ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

心の耐性

2007年08月30日 | ノンジャンル
通院を始めて、2ヶ月も経った頃だろうか、診察の時に先生が
話された事の一つに、大きな環境の変化になるような事は、
初めの一年は避けた方が良いというアドバイスがあった。

転居、転勤、離婚、退職など、断酒の過渡期にあって、
大きなストレスとなるような動きは、極力避けるようにとの
ことであったと思う。

幸い、一年間は、大きな変動も無く、穏やかに過ぎたものの、
振り返れば、それなりに多くの精神的葛藤があった。
それでも何とか断酒を継続できたのは、いわゆる、力で抑え込む
だけの力の余裕があったためであろうし、その力がほかの事で
消耗されてしまっていたとしたら、遥かに大変な一年だった
かもしれない。

どれも自分の心がけで、どうにかできる事であるが、
どうしようもない事もある。

人の死というものは、本当に突然で、こちらの都合に合わせて
もらえるわけでもなく、何よりも大きなストレスの原因となる。
何とか平穏に一年を過ぎてから、待っていたと言わんばかりに、
相次いで、人の死に遭遇する事になった。

飲み屋で親しくなった、かなり年配の方がいて、定年を
過ぎながら、まだ頑張って働いておられる姿に感心していた
ものだが、心臓発作で突然亡くなった。

行きつけの店のマスターも、糖尿を患っておられたが、同じく
心臓発作で突然死。。。

そして、つい先日の、昔の同僚の、癌との闘いの後の訃報。

この1年半程で、3人もの知り合いが亡くなってしまった。
自分も人生半分ほどのところに来た以上、これからも見送る
という場面が多くある事と思う。
人が死ぬという場面では、他の事一切が、さして重要な事とは
思えなくなってしまう。

飲むつもりはないが、断酒さえも、殊更に考える必要が
無いように感じるのだ。

自身にとっては、生きていく上で断酒は不可欠で、最重要な
事のように見えるが、生きていく条件、手段である断酒よりも、
遥かに大切な事が数多くある事を、重ねていく月日の中で
実感しているのである。

今を生きる自分に何が求められているか。
そして、死を迎えるときにも、その求められていることに
答えようという、気構えと姿勢のままであることを
願ってやまないのである。



落胆

2007年08月27日 | ノンジャンル

今朝、昔の同僚が亡くなった事を聞いた。

お嬢さんで、育ちの良さが滲み出ているような、長身で
スリムなクール美人であった。

私と同期で、彼女の方が入社したのは3ヶ月ほど早く、
別の部署ではあったが、当時は若手同士で飲みに行ったりして、
よく話もした。

取引先の人との縁があって、結婚まで話が進み、寿退職の
はずだったのが、結局、まとまらずに、退職だけすることに
なったように記憶している。
その間、いろいろと相談や、話もした。相手の人は、
彼女よりも、自分の育った家庭や、親族関係を優先し、
大事にするといったところが見えて、彼女自身が、結婚に
踏み切れなかったようだ。

彼女が退職してから、再会したのは奇しくも、私の部署の
先輩が急死したときの葬儀であった。
それから、17年ほどの歳月が流れた。結婚もされ、
子どもさんもいるかもしれない。
享年44歳である。あまりにも早すぎる死である。

乳癌だったそうである。スリムな彼女には縁がなさそうな
病気であるが、3年ほど闘病生活をされていたようであるので、
転移を抑えられなかったのかもしれない。

本当に残念で仕方が無い。これまで、連絡のやり取りをしてきた
わけでもないし、全く、何の噂も耳にすることなく、長い年月を
過ごしてきたが、亡くなったと聞いた途端、頭は20年前に即座に
戻って、彼女の表情や、交わした言葉も鮮やかに蘇るのだから
不思議なものである。
同時に、まるで信じられない気持ちに包まれてしまう。

朝から、なんとも辛い気分に苛まれていた。
人が死ぬという事は、人が生まれる事以上に、大きな
出来事なのだ。
ほんの2-3年、職場を共にしたというだけであるのに、
その後、20年近く経っているというのに、その訃報に接して、
心がどうしようもなく痛む。

そして、今この世に生きているものは、力の限り、精一杯
生き続けなければとも思うのである。

今夜は、静かに彼女の冥福を祈りたいと思います。



老齢の断酒

2007年08月22日 | ノンジャンル
前回の例会で、81歳の方のお話しがあった。

77歳のときに、依存症であるとの診断を受けたらしいのだが、
それまで60年に渡って、飲酒をしてきた身にとって、
いまさら、依存症でもあるまいと考えられていたそうである。

さてここで、一つの選択がされなければならない。
77歳まで生きたから、もういつ死んでもおかしくない。
むしろ好きな事をして死にたいと思うか、
いや、まだまだ、少しでも長く生きていたいと思うのかである。

飲めば早々にお迎えが来る。飲まずば、先送りとなる。
その方は、まだ生きていたいと思われたのであろう。
飲まない事を選ばれた。

多くは語られなかったが、矍鑠として、穏やかな表情で、
血色もよく、活き活きと、毎日を送られているようだ。

私がもし、同じような歳で、すでに前線を退き、隠居の
ような生活に入っていて、晩酌が楽しみという境涯にいて、
いきなり断酒せねば生きながらえる事ができないと宣告されたなら、
どうするであろう。

多分、そのまま飲み続けるだろうと思う。生きること自体が、
もう十分だと納得していて、楽しく飲めるのであれば、
飲み続けるであろう。

だが、その方は、断酒の道を選ばれた。
まだまだ、少しでも長く生きたいという気持ちの方が
強かったと言う事である。
つまり、お酒を飲むこと以上に、生きていて楽しい事が
あるということだ。
現に、今の穏やかなたたずまいである。

その歳まで生きながらえたとして、果たして同じように
穏やかに生きていられるかどうかは、甚だ疑問である。
いくつになっても、今を生きている喜びが滲み出るような姿は
なんとも羨ましく思え、自分もそうでありたいと思うのである。


だらしない

2007年08月20日 | ノンジャンル
昨日は、院内月例会でした。夏季休暇の最終日でもあり、
非常に暑いせいもあって、出掛けるかどうか迷っていましたが、
家でじっとしているより、暑いときこそ動いた方がよいと、
出掛ける事にしました。

前回も大盛況でしたが、この暑い中、椅子が足りなくなる
ほどの参加者で、会場は一杯となりました。

特に今回は女性が多く、体験も女性の発表を多く聞けたの
ですが、やはり、痛感したことは、女性は家庭の太陽であると
いうことです。

男性がこの病気で倒れても、奥様がしっかりしていれば、
少々の事では家庭が崩壊する事はありません。
しかしながら、その女性自身が倒れてしまうと、途端に、
家庭は光を失い、崩壊へと突き進んでしまいます。

どうしても男性の場合は、女性に対する甘えの心理が
働くのでしょうが、女性の場合には、いざというときには、
病巣となっているご主人を切り捨ててでも、
家庭を、子供たちを守るという、本能的な凄みがあるようです。

その女性自体が、この病気で倒れるということが、どれほど
大きな影響をもたらすかは、男性にとっては、想像すら
出来ません。
そして、倒れながらも、再び立ち上がろうとするその気迫は、
逆に見習うべき面が数多くあると思われます。

女性患者にとっては、まだまだ医療環境の整備というものが
進んでおらず、通院治療を主とする専門医でも、患者数で
言えば、4人か5人に1人という割合だそうです。

そんな中、今回、断酒一年表彰を受けられた4人のうち、
3人が、女性でした。
割合から計算すれば、少なくとも12人以上の男性がいなくては
なりません。

それがたったの1人です。 「だらしないわね」と、
言われているような気分でした。

「やっぱり女性には敵わないな。」と、心の中で頭を掻きながら、
帰ってきました。



大先輩

2007年08月18日 | ノンジャンル
夏期休暇も残り僅かとなり、日頃の通り、今日は病院へと
出掛けた。

診察を待つ間、隣に座っておられた方と少し話をした。
お顔は幾度も見かけた事があり、お名前も存じ上げている
方で、挨拶程度はいつも交わしていたのだが、話をしたことは
無かった。

断酒暦23年の大先輩である。

一日一日の積み重ねとはいえ、本当にご立派ですねという
私の言葉に、一杯飲んでしまえば、皆同じことになって
しまうのですから、断酒暦は何も関係ない事なんですよと、
謙遜でもなんでもなく、実感として話される姿に、ひどく
感銘を受けた。

うまく言えないが、その姿には、作られた謙虚さというもの
ではなく、やはり長年の断酒生活の中で乗り越えてこられた
事や、積み重ねてこられた事がどっかりと芯の部分に腰を据えて
いる様で、多くを話されなくとも、それが、なんだかひしひしと
伝わってくる。

自分などまだまだ駆け出しに過ぎないなと思うと同時に、こういう、
大変立派な先輩方が身近におられることに、心強くもあり、
嬉しくもあり、安心でもあるなと、ありがたく感じたのである。