いつもの、土曜日の通院。
驚くほど患者さんが少ない。 診察はなしにして、処置室で
点滴を受ける。
看護師さんたちに、いつものように軽口をたたいて、
笑っていたが、座って点滴を受けていると、様々な事が
思い出されてくる。
第一診察室と処置室とは繋がっていて、診察を終えるたびに、
看護師がドアを開け、カルテを受け取っていた。
そのドアを眺めていると、不意に涙があふれた。
もう、あの穏やかな笑顔も、大好きだったお声もそこにはない。
「大丈夫?」と、一人の看護師さんが、傍に来て、
ティッシュを手渡してくれた。
「はい」と返事をしたものの、余計に込み上げるものがあって
困った。 病院なんだからいいかと、想いのままに任せた。
喫煙場所で、しばらく呆然としていた。
風がよぎるように、波のように、込み上げるものを
抑えられずに、ただ、そこにいた。
声をかけられて、振り向くと、傍に、担当のワーカーさんが
座っていた。 いろいろと話を聞かせて頂いた。
2010年8月13日午前2時。急性心筋梗塞であったらしい。
病院のスタッフにとっても突然のことであったろうけれど、
考えれば、先生ご本人にとっても突然であったようだ。
「また土曜日に。」という言葉が、ワーカーさんの聞いた
最後の言葉であったらしい。
いつものように、土曜日の診察をするつもりであったなかでの
急逝だったようである。
最後の最後まで、現場で、歩みを続ける中でのご逝去であった。
息子さんは、アルコール専門医にはなりたくないと先生は
思っていらしたようだが、父親の築き上げた偉大なものに、
そのまま乗っかるようなことはしたくないということだった
らしい。
病院は、息子さんが院長として継がれることになったようだ。
良かった。本当に良かった。専攻分野は違っても、
これからいくらでも勉強していける。
それは、そのまま、父親の足跡を学ぶことでもある。
期待も予期もしていなかったであろうから、先生はさぞかし
喜んでおられるだろう。本当に、本当に良かった。
アルコール依存症者が死亡するのは、静脈瘤などの内科的
疾患による場合と同じほど、事故によるものが多い。
ただ、それも事故ではなく、自殺と判断される場合が多い。
私のケースを取り上げて、もしもベランダから落ちて
死んでいれば、それも自殺としか判断されないであろう
ということ。だからこそ、自殺者としてひとくくりに
されていることを、もっと正確に見直していかなければ
ならないということを仰っていたらしい。
そういえば、自殺に関するアンケート調査を、以前、
実施されていた。
あくまでもこの特異な病気に関する研究と分析をたゆまず
進められていた。
まさに、坦々と、歩みを続ける中で旅立たれたわけであるが、
今なお、その歩みをとどめる事はされていないと信ずる。
なんという崇高な生き様であることか。
生きるとは、そういうことである。
この病気は、精神科、神経科の病気である。
であれば、私の主治医は、院長先生の他にはいない。
これからも、誰の診察を受けようと、それは代診である。
先生より頂いた言葉。
「原点」 「歩」 「坦々と」
断酒を支え続けてこられた先生の半生。
断酒、生きるを、継続していく私の半生。
そのことに少しも変わりはない。
これからも、共々に、歩みを重ねていく。
驚くほど患者さんが少ない。 診察はなしにして、処置室で
点滴を受ける。
看護師さんたちに、いつものように軽口をたたいて、
笑っていたが、座って点滴を受けていると、様々な事が
思い出されてくる。
第一診察室と処置室とは繋がっていて、診察を終えるたびに、
看護師がドアを開け、カルテを受け取っていた。
そのドアを眺めていると、不意に涙があふれた。
もう、あの穏やかな笑顔も、大好きだったお声もそこにはない。
「大丈夫?」と、一人の看護師さんが、傍に来て、
ティッシュを手渡してくれた。
「はい」と返事をしたものの、余計に込み上げるものがあって
困った。 病院なんだからいいかと、想いのままに任せた。
喫煙場所で、しばらく呆然としていた。
風がよぎるように、波のように、込み上げるものを
抑えられずに、ただ、そこにいた。
声をかけられて、振り向くと、傍に、担当のワーカーさんが
座っていた。 いろいろと話を聞かせて頂いた。
2010年8月13日午前2時。急性心筋梗塞であったらしい。
病院のスタッフにとっても突然のことであったろうけれど、
考えれば、先生ご本人にとっても突然であったようだ。
「また土曜日に。」という言葉が、ワーカーさんの聞いた
最後の言葉であったらしい。
いつものように、土曜日の診察をするつもりであったなかでの
急逝だったようである。
最後の最後まで、現場で、歩みを続ける中でのご逝去であった。
息子さんは、アルコール専門医にはなりたくないと先生は
思っていらしたようだが、父親の築き上げた偉大なものに、
そのまま乗っかるようなことはしたくないということだった
らしい。
病院は、息子さんが院長として継がれることになったようだ。
良かった。本当に良かった。専攻分野は違っても、
これからいくらでも勉強していける。
それは、そのまま、父親の足跡を学ぶことでもある。
期待も予期もしていなかったであろうから、先生はさぞかし
喜んでおられるだろう。本当に、本当に良かった。
アルコール依存症者が死亡するのは、静脈瘤などの内科的
疾患による場合と同じほど、事故によるものが多い。
ただ、それも事故ではなく、自殺と判断される場合が多い。
私のケースを取り上げて、もしもベランダから落ちて
死んでいれば、それも自殺としか判断されないであろう
ということ。だからこそ、自殺者としてひとくくりに
されていることを、もっと正確に見直していかなければ
ならないということを仰っていたらしい。
そういえば、自殺に関するアンケート調査を、以前、
実施されていた。
あくまでもこの特異な病気に関する研究と分析をたゆまず
進められていた。
まさに、坦々と、歩みを続ける中で旅立たれたわけであるが、
今なお、その歩みをとどめる事はされていないと信ずる。
なんという崇高な生き様であることか。
生きるとは、そういうことである。
この病気は、精神科、神経科の病気である。
であれば、私の主治医は、院長先生の他にはいない。
これからも、誰の診察を受けようと、それは代診である。
先生より頂いた言葉。
「原点」 「歩」 「坦々と」
断酒を支え続けてこられた先生の半生。
断酒、生きるを、継続していく私の半生。
そのことに少しも変わりはない。
これからも、共々に、歩みを重ねていく。