ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

静夜

2020年12月22日 | ノンジャンル
何年か毎に、年末年始が寒波で雪になるほど
冷え込む年がある。

今年も、今は少し寒波が和らいだが、年末年始は
冷え込むそうである。

年の瀬、30日は満月である。
フルムーンで年末を迎え、元旦を迎えるというのは、
占星術ではどうなのかわからないが、何となく
大きな区切りや変化を想像させる。

最悪といえば、これほど最悪な一年もなかったろう。
最悪の後には最善と期待したものだ。

もはや宗教的な意味合いなどないイベントと
化したクリスマスも、今年は静かなものと
なるだろう。

聖なる夜でなくとも、静なる夜である方が、
今年一年を懺悔し、来年を敬虔に過ごすための
良い機会かもしれない。

生きていることの傲慢、若さゆえの傲慢、
健康の傲慢。
それらが打ち砕かれた点では、今年は今後、
忘れてはならない年となるだろう。

ただせめて、生かされていることに感謝する
者には、少しでも幸あれと祈るばかりである。





寒波

2020年12月17日 | ノンジャンル
12月にしては暖かいと油断していたら、
いきなりの大寒波で急に真冬になったかのような
ここ数日である。

コロナはもとより、気候もかなり不順で、何かが
狂っているとしか思えない一年である。

父方の郷里は岐阜で、正月はスキーに行くのが
常だったが、実家のあたりは温泉に近く、
それほど雪深い地域ではない。

だが、子供の頃、雪下ろしをしないと
いけないほど豪雪の年があった。
下ろした雪で、滑り台が作れるほどであった。

田舎の風景は、雪の中を川が流れ、山の木々の
枝は花が咲いたように白く、薄靄がかかっている。

そこに住む者には、見慣れた何の変哲もない
景色なのだろうが、私にとっては、
その張り詰めた空気といい、薪を燃やす焦げた
匂いといい、眼前に広がる鮮烈な風景といい、
どれもが強烈な感動と共に記憶に残っている。

父は6人兄弟で、従弟たちも大勢いたが、
私はむしろ一人でその風景の中にいる方が
好きであった。

納屋に炭があったので、雪だるまを作ろうと、
一人庭に出て、小さな雪の塊を転がしていた。
本当に小さな雪だるまを作ったところで、
ふと気が付くと、おじいちゃんが後ろに
立っていた。

おじいちゃんは、雪の転がし方を教えてくれ、
みるみる漫画で見る様な大きな雪の玉が
出来ていった。

この歳になって思い出せば、あの時の
おじいちゃんの気持ちがよく分かる。

生まれ育った故郷ではないが、雪の岐阜を
思う時、そこは紛れもなく私の故郷なのである。





オフライン

2020年12月15日 | ノンジャンル
断酒して15年、ネット上で知り合った
同じ断酒仲間も多いが、実際に会ったことが
あるのは3人である。

大先輩と、少し後輩、そして同じくらいの
断酒歴の人達である。

出張の時に、お住まいの近辺であった事から、
お会いして、食事などしたのが二人。

年に一度の全国断酒会に2度ほど参加したが、
その折にお会いしたのが二人。

いずれの時にもお会いしたのが大先輩となる。

それは、プチミーティングのようなもので、
それぞれの体験を話したり、近況を話したりと、
いずれの機会も楽しいものであった。

また、そうして同じ仲間に会いに行くという
事自体が、自身の断酒の糧にもなった。

なかなか再会というのは厳しい状況ではあるが、
飲む、飲まない以前の問題として、生き辛さを
感じる時は、ああ、あの人も、この人も
頑張っている。
自分も、できる範囲で、もう少し頑張ってみよう
と、鼓舞されてきた。

仲間とか、友というのは、そういうものだと
思っている。





賞与

2020年12月11日 | ノンジャンル
ボーナスと言えば、以前にも書いたが、
苦い思い出がある。

世間の平均額にさえ到底及ばない、寸志のような
額だった時である。

情けないやら、家内に申し訳ないやら、
泣きたくなるような冬だった。

断酒を始めた時でもあり、ある意味、心身的にも、
経済的にも、底つきの時だったろう。

家内の、「これからやん」の一言で救われた。

その家内に、明細を見せて「すごいやん」と
言わせたくて、頑張ってきた。

一昨年だろうか、これなら、「すごいやん」と
言わせられると思い、帰って明細を見せた。

「すっご~い!メッチャ引かれてるやん!」

支給額ではなく、控除額に驚いたようである。
そこかいと突っ込みたくなったが、まあ、
驚かせる意味においては同じことだ。

思えば、子供達が、大学生で重なっていた
2年間が最も経済的に厳しかった。

あの頃に、今の余裕があればと思うが、
実際のところは、あの厳しい状況が
あったからこそ、それを何とか乗り越えた
上での今なのであろう。

あの苦い思い出を忘れず、謙虚に。
そして、厳しい状況下でも賞与を出せる事に
感謝していくべきなのであろう。

あの寸志は、「これから」の原点となっている。