ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

普遍性

2019年08月31日 | ノンジャンル
一事が万事というのは、一事を認識した
時点での思考停止ということである。

言い換えれば、一例をもって不変、
普遍の原理、真理とするようなものである。

実証というものは、一事をもって、
万事の検証をするか、万事の検証をもって
一事を導き出す、血の滲むような
不断の忍耐を要する。

それを避けて、一事の認識で思考停止を
するのは楽ではあるが、それは、
その一事の認識すら無用としてしまう。

森羅万象、不変のものはないという
真理を導いたなら、多様性を認め、
可能性を信じられる事になる。

先人の悟りは、無常を感じて
絶望するなどという感傷的な
ものを破り、無常であるからこそ
可能性は計り知れないという
大転換でもあった。

つまり、普遍性への道を閉ざす
思考停止こそが、最も忌むべき
事なのである。





初秋

2019年08月26日 | ノンジャンル
猛暑、炎暑、酷暑という言葉が飛び交った盛夏も、
急に秋の気配を感じ出すと、やけに短かった
気がする。

ここ5年程は、子供たちの英語の指導で、
夏は過ぎ去っていく。

夏期休暇などないに等しく、仕事も、指導も
ひと段落した頃には、すっかり風は秋のものと
なっている。

心身共に疲れの出やすい時期に入るが、
家内が仕事をやめたこともあり、ようやく
二人で出かける計画も現実にできそうである。

感傷の秋ではなく、観賞と食欲の秋と
したいものだ。

生きられるだけ、頑張れるだけ、で、
これからも生きていく。

他人を傷つけない、苦しめない、恨まない。
それ以外は、好きなように生きて行けば良い。

それが、許されるだけという事なのである。





なんぼのもんじゃい

2019年08月25日 | ノンジャンル
地位や名声、富や権力に対して、それを揶揄する
大阪弁である。

そういった身を飾るものを剥がして、
裸の一人として見たときに、なんぼのもんや、
つまり、どれほどの人間かという
問いかけである。

この、なんぼ自体を誤解して、囚われている
者が多いが、いわゆる権威に対し、
現実の生きる力、日々の生活という事を
第一義として来た大阪の心意気なのである。

どれほどの地位や権力があろうと、
富や名声があろうと、人として見た時に
なんぼやという事である。

商いというのは、もちろんのことながら
人との関わり合いである。
孤独な商いというのはない。

その関わりの中で、その人の生き方が
なんぼのもんやという事なのである。
商売の地域性がそこに如実に表れている。

物質的な価値を計る「いくら」という
意味もあるが、ここではどれほどの人物か
という事だ。

人に対してなんぼのもんじゃいという
揶揄は、そのまま自身に対しての
問いかけとなる。

昨日、やっとお墓参りに行けた。
この10年で、誤解のなんぼは随分上がった。
だが、なんぼのもんじゃいの問いかけには、
まだまだとしか答えられない。

それは、おそらくこれからも変わることが
ないかもしれない。
だが、それで良いと思っている。

どんなもんじゃいと吠える時、
即、なんぼのもんじゃいと自身の内に
返ってくることを知っているからである。





高級茶

2019年08月21日 | ノンジャンル
世間の休暇明けに、中国より来客があった。

私がお酒を飲まないことを知っているので、
お土産はいつも中国茶かジャスミン茶である。

お茶は中国でも日本でもピンキリで、
高級茶となれば驚くほど高値となる。

今回は、陶器の壺に入ったジャスミン茶で、
しばらくは楽しめそうである。

接待の機会も相変わらず多いが、私が飲むのは
ウーロン茶か緑茶である。

市販のものである以上、原価などたかが
知れているが、こういう場所で飲めば、
最高級のお茶より高くつくことになる。

バカバカしい限りだが、それがお酒であっても
実情は変わらない。

いわゆる会議室などの公式の場ではなく、
社交の場であるが故である。

つまり、非日常の、特別を提供する場である
からこそ高価なのだが、非日常が日常の私に
とっては、無駄なことでしかない。

ただ、それは、ひとりで行くとした場合であって、
誰かと共に、コミュニケーションの場として
有用するなら、無駄ではなくなる。

その店の雰囲気や女性が、しばしば相互の
壁を崩し、時には殺気を和らげてくれる
からである。

そして、飲まない私はその場で話された
ことは全て憶えていて、できることは具体的に
翌日から進めていく。

それが、ある意味、これまでの信用の
積み重ねともなっているのである。





HALTの連鎖

2019年08月20日 | ノンジャンル
断酒を継続していく上で、特に飲酒欲求を高める
注意すべき日常の状況にHALTがある。

空腹、イライラや怒り、孤独や寂しさ、疲労である。

だが、これらは、必ずしも個別に現れる
状況ではない。
むしろ、連鎖的に、或いは同時に起こるケースが
殆どである。

お腹が空いてイライラし始める、同時に
怒りっぽくなる。それは疲労にリンクし、
結果として、周りからすれば近寄りたくないオーラ
全開となっていて、独りよがりな孤独を感じる。

怒りや寂寥感は、いわゆる感情である。
これをコントロールすることは可能ではあるが、
それを消し去ることはできない。

感情というものは、生命の状態でもあり、それを
消し去れば、もはや人というより生物でもない。

小乗仏教の戒律主義の究極は灰身滅智である。
つまり己を消すことである。
それは、関りの中で生きていく人としての生き方を
否定するものである。

いわば、究極の自己中という事になる。
いや、もはや消し去るのであるから、自己もない。

これに対し、空腹と疲労は、具体的な対処ができる。

しっかり食べて、寝てしまう事である。
それは具体的な対処であるばかりか、他の連鎖的な
負の感情をかなりの割合で緩和する。

何がしかのきっかけで湧き上がってきた怒りに
包まれた時、それを抑制することはできても、
心からの喜びに変えることはできない。

怒りの中にいる時に笑顔を作るのは、
ごまかしとも、まやかしとも言う。
そんなことを続けていると、自身が壊れてしまう。

具体的な対処ができることを、具体的にしていく
ことである。
食事をとる、睡眠をとる。生きる基本ではないか。

断酒に限らず、生きていくという事において、
食べると寝るを疎かにしない限り、後は何とでも
なるのである。