自分勝手でごめんなさい。
自分だけが悩み、苦労しているつもりでいました。
他人のせいにも、世間のせいにもするつもりは無かったけれど、
他人を蔑み、世間に愛想をつかせていました。
自分だけが正しいと信じていました。
正しいからこそ、悩み苦しむのだとも思っていました。
抑えられない憤懣とやりきれなさを、お酒を飲むことで
溶かしていたのかもしれません。
いや、溶かしているつもりであっただけです。
実際は、憤懣もやりきれなさもつのるだけでした。
溶けないのがわかっていながら、溶かそうと飲むことを
繰り返していました。
自分だけが辛いんだと思っていました。
周りが見えず、見ようとせず、自分を中心とした殻から
抜け出せないまま、どんどん自分を縛る事がわかっていながら、
飲み続けていたのです。
そして、愚かにも、家族を失うギリギリのところ、命を失う
ギリギリのところで、ようやくその呪縛から自らを解き放つ
決心をしたのです。
こと、そこに至るまで、気づきがありながら決断が
出来なかったのは、この病気のせいにすれば簡単ですが、
本質的には、この病気になってしまった自分自身にその原因が
あるということです。
今、少しずつではありますが、その原因に向き合って、根本的な
変革を目指しながら、正々堂々の歩みを進めようとしています。
ありのまま、自分らしく、他に蠢動されることなく歩こうと
しています。
生きていくことを選んだ以上、求められるものに向き合いながら、
己の道を歩いていきます。
もう二度と自分の意志を他に支配されるのはご免です。
苦しめましたね。悩ませましたね。そしてどれほど失望と期待と
いう両極を見せ付け、味あわせてきた事でしょう。
何も出来ない無力感と絶望を繰り返させた事でしょう。
ごめんなさい。 本当にごめんなさい。
自分が苦しんだ何倍もの苦しみを与えていたんですね。
分け合って半分になる苦しみを、倍にして背負わせて
いたんですね。
分け合って、倍になる喜びを、全てかき消していたんですね。
やっとの事で、自ら呪縛を解いた私は、少なくとも以前の私では
ありません。
心も身体も自由と成りましたが、瞬時に縛り上げられてしまう縄を
身の回りに帯びていることを、一瞬たりとも忘れません。
再び縛られる事があるなら、それは私が生きるという事を
やめた時でしょう。
自らに求められるものがあると信ずる間は、生きて生きて
生き抜きます。
そして、何倍、何十倍もの喜びで、大切な人達を包んでいきます。
その喜びの中に、確かに私の喜びがあるのです。
本当にごめんなさい。 そして、本当にありがとう。
自分だけが悩み、苦労しているつもりでいました。
他人のせいにも、世間のせいにもするつもりは無かったけれど、
他人を蔑み、世間に愛想をつかせていました。
自分だけが正しいと信じていました。
正しいからこそ、悩み苦しむのだとも思っていました。
抑えられない憤懣とやりきれなさを、お酒を飲むことで
溶かしていたのかもしれません。
いや、溶かしているつもりであっただけです。
実際は、憤懣もやりきれなさもつのるだけでした。
溶けないのがわかっていながら、溶かそうと飲むことを
繰り返していました。
自分だけが辛いんだと思っていました。
周りが見えず、見ようとせず、自分を中心とした殻から
抜け出せないまま、どんどん自分を縛る事がわかっていながら、
飲み続けていたのです。
そして、愚かにも、家族を失うギリギリのところ、命を失う
ギリギリのところで、ようやくその呪縛から自らを解き放つ
決心をしたのです。
こと、そこに至るまで、気づきがありながら決断が
出来なかったのは、この病気のせいにすれば簡単ですが、
本質的には、この病気になってしまった自分自身にその原因が
あるということです。
今、少しずつではありますが、その原因に向き合って、根本的な
変革を目指しながら、正々堂々の歩みを進めようとしています。
ありのまま、自分らしく、他に蠢動されることなく歩こうと
しています。
生きていくことを選んだ以上、求められるものに向き合いながら、
己の道を歩いていきます。
もう二度と自分の意志を他に支配されるのはご免です。
苦しめましたね。悩ませましたね。そしてどれほど失望と期待と
いう両極を見せ付け、味あわせてきた事でしょう。
何も出来ない無力感と絶望を繰り返させた事でしょう。
ごめんなさい。 本当にごめんなさい。
自分が苦しんだ何倍もの苦しみを与えていたんですね。
分け合って半分になる苦しみを、倍にして背負わせて
いたんですね。
分け合って、倍になる喜びを、全てかき消していたんですね。
やっとの事で、自ら呪縛を解いた私は、少なくとも以前の私では
ありません。
心も身体も自由と成りましたが、瞬時に縛り上げられてしまう縄を
身の回りに帯びていることを、一瞬たりとも忘れません。
再び縛られる事があるなら、それは私が生きるという事を
やめた時でしょう。
自らに求められるものがあると信ずる間は、生きて生きて
生き抜きます。
そして、何倍、何十倍もの喜びで、大切な人達を包んでいきます。
その喜びの中に、確かに私の喜びがあるのです。
本当にごめんなさい。 そして、本当にありがとう。