはしたいものである。
時の流れを早く感じるのが、それだけ自身が
逃げているからではなく、挑戦を諦めない奮闘が、
そう感じさせるものでありたいと、また今年1年を
願ってやまない。
年が明けて2月、3月は本当に毎年ながら早く過ぎ去る。
会計年度末や、受験など、世間も慌ただしいので
仕方ないかもしれないと思いつつ、もう2月も
終わりとなる。
出処進退で言えば、半世紀以上も生きていると
どうしても処すること、退くことを先に考えてしまう。
それが老いるということなのであろう。
ともかくも結果を気にせず出る、進むという気概は、
若さというものであり、年齢には関係ない。
処するよりは一歩前へ出て、退くよりは進むことを
考えて、これからも生きていきたいものだ。
昔から、厳しい現実の局面に立たされると、
まず逃げようとする傾向がある。
立ち向かっていくべきだとか、立ち向かえなどと
自分を鼓舞しなければいけないのは、この傾向の
ためである。
弱い自分、卑怯な自分、臆病な自分、姑息な自分を
嫌悪するだけなら容易いことだ。
そういう自分の傾向をそのまま認めて、そこから
一歩踏み出す勇気を奮い起こす。
それができる時もあればできない時もある。
常に全勝ということはないだろうが、せめて
勝ち越しだけはしたいものである。
時の流れを早く感じるのが、それだけ自身が
逃げているからではなく、挑戦を諦めない奮闘が、
そう感じさせるものでありたいと、また今年1年を
願ってやまない。