ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

カメコ

2014年03月26日 | ノンジャンル
突然、娘から連絡が入った。

泣き声で初め何を言っているのかわからなかった。

どうやらミドリガメのカメコがベランダから落ちて、
死んでしまったらしい。

ここのところの陽気に、冬眠から醒め、
水槽を乗り越えて脱出し、ベランダを徘徊した後、
柵の隙間から転落したようだ。

もう30㎝近くになるほど大きくなっていたので、
娘には酷だと思ったが、袋に入れて家に持ち帰るよう
頼んだ。

我が家は10階である。ひとたまりもなかったろうと、
悔しいとも悲しいとも何とも言えない想いに苛まれていた。

と、再び娘よりの連絡。どうやら息を吹き返したらしい。

息子も帰ってきていたので、外傷の状態を撮影させ、
送らせた。
まだ、何とかなるかもしれない。
そう思って、あわてて帰宅した。

急いで状態を見て、ともかく割れた甲羅を修復していく
ことにした。背中はほぼきれいに治せた。さてお腹をと
裏返して愕然とした。全体にわたって複雑に割れ、
中に折れ込んで内臓に突き刺さっている個所も多くあった。

落ちて最初に地面に激突したのが腹部であったようだ。

何とかつないでいこうとしたが、途中で下腹部の内臓が
ほとんど失われていることに気が付いた。

これではもう、手の施しようがない。少しでも水分を
失わないようにして、急造の箱に安置した。

時折、頭をもたげ、苦しそうに息をする。
瞬きをしながら、こちらを向く。
私の方を見るときは大抵、エサの催促だった。

体液が奪われていくのだから、水に入りたいだろうが
それはできない。スプーンで水を口につけてやると
うまそうに飲んだ。

命が絶えるのは時間の問題だが、少しでも早く
楽にしてやろうかという想いが頭をよぎる。

子供達が幼稚園の頃に我が家に来た、小さなミドリガメ。
15年以上の歳月を共に過ごしてきた紛れもない
家族なのである。

だが、頭では分かっていても、諦められない
子供たちを前に、安楽死という言葉は出せなかった。

それよりも、この身体の状況で、まだ前へ進もうとする
カメコの姿に圧倒された。

頭をもたげ、前足を踏ん張ろうとしていた。
そして、苦しげに息を吸っては吐くのである。

そうして一晩を過ごし、翌朝、カメコは旅立った。
前へ進もうとするその姿のままで。
その姿を見るにつけ、泣けて泣けて仕方がなかった。

いつもはベランダの水槽にいるが、水槽を洗うときに
外に出してやると、決まって部屋に上がろうとしていた。
その大好きな部屋の中で、皆に見守られて最後を迎えた。

いや、カメコが皆を見届けて、逝ったということだろう。

ペットの火葬をしてくれるところを調べて、今日、
お別れをした。
この最後の姿を写真に留めた。

この姿を見るにつけ、自分が恥ずかしいやら、
情けないやら分からないが、込み上げてくるものがある。
子供達もそれぞれ、大きなものを学んだに違いない。

永い間、本当にありがとう。

最後まで本当にありがとう。

お前はこれからも、家族の一員として、皆と共にいる。

どうか子供達の心の中に生きて、子供たちを支えて
やってほしい。

そして、いつかまた、どこかで会えることを願っている。
お前は確かに縁あって、我が家に来たのだから。






やあ・・・

2014年03月25日 | ノンジャンル
その後どうしてる?

このメールが届くかどうかも分からないが、
まだアドレスに残ってたのでなんとなく
打ってみることにした。

いつも泣き声ばかり聞かされていたけど、それでも
最後は笑ってたな。
今は、笑顔で空にいるのか。

少し小言。 人を殺すのは悪いことだけど、同じように
自分を殺すのも悪いことだ。
もう済んでしまったことは仕方ない。今度は、逃げずに、
諦めずに、立ち向かう事。

相変わらず、飛行機に乗っている。
飽きもせずに離陸を眺めていたようだけど、乗るのも
好きだったんだろうか。

雲の上に出て眺める空は眩しい。きっと人の心にも、
雲の上のような景色があるはずだ。雲の中にいるときは
何も見えないから、それを信じられないこともあるだろう。

いまはそれが見えるはずだから、しつこいけれど、
今度はしっかり頑張る事。

今年でもうまる2年か。まだ本当の意味で整理は
つけられていないけれど、もう他にどうしようも
なかったんだと分かるようになった。

去った後のことを考えれば、まともな友達も周りに
いなかったんだな。
だったら、叱られるのを承知で連絡をしてくれば
よかったのに。

正直な想いを綴っていたブログにも本当の仲間は
いたろうに。

電話の声を聞けば、大体の事はわかる。
連絡してきたときに叱ったことがあるか?
覚えているのは一度だけ、ベロベロに酔ってた時だけだ。

生きることは自分との苦しい戦いだ。
それでも笑えることがあるなら生きる価値はある。
死ぬことは、自分が生きたことを背負って旅立つこと。

だから今度は、しっかり食べて、体力つけて、
どんなに重い荷物も軽々背負って生きていけるように。

9泣いて、1笑って、9苦しんで、1喜べれば、
まずまずの人生だ。

いつかまた会おう。その時は、小言も積もり積もって
大言になってるから、覚悟しておくように。

なんとか会いに行きたいと思ったけど、
まあ、空を見上げればいつでも会えると気が付いた。

空に向かって、ぶつくさ言っていると、頭のおかしな
オヤジと思われるから、黙って見上げることにする。

また雲の上へと向かいます。






モスキート

2014年03月19日 | ノンジャンル
暖かくなってくると、また蚊に悩まされる季節となる。
私自身は、あまり蚊に刺される方ではないのだが、
耳元で羽音を聞かされるのだけは勘弁してもらいたい。

それでも、蚊にしてみれば命がけである。
人間は、一滴にも満たないほんのわずかな血液を分けて
くれないばかりか、姿を見ただけで追い回してつぶそうと
攻撃してくる。

その殺戮方法は多岐に渡り、多くの仲間が圧死し、
毒殺され、感電死させられている。

個体としてこれほど精緻で人間の知恵など到底及ばない
構造と機能を備えた生命体を、圧倒的な力の差で
殺戮し続けているのが人間である。

それでも彼らは果敢に命がけの挑戦を繰り返す。
何と気高いチャレンジスピリットであろう。

昔は人間にも優しさがあって、わざわざ自分で蚊帳の
中に入り、むやみに殺したりはしなかった。
とはいえ、血を分けてもらえないことは同じで、
死活問題なのだが、直接的な殺戮よりははるかに
ましである。

「害虫」とひとくくりにして忌み嫌うよりも、
同じ生命体としてもう少し寛大な見方ができない
ものだろうか。
彼らも、生きることに必死なのである。

まあ、あの不快な羽音と、後の痒みが嫌悪の根本的な
原因なのだが、特に痒みがなければそれほどむやみに
殺そうとはしなかったかもしれない。

血を固まらせない液が痒みの原因である以上、
蚊諸君も、痒みの残らない液という進化を真剣に
遂げるべきである。

そうなれば、人間も喜んで血を分けるであろうし、
共存が可能となるのである。

蚊と人間。ここにも、共存という視点に立てば、
双方において歩み寄る努力が不可欠であるという
機微に触れることができるのである。



口移し

2014年03月14日 | ノンジャンル
つい先日、韓国で気を引き締めないとと反省した
ばかりである。

このところ来客が多く、夜の盛り場に出る機会も
増えていたのだが、なおさらのこと注意はしていた。

昔と違い、食事の時にある程度酔いのまわった相手は、
飲み屋ではほとんど放っておいてよい。
隣の女の子と話をし、飲み、歌う。
それでご満悦なのだからこちらとしてはやりやすい。

幸い、そういう席でくどくどと仕事の話をする人は
少ないので、飲まない私も気が楽というものである。

私自身、隣の女の子と取り留めのない話をしながら、
たまに歌ったりしていたが、どうやら少し酔いが
まわってきたらしく、彼女は盛んに私にお酒を勧める。

少しでいいからと、乾杯しようと、にじり寄って来るが、
このあたりは慣れたものである。
頑として、一滴も飲まない態度を崩さずにいたが、
いよいよ酔いが回ってきた彼女は、さらに乾杯を勧めてくる。

じゃあ、乾杯だけとグラスを合わせて香りだけ嗅いで、
口を付けずにいると、それがお気に召さないらしい。

気をそらそうと、歌うことに専念することにしたが、
歌い終わった後に腕を引っ張られ、彼女の方を向くと、
いきなりのキス。

一瞬のことにわけがわからなかったが、次の瞬間口の中に
液体が・・・すぐにビールとわかって、あわてて離れ、
おしぼりに吐き出した。

ほろ苦い香りが口内に残っているので、席を外してトイレへ。

これは予想だにしなかったハプニングと一人苦笑していた。

飲む飲まないは自分自身であって、誰かが勧めることは
あっても、無理やりに飲ませようとすることなど
ほとんどないと、このブログでも繰り返し述べてきた。

要するに、目の前に置かれたお酒を、飲むか飲まないかは
自分であり、そこにお酒が置かれているからというのは
ただの言い訳だと言いたかったのだが、今回はそれを見事に
覆された。

口移しなら、無理やり飲ませることもできるのだ。
これはまさかの想定外。というより、自分にそんなことが
起こるとは夢にも思っていなかった。

いやはや、これは参った。突然のキスなどまったく
自分の想定危機管理の対象外だったのである。

ということで、お酒の席における自身の管理項目の中に
「口移し」という項目が今日から追加されたのである。



マッコリ

2014年03月12日 | ノンジャンル
韓国に滞在していた時のことだ。

食事の折りに、店の人が小さな鍋を持ってきて、
お椀にスープのようなものを注いでまわった。

特に匂いもないので、見たまま、スープだと思って
口を付けると、どうもお酒のようだ。

文字通り一滴ほどの量だったが口内に入った。
吐き出すわけにもいかず、そのまま喉を通した。

日本でいう濁酒のマッコリは、一般に販売されて
いるものは白いものだが、家庭でも作られるようで、
そこで出されたのは、見た目は大豆のスープにしか
見えなかった。

アルコールに対しては、臭覚が鋭敏になっている
とはいえ、この時は油断したようだ。

まあ、舐める程度だったので、軽い事故ですんだ。
その後はこれまでと何ら変わりないし、飲酒欲求もない。

だが、少しうすら寒い思いをしたのは、微量とはいえ、
喉をすっと通って行ったことだ。

これだけアルコール臭に敏感になってきたことを思えば、
とても喉を通らず、むせるだろうと勝手に思っていたが、
何のことはない、咳込むこともなくすんなりと喉を通って
いったのである。

断酒を何年継続したと言っても、浴びるほど飲んでいた
経験がある以上、その人が「飲める」ことに変わりはない。
飲めない人が飲まないのは当然である。

飲める人が飲まないということに意味がある。
我慢して、辛抱して、飲まないというのとも
少し違う。
飲める自分を自覚しながら、飲まないで生きる。
これは、生き方の問題である。

大小軽重関係なく、事故というものは無いに越した
ことはないが、この出来事は、飲まないのが当たり前で、
それを意識することも少なくなってきた自分に、改めて
謙虚な姿勢を忘れてはならないということを
自覚させてくれた。

会食や宴席では、特に注意が必要だ。
最後のデザートにたっぷりと洋酒が使われていることも
少なくない。

また気を引き締めて、飲まない生き方を継続していく。