ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

逃げ去る

2015年02月27日 | ノンジャンル
2月は逃げる、3月は去ると言われるように、
年が明けて2月、3月は本当に毎年ながら早く過ぎ去る。

会計年度末や、受験など、世間も慌ただしいので
仕方ないかもしれないと思いつつ、もう2月も
終わりとなる。

出処進退で言えば、半世紀以上も生きていると
どうしても処すること、退くことを先に考えてしまう。

それが老いるということなのであろう。
ともかくも結果を気にせず出る、進むという気概は、
若さというものであり、年齢には関係ない。

処するよりは一歩前へ出て、退くよりは進むことを
考えて、これからも生きていきたいものだ。

昔から、厳しい現実の局面に立たされると、
まず逃げようとする傾向がある。
立ち向かっていくべきだとか、立ち向かえなどと
自分を鼓舞しなければいけないのは、この傾向の
ためである。

弱い自分、卑怯な自分、臆病な自分、姑息な自分を
嫌悪するだけなら容易いことだ。

そういう自分の傾向をそのまま認めて、そこから
一歩踏み出す勇気を奮い起こす。
それができる時もあればできない時もある。

常に全勝ということはないだろうが、せめて
勝ち越しだけはしたいものである。

時の流れを早く感じるのが、それだけ自身が
逃げているからではなく、挑戦を諦めない奮闘が、
そう感じさせるものでありたいと、また今年1年を
願ってやまない。





可能性

2015年02月13日 | ノンジャンル
このタイトルの記事はこれまで何度か書いてきたと
思うが、常に可能性というものに限りがない事を
結論付けてきたと思う。

人の遺伝子情報のうち、具体的に機能・反映されて
いるのが数パーセントだという。

遺伝子情報には限りがあり、その意味では無限では
ないが、90パーセント以上の眠れる情報が
あるのなら、既知の人間の特質は、まだまだ無限の
可能性を秘めていると言って過言ではない。

私たちは、この可能性という言葉を前向きで
建設的な意味で使うことが常だが、
それを後ろ向き、破壊的な意味で見れば、
残念ながらその負の面も無限ということになる。

善と悪を立て分けて、対立的に見て、悪を滅ぼす
というのは、本然的には不可能である。
表裏一体の一方を否定し、滅ぼすなら、
他方も滅びる。

本来、善と悪は一体であり、本然的に具わって
いるのであり、悪を制して、善の行動を起こそうと
するのが人として生きる意義深さでもあるかと思う。

他人に対する慈悲深さも無限であり、残虐性も
無限であるということだ。

テロリストが人質を殺害した残虐性について
喧しいが、この視点で見れば、その無限の残虐性の
一面であるかもしれない。

善良な人が、いくら上品にステーキを食べていようが
その裏側には、牛が首をはねられ、体内の血液を
出し切った後にバラバラに解体されたという事実がある。

自身の内に無限の残虐さと、善があることを認識した
上で、どんな人にもその両面が一体としてあり、
だからこそ善の方向へと向かう可能性があると
信じるということが、最も難しい事なのかもしれない。