ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

ごめんなさい

2007年11月29日 | ノンジャンル
自分勝手でごめんなさい。

自分だけが悩み、苦労しているつもりでいました。
他人のせいにも、世間のせいにもするつもりは無かったけれど、
他人を蔑み、世間に愛想をつかせていました。
自分だけが正しいと信じていました。

正しいからこそ、悩み苦しむのだとも思っていました。
抑えられない憤懣とやりきれなさを、お酒を飲むことで
溶かしていたのかもしれません。
いや、溶かしているつもりであっただけです。
実際は、憤懣もやりきれなさもつのるだけでした。

溶けないのがわかっていながら、溶かそうと飲むことを
繰り返していました。
自分だけが辛いんだと思っていました。
周りが見えず、見ようとせず、自分を中心とした殻から
抜け出せないまま、どんどん自分を縛る事がわかっていながら、
飲み続けていたのです。

そして、愚かにも、家族を失うギリギリのところ、命を失う
ギリギリのところで、ようやくその呪縛から自らを解き放つ
決心をしたのです。
こと、そこに至るまで、気づきがありながら決断が
出来なかったのは、この病気のせいにすれば簡単ですが、
本質的には、この病気になってしまった自分自身にその原因が
あるということです。

今、少しずつではありますが、その原因に向き合って、根本的な
変革を目指しながら、正々堂々の歩みを進めようとしています。
ありのまま、自分らしく、他に蠢動されることなく歩こうと
しています。

生きていくことを選んだ以上、求められるものに向き合いながら、
己の道を歩いていきます。
もう二度と自分の意志を他に支配されるのはご免です。

苦しめましたね。悩ませましたね。そしてどれほど失望と期待と
いう両極を見せ付け、味あわせてきた事でしょう。
何も出来ない無力感と絶望を繰り返させた事でしょう。

ごめんなさい。 本当にごめんなさい。

自分が苦しんだ何倍もの苦しみを与えていたんですね。
分け合って半分になる苦しみを、倍にして背負わせて
いたんですね。
分け合って、倍になる喜びを、全てかき消していたんですね。

やっとの事で、自ら呪縛を解いた私は、少なくとも以前の私では
ありません。
心も身体も自由と成りましたが、瞬時に縛り上げられてしまう縄を
身の回りに帯びていることを、一瞬たりとも忘れません。
再び縛られる事があるなら、それは私が生きるという事を
やめた時でしょう。

自らに求められるものがあると信ずる間は、生きて生きて
生き抜きます。
そして、何倍、何十倍もの喜びで、大切な人達を包んでいきます。
その喜びの中に、確かに私の喜びがあるのです。

本当にごめんなさい。 そして、本当にありがとう。



まとも?

2007年11月27日 | ノンジャンル
日々の暮らしの中で、ニュースを見るにつけ、人にはまともな人と、
まともではない人がいる事を痛感する。

と、まともな事を言っているようだが、かく言う私も飲んでいた
頃はまともではなかった。
今は少しはまともなつもりだが、別段、人に誇れるほどの
ものではない。

まともじゃない者もまともに成れるだろうし、まともな者も、
まともでなくなる場合もあるだろう。

まともじゃなかった私が、まともになりつつあるからといって、
まともな話をまるで元からまともな人間であるかのように、
もっともらしくするのは、笑止とも言える。

願わくは、まともじゃない自分に戻る事無く、まともに近づき
続ける自分であれよかしと、思うのである。



薬と毒

2007年11月26日 | ノンジャンル
およそ、毒にも薬にもならないものは別として、用法や適量を
誤れば、薬は毒にもなるし、一般的に毒物と理解されるものでも、
同じく薬とすることも出来るのである。

その物質そのものに善悪があるわけではなく、それをどう
使うかの選択をする人間によって、善悪の結果が分かれる
ことになる。

お酒にしても、適量であれば、百薬の長とされるし、過度に
用いれば、死に至る毒物となってしまう。

我々は、ともすればお酒に対して悪いイメージしか持てないで
いるが、お酒自体に善悪があるわけではない。
節度を持って、適量を楽しんでいる人に対しては、羨ましさが
あまって、取り立てて依存症となる警告をする人もあるようで、
埒も無い。
まして、コマーシャルなどに目くじらを立てる必要も無く、
自分は飲めないだけで、飲める人はおいしく飲めばよい。

ただ、明らかに異常な飲み方であったり、既に依存症と
診断されている人に対しては、自身の経験に照らして、
参考となるアドバイスが出来るなら、すれば良い事である。

麻薬でさえ、薬として使用することはある。アルコール依存症に
罹ったとはいえ、それ自体、全体の飲酒人口から見れば
数パーセントに過ぎない。
その限られた尺度で、全体を睥睨する事は、自身のものの
考え方を偏頗なものにしてしまう恐れがある。

共に、お酒を毒としてしまった同士の間では、相通じるものの
考え方も、世間一般に向けては、決して普遍的なものではない
ということも認識しておく必要がある。

刃物は、使う者によって、善にも悪にもなる。
人を傷つけるのに使われるケースはごく稀で、殆んどの場合、
人の生活にとっては便利なツールなのである。



いつも笑顔で

2007年11月24日 | ノンジャンル
今日は通院がてら、墓参りと、ランチデートをしようと、カミサンと
出掛けた。
私の母親の墓苑はかなり遠いのだが、カミサンの母親の墓地は、
病院から近いお寺にある。

久し振りに二人きりで外食をしていて、その後に病院へ行く事から、
そっち方面の話題が多かった。

もうお酒がとにもかくにも中心の生活となっていた私の状況を
見るにつけ、別居や離婚を真剣に考えていたようだ。

彼女が、もう限界と追い詰められた時に、かろうじて私自身が
依存症であると気付いた事から、ギリギリの線を越えずに、
今現在がある。

子供達にも、それなりの覚悟をさせようと、話をした事も
たびたびあったようだ。
私をかばう子供達に、お酒ばっかり飲んでいるお父さんの
どこが良いのと聞くと、子供達は、「お父さんは、私たちには
いつも笑顔で、笑っている。」と答えたそうだ。

その時に、子供達にはやっぱり父親が必要だと、
心底思ったらしい。

カミサンの真剣な最後通牒は、私の立ち直りのきっかけとなった
事はいうまでも無い。
その裏には、子供達を、家族を守るという、強い決意があったの
だろう。だからこそ、私自身も何か尋常ではないものを感じて
いたのかもしれない。

今、カミサンは、家では殆んど笑顔で過ごしている。それも大きく
変わってきた事の一つであるけれども、何よりも、私の笑顔と、
カミサンの笑顔が、子供達に向けられている事を、本当に大切に、
大切に思うのである。



前へ進む

2007年11月23日 | ノンジャンル
振り返ると、亡くなった母親が、人の事を悪く言ったり、愚痴や
不平を言ったりしていた覚えが無い。

父親は、喜怒哀楽を表に丸出しにするタイプで、テレビに向かって
バカだの、アホだのと、ぶつぶつ言う事も多かったが、普段の
生活で、母親が人の事をとやかく言うのを聞いた事が無い。

今思えば、人の事を悪く言ったところで、その人も自分も前に進む
わけではないという、達観したところもあったのだろうが、言わない
代償として、自身の中に背負い込む部分もあっただろうと思える。

同時に、よし、それは、そのまま背負い込んで、自身が一歩でも
前へ進もうという気概を持ち続けていた様にも思える。

母親は一つの生き様をしっかりと私に見せて、残して逝った。

背負ったものの重みや、溜まった鬱屈をしばし忘れ、解き放つ
術として、お酒はもう使えない。

苦しみながらも、悩みながらも、その真っ只中で、少しでも前へと
進もうとするなかで、そうした重みや、鬱屈は感じなくなっている。

母親もきっとそうであったんだろうなと、今更ながら
気付かされたのである。

そんな事を考えながら、カミサンと話をしていた時、
ふと思い出したように、カミサンが私にひとこと言った。

「どれだけ飲んだくれていた時でも、子供達には優しい
お父さんだったよね。」

飲んでいた頃の事は、自分ではあまり自信が無かったが、子供に
あたることは無かったようで、これまた今更ながら、なんだか
ホッとした気分になった。

子供らしく、真っ直ぐ成長してくれている娘と息子を見るにつけ、
カミサンに感謝するとともに、飲んでいた頃の自分自身にも
最低の線のところで、安堵したのである。