ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

皆既日蝕

2006年03月31日 | ノンジャンル
29日に、皆既日蝕がありましたね。部分日蝕はよくあるようですが、
完全な日蝕は珍しいです。



天体的な視点から見ると、非常にダイナミックなイベントに
なるのですが、瑞相として捉えると、彗星などと同じ様に、
星運乱れるという事で、不吉なんですよね。
天変地異の前触れとか、忌むべき事だったんですが、
今では天体ショーなどといって、反対に喜んでいるような
感があります。

宇宙の大きなリズムの中で、周期的に起こる現象については、
それに影響される事も多いので、特に注意したいものです。


負の遺伝

2006年03月31日 | ノンジャンル
これも記事に載っていたのだが、依存症の親の下で育った子供は、
お酒に溺れる親の姿が心理的な影響を与え、その子自身が
アルコール依存症となるケースが多いのだそうだ。

昔の歌にもあった。
「おやじみたいなよう、酒飲みなどに、ならぬつもりが、
なっていた。。。」

自分を振り返ってみても、人の酔っ払った姿というのは嫌いで
あったし、特に水商売をしていた母親の酔態を見るにつけ、
非常な嫌悪感を持っていた。
「いくら飲んでも、ああはなりたくないな。」と常に思ってもいた。

つまり、いくら飲んだとしても、乱れるものかという気構えをして
飲む以上、酔っ払っていても、騒いだり、暴れたりしない代わりに、
鬱積するものは倍加することになる。
結果、20年以上の累積がアルコール依存症へと進展させて
いったのだ。

この歳になって、今更、自分の親の責任を云々する気は毛頭
無いが、既に自分が親の立場である以上、悪しき連鎖は、
自分の代で断っておかねばならない。ここで断たなければ、
未来は無いぐらいの覚悟が必要だ。

ところが、「遺伝」という厄介なものが、クローズアップされて
きている。
本人のお酒にまつわる環境や、経歴が主要となると考えて
いたのだが、実は、遺伝子レベルで、依存症となる、ならないの
傾向があるようなのである。

ある調査によれば、アルコール依存症の親を持つ子供を養子にした
育ての両親は、全くお酒を飲まないにもかかわらず、その養子が
アルコール依存症となったという。
これは、傾向性という見方をすれば、神経系の遺伝によるものと
いえるかもしれないが、ケース調査数が少ないであろうから、
ハッキリとした事はまだいえないようだ。

しかしながら、仮にも遺伝というものが依存症の傾向性を
継承していくとすれば、遺伝子を断つ事は不可能である。
だからこそ、お酒を飲んでいた姿と、お酒を断ち、その後
飲まない姿を見せてやる事が、より重要となってくる。
今も、未来も、あらゆるお酒の誘惑を断ち切って、きっぱりと
断酒を続ける姿を見せる事で、子供達に、ひょっとしたら潜在的に
あるかもしれないその傾向性を、抑制し、凌駕する意識を植え付けて
いきたいと思うのである。


ぐったりです

2006年03月30日 | ノンジャンル
さすがにこの時期、忙しいのは承知の上ですが、時間的にも、
気分的にも、一日が長い。一週間が長い!一月が、長い!!

身体を使う事よりも、頭を使う事の方がメインの仕事なので、
あまり健康上芳しくないですね。

春近しということもあって、眠気はピークで、朝が辛いし、
複雑な業務で、ブレインの疲労はピークかも。。。

脳のビタミン補給に、夜診で、点滴を受けてこようと思います。
あと一日、頑張りましょう!


脳 シュリンク

2006年03月30日 | ノンジャンル
昨年より、殊に新聞などで、「アルコール」「お酒」「依存症」という
キーワードが見出しとなっている記事に、敏感となっている。

「うつ」などの心療関係のキーワードも多いが、気のせいか依存症に
関わる記事が段々と増えて来ているように思える。
参考にはなるのだが、喜ばしい事ではない傾向だろう。
ただ、一般的な理解と、認知が広がってきたというか、広がりつつ
あるのは好ましい事だ。

依存症予備軍が圧倒的に多い中、未然のうちに啓蒙し、予防線を
張るという事においては、重要な事でもある。

特集記事では、若年層のアルコール依存症について詳しい調査が
出ていた。
記事は別途保存したが、私などのように20年以上の年月を掛けて
依存症へと移行していったのに対し、若年層の場合は、数年で
依存症となるケースが多いのだそうだ。

これは、アルコールに対する代謝能力が、未だに成熟していない
事も大きな要因だ。
「お酒は二十歳になってから」というのは、的を射ているといえる。
考えれば、私が通院している病院の患者さんの中にも、若い方を
多く見かけるようになった。昔は高齢の方が殆どであったようだし、
確かに現在もその数は圧倒的に多数なのだが、明らかに20代や
30代の若い人達の患者数は増えている。そして、女性の数も、
年齢を問わず増えてきている。平均的に女性の肝臓は男性の
3分の2程で、その分代謝能力が落ちる事になる。
様々なストレスから、嗜好品としてのお酒に頼るようになって
しまった時、依存症への道が出来てしまう。
代謝能力の小さい、若い人や女性は、特に気をつけなければ
ならない。

少し主題から外れたが、若くしてアルコール依存症となった方と、
健常者の脳のCT影像が対照的に掲載されていた。これまでも病院や
文献で見た事はあったが、その患者の影像は、かなりショッキング
であった。
脳が歪んだドーナツ上に萎縮し、外側、内側の空洞部が非常に
くっきりと見て取れる。この脳では、もはや普通のというか、
平凡な生活は難しい。
事実その患者は、まだ20代前半というのに、廃人のようになって
しまっている。




「我慢」「理性」を司る前頭葉は、驚くほど萎縮し、まるで動物の
脳を見ているようだ。
これでは平常な日常生活は送れるはずも無い。恐ろしいほどの
シュリンクだ。
現在ではこの萎縮も、断酒によって、脳細胞が再生するという
説もあるようだが、僅か数年でここまで破壊?してしまった
ものを再生するには、気の遠くなるような年月が必要と思える。
そうなってしまった方には気の毒ではあるが、私のように断酒を
続ける立場の者にしてみれば、大いなる警鐘となるのである。


子供の話

2006年03月29日 | ノンジャンル
19日の月例会で、娘が話をした事が、かなり反響を呼んだらしい事を、
25日の診察で院長先生に聞かされた。

患者の中には社会の信用を失い、仕事を失って、結果、家族を失った
人も多いのだが、その人達にとって、子供が話すことというのは、
他の同じ患者の話よりも、素直に聞けるらしい。息子や娘が
ありながら、共に暮らす事も出来ない中で、お酒を飲まない生活を
していくというのは、想像以上に淋しい事かもしれない。

そのお酒で、失ってしまった事を考えるにつけ、飲もうとは
思わないまでも、悔恨と、現実の淋しさとで、やりきれない事も
多いであろう。

前にも述べたように、例会に患者の伴侶や、親が参加する事は
あっても、子供が参加するという事は、非常に珍しいのだそうだ。
今回が初めてではなかったかと先生も仰っていた。
子の立場から、お酒を飲まなくなった親の事について話す事は、
それ自体、お酒を飲まないという事への率直な話であり、
感想である。
今、飲まないで一日一日を過ごす人にとって、何よりの話と
なったのであろう。

「物怖じせず、あっけらかんと、深刻な話ではなく、思った事を
素直に話してくれた事で、本当に他の患者さんにとって、貴重な
例会となった。」と、先生から格別なお言葉を頂いた。
「どうぞ、娘さんを褒めてあげてください。」との言伝を
そのまま、娘に話すと、照れ臭そうではあったが、
「また予定が無ければ、例会に行って、話してもいいよ。」
と笑っていた。

それぞれの、本人の立場での体験談については、それぞれの
異なるものではあるが、聞く側にとっては、共感できるものも
あれば、反駁したくなるようなものもある。
「あそこまで行かなくて良かった。」とか、「まだ自分の方が
ましかな。」とか、どうしても比較してしまう事も
多々あるであろう。
実際に、夫婦であっても、相手の言うことを素直に聞けないで、
お酒をやめている今尚、ぶつかるケースもままある。

そんな中、子供の立場で、お酒をやめている親について話を
する時、その話を素直に聞けるというのも、うなずける
ものがある。
子供の為に立ち直ろうと、お酒をやめ続けている人も多いのだ。
その子供に、お酒を飲まない自分を評価してもらえる事は、
何より嬉しいに違いない。

事実、私が、何よりも嬉しい思いをし、覚悟を新たに
したのである。