ALQUIT DAYS

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家庭の味

2017年12月12日 | ノンジャンル
家庭の味というのは、いわゆる変わらない
味とは違う。

もちろん、ベースとなる味付けは変わらない、
いや、料理する側にとっては変えている
つもりはない。

しかしながら、レシピ本のように、全ての
味付けの分量などを常に正確に計って調理している
わけではない。

つまり、常に微妙な変化がそこにあるという事だ。

レストランや総菜、販売食品などはもちろん
レシピに沿って、味のばらつきを極力
抑えようとする。

だから、同じ物を食べていると、段々飽きてくる。

目分量という、おおよその味付けが、家庭の味に
微妙な変化を与え続けるが故に、毎日の味噌汁や
煮物などに飽きることがないのである。

ところが、家庭の味と自身の好みとは必ずしも
一致しない。

母親は、割合濃いめの味付けが好きだったが、
私自身は薄味が好みであった。

料理と言えば、レンジでチン、お湯を注ぐだけ
という程度だった家内も、子供ができてからは
いろいろと作るようになった。

誕生日のプレゼントは何がいいかと初めて
訊かれた時、大好物の、かやくご飯を作って
くれと頼んだ。

それは、私の好みの薄味で、本当に美味しかった。
それが結婚に至った本当の理由かもしれない。

毎日の繰り返しが生活というものである。
その中で、味の好みが異なるというのは、
ある意味苦痛であろう。

結婚を決めたのは、彼女の作ったかやくご飯に、
家庭の味を見出したからであろうと思う。

家庭の味とはつまり、飽きない味なのである。