ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

共々に

2010年08月28日 | ノンジャンル
いつもの、土曜日の通院。

驚くほど患者さんが少ない。 診察はなしにして、処置室で
点滴を受ける。
看護師さんたちに、いつものように軽口をたたいて、
笑っていたが、座って点滴を受けていると、様々な事が
思い出されてくる。

第一診察室と処置室とは繋がっていて、診察を終えるたびに、
看護師がドアを開け、カルテを受け取っていた。

そのドアを眺めていると、不意に涙があふれた。
もう、あの穏やかな笑顔も、大好きだったお声もそこにはない。

「大丈夫?」と、一人の看護師さんが、傍に来て、
ティッシュを手渡してくれた。
「はい」と返事をしたものの、余計に込み上げるものがあって
困った。 病院なんだからいいかと、想いのままに任せた。

喫煙場所で、しばらく呆然としていた。
風がよぎるように、波のように、込み上げるものを
抑えられずに、ただ、そこにいた。

声をかけられて、振り向くと、傍に、担当のワーカーさんが
座っていた。 いろいろと話を聞かせて頂いた。

2010年8月13日午前2時。急性心筋梗塞であったらしい。
病院のスタッフにとっても突然のことであったろうけれど、
考えれば、先生ご本人にとっても突然であったようだ。

「また土曜日に。」という言葉が、ワーカーさんの聞いた
最後の言葉であったらしい。
いつものように、土曜日の診察をするつもりであったなかでの
急逝だったようである。
最後の最後まで、現場で、歩みを続ける中でのご逝去であった。

息子さんは、アルコール専門医にはなりたくないと先生は
思っていらしたようだが、父親の築き上げた偉大なものに、
そのまま乗っかるようなことはしたくないということだった
らしい。

病院は、息子さんが院長として継がれることになったようだ。
良かった。本当に良かった。専攻分野は違っても、
これからいくらでも勉強していける。
それは、そのまま、父親の足跡を学ぶことでもある。

期待も予期もしていなかったであろうから、先生はさぞかし
喜んでおられるだろう。本当に、本当に良かった。

アルコール依存症者が死亡するのは、静脈瘤などの内科的
疾患による場合と同じほど、事故によるものが多い。
ただ、それも事故ではなく、自殺と判断される場合が多い。

私のケースを取り上げて、もしもベランダから落ちて
死んでいれば、それも自殺としか判断されないであろう
ということ。だからこそ、自殺者としてひとくくりに
されていることを、もっと正確に見直していかなければ
ならないということを仰っていたらしい。

そういえば、自殺に関するアンケート調査を、以前、
実施されていた。
あくまでもこの特異な病気に関する研究と分析をたゆまず
進められていた。

まさに、坦々と、歩みを続ける中で旅立たれたわけであるが、
今なお、その歩みをとどめる事はされていないと信ずる。
なんという崇高な生き様であることか。
生きるとは、そういうことである。

この病気は、精神科、神経科の病気である。
であれば、私の主治医は、院長先生の他にはいない。
これからも、誰の診察を受けようと、それは代診である。

先生より頂いた言葉。
「原点」 「歩」 「坦々と」

断酒を支え続けてこられた先生の半生。
断酒、生きるを、継続していく私の半生。

そのことに少しも変わりはない。
これからも、共々に、歩みを重ねていく。




あふれるもの

2010年08月26日 | ノンジャンル
昨年から訃報続きで、心の痛みの癒える間がない。

もうすでに5人もの人を見送り、今また予期せぬ訃報に接し、
あふれだす想いに、身も心も折れそうである。

信念の人であった。 ともかく働き詰めの毎日であった。
不可能とされていた通院治療を、自らの信念で確立された。

どれほどの孤独であったろう。 どれほどの苦闘であったろう。
同じく医師になった息子さんが、アルコール専門医だけには
なりたくないと思われたほどだ。

休みなど無いに等しかったはずである。
ひたすら、ご自分の信じた道を、ご自分の決めた道を
走り続けてこられた。

これほどのご苦労の日々を過ごされていて、先生の楽しみは
一体何なのでしょうかと、不躾な質問をしたことがあった。

「例会が楽しみなんですよ。」と答えて下さった。

通院治療にこそ、この病気の回復の本当の意義があると
信じてこられた先生にとって、実際に現実生活の中で
通院し、断酒を継続し、回復の道を歩んでいる
患者さん達を実見し、ご自分の信じたことは
間違いなかったと確信されることが、唯一の楽しみで
あったのだろうか。

院内例会にせよ、自助グループの例会にせよ、保健所など
行政機関の教室にせよ、足繁く通われていたのも頷ける。

「現実に通院で断酒を継続し、回復の中で実生活を送っている
 人達を目の前にすると、救われる思いがする。」

「患者さんにとって、体験の分かち合いは非常に
 大切な事だが、それ以上に、この医療に携わる者にとって
 体験を聞くことは非常に重要なのです。」

例会の度によく仰っていた言葉である。

この考察にも、数多くの先生の言葉を引いているが、
どれもこれも、今となっては自身の一生の心の宝である。

「体験談を聞くのが、私は本当に好きなんですよ。」
いつも笑顔で仰っていた。

思えば、カミサンも、娘も、息子も、家族のもの皆が
先生にお会いしている。

特に娘は、私について来ては、院内例会に出ていた。
中学生の子供が、あの特殊な例会の場に来て発言するなど
かつてなかったことらしく、今でも患者さん達や、
ワーカーさん、看護師さん達、そして先生もいつも
気にかけてくださっていた。

「家族の、しかも子供の話を聞くことなど滅多にない。」
「家族を失った人も多くいる。だから、娘さんの話は、
 誰もがみな真剣に聞いている。ありがたいことだ。」と
診察の時には私の事よりも、娘の話の方が多かった
ほどであった。

いつかは来る日だとは、分かっているつもりだったが
いざ来てみると、突然のように感じて取り乱している
自分が情けない。

お別れの会の日は、先生に対する追悼の日であり、
感謝の日であり、私の新たな決意の日でなければならない。

断酒一年の表彰の時の想いを新たにし、その折に頂いた
「原点」を胸に、これからも先生と共々に断酒の道を、
回復の道を、人としての道を、歩んで行こうと
思うのである。






坦々と

2010年08月25日 | ノンジャンル
突然の訃報。

クリニックの院長先生が、急性の心不全で
13日に亡くなったとのこと。
お盆休みの真っ最中だ。

呆然自失とはこのことである。
最後の院内例会が7月18日。最後の診察が、24日。
8月15日の院内例会を前に、逝ってしまわれた。

14日が診察日だったのだが、お盆休み中ということも
あって、行かなかった。
21日はバタバタしていて、行くつもりであったのが
またしても行けなかった。

同じマンションに住む方に連絡を頂いて、今日初めて
知るところとなった。なんとも言葉がない。

仕事を抜け出して、クリニックへ足を運んだ。
お別れの会を31日に執り行うとのこと。

案内のプリントを頂いて、しばらく待合で呆然としていた。
来年は、開院30周年である。なんとか来年まで・・・。

通い慣れたクリニックへの道すがら、これほど足が重く
感じた事はかつてどんな時でもなかった。
いつもの第一診察室を前にすれば、様々な想いが蘇る。

男泣きに泣いた。
父であり、師であり、優しい祖父のようでもあった。

また一人、心を開いて話しができ、言葉は少なくとも、
聞いてもらうだけでそれが心の支えとなる存在を失った。

診察室にしばらく頭を下げて、クリニックを後にした。

お酒で心が荒み、荒くれた患者達にとって、
院長は親父のような存在であった。
どっしりと院長がそこに座っている限り、お酒は断じて
飲まないという患者も多いであろう。

同じように、心にぽっかりと穴のあいたような
空虚感の中で、再飲酒だけはしないでもらいたいと願う。
それは何の供養にもならない。

命を救って頂いた恩人に、初めて出逢った日から
今日の日まで、一度のスリップもなく、最期まで
断酒継続のさなかに私がいたことが、ほんの少しの
御恩返しかとも思う。

断酒一年の時だったか、「これからも坦々と・・・」という
言葉を頂いた。 この言葉と、「原点」の楯が自分への遺言、
形見だと思っている。

坦々と・・・。 

これからも、坦々と、飲まずに生きていく。
その一日一日が、供養であると信ずる。

謹んで哀悼の意を表するとともに、
ご冥福をお祈り申し上げます。






家族目線

2010年08月23日 | ノンジャンル
断酒仲間、つまり本人同士で、断酒の辛さ、苦しさ、喜びを
分かち合うのは、継続の点で非常に重要である。

ただ、私はその分かち合いの中で、見えなくなりがちな事も
多いということを自覚する必要もあると思う。

当人同士は、飲んでいた時も、飲まなくなってからも、
相変わらず独りよがりで、自己中心的な面が多々あるからだ。

「本人」『家族』

「あれだけ飲んでたお酒をよく止められたもんだよな。」

『もうちょっとで、保険金が入ったのに。』

「やめ続けるのはどれほど苦しくて、大変なことか。」

『ただ、飲まない、それだけのことでしょ。』

「まる一年、断酒を頑張ったぞ。」

『とりあえず、一周ね。』

「もう断酒5年。我ながら大したものだ。」

『20年飲んできたんだから、あと15年ね。』

本人の自覚としては、これくらいがちょうどいい。
少し辛辣な感じがするかもしれないが、甘い言葉には
すぐに調子に乗ってしまうものである。

本当によく止められたわね、大変でしょう、
苦しいでしょう、よく頑張ってるわ、立派だわ、
もう5年にもなるの、本当に偉いわね。

頑張っている以上は、こういう言葉を欲しがるものだが、
何年も家族を苦しめてきた張本人が、わずかの期間、
断酒したからと言って、感謝されたいなど、笑止である。

それを、自覚していないから、苦しい断酒となる。
そもそも、自分の為の断酒であることは家族には
お見通しである。

ぎりぎりのところで、生きたい、あるいは、死にたくないを、
自分の為に選んだのである。

それを家族の為などと、おためごかしを言うから、
いつまでたっても信用がない。
本人以上に家族は苦しんできたし、本人の回復よりも、
むしろ家族の回復の方が時間がかかるのである。

「生きたい」でもなく、「死にたくない」でもなく、
「まだ死ねない」が、私の断酒の原点である。

家族の為というなら、それが自らの生き方に現れなければ、
家族の回復自体がおぼつかない。

あの日の、「まだ死ねない」を、常に新たに心に刻む
日々であると共に、苦しみの中に、喜び、楽しみが
あることを、未来を生きる者に伝える日々に
したいのである。




くれないの豚

2010年08月21日 | ノンジャンル
映画、「紅の豚」のセリフ。

「飛ばねえ豚は、ただの豚だ。」

「飛んだところで、豚は豚だぜ。」

矛盾しているようで、いずれも真実をついている。

それを、共に併せて自覚しているかどうかである。

自分の意志が、まず先であること。

その意志で成し遂げたことに驕る愚かさに対するニヒリズム。

このセリフはそのまま自身の心に響く。

他人や世間が自分に対し、何もしてくれないと、
くれない豚となって自らの意志で行動を起こさないなら、
「酒をやめられねえアル中は、ただのアル中だ。」となる。

自らお酒をやめて、自らの意志で生きるとしても、
「断酒したところで、アル中はアル中だぜ。」となる。

飲んでいても、飲まなくても、独りよがりで、ごちゃごちゃと
御託を並べて、結局は自分が可愛いことに変わりのない
ものには、刺されるような痛さを感じるだろうが、
何とも痛快、爽快なセリフなのである。