ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

三本柱

2017年10月30日 | ノンジャンル
断酒の三本柱。

*通院
*抗酒剤
*自助グループ

治療、回復が不可能とされてきたこの疾患は、
拘束によって閉鎖病棟に入れ、社会から隔離する
以外ないとされてきた。

肉体的には拘束によって完全にアルコールから
隔離することはできるが、精神的な隔離は
不可能である。

身体からアルコールを抜き、この疾患の病識を得、
新たな生き方を目指すのが、断酒ということである。

いつでもどこでも容易にアルコールを
手に入れられる環境、つまり普通の社会生活の中で、
アルコールを身体に入れない為の抗酒剤。
病識を深める通院。
新たな生き方を模索する自助グループ。

この三本柱によって、この疾患の治療と回復が
初めて実現したのである。

と、ここで自分を振り返れば、副作用のために
抗酒剤は初期のみで処方されていない。

通院も定期的だったものが、今では年に数度
という程度。

月に一度の院内例会には当初参加していたが、
出なくなってもう何年にもなるし、自助グループ
にも所属していない。

お酒の席はなるべく避けるようにとの指導も、
仕事上、止むを得ず、職場に復帰した直後から、
接待などで酒宴の場に出ていたし、今も変わらない。

三本柱のどれ一つも満足に立てられていない
私が、断酒について語るのはおこがましいの
かもしれない。

ただ、故院長先生の信条は、隔離病棟ではなく、
日常的な社会生活の中で、飲まずに生きていく
ことが、回復であるということであった。

ここは自分の中で少しもぶれることなく年を
追うごとに肚の底に重みを増している。

先生への供養は、彼の信条を身をもって
継承していく以外にないと信ずるものである。

従って、このブログに綴る内容は、あくまでも
私個人のケースに限られていることを
ご承知おき願いたい。

繰り返すが、この疾患の回復における三本柱は
今後も変わることはない。

わざわざ、稀なケースである私の例をもって、
この三本柱を蔑ろにするようなことだけは
ご勘弁願いたいと思うのである。





輪と和

2017年10月29日 | ノンジャンル
二週続けて台風の日曜となった。

先週は何とか帰阪できたが、今回は台湾へ行って
いた娘の帰国と重なった。

幸い、ピーク前で、予定時刻には遅れたものの、
無事に帰阪した。

訪台前に、現地の友人にいろいろとお願いをして
おいたが、まるで自分の娘のように、親切に案内を
してくれたようで、楽しいことばかりだったという
旅にして頂いた。

仕事とはいえ、各国との取引の中で親しくなった
人々も多くいて、今ではどこに行くにしても
個人的な事を頼める友人がいる。

娘や息子の海外旅行となると、自分の場合と違って
やはり心配だが、行き先に友人がいると心強い。

いざというとき、現地に知人がいるというのは、
本人は勿論、親としても安心である。

急な出張というケースもあり、パスポートは常に
携帯しているが、即応の難しい場合もある。

普段はあまり気にも留めていないが、こういう時に
これまで築いてきた世界中の輪に感謝できる。

もちろん、その輪は、和でなければ感謝には
繋がらない。

和としての輪に感謝しているのである。





虹の向こう

2017年10月24日 | ノンジャンル
手段、方法というのは、なにがしかの目的を
達成するために講じられる試行錯誤である。

目的をゴールとすれば、そこへ至る道は幾通り
でもあるし、行く方法もいくらでもある。

さて、面白いのは、ある目的が達成されると、
新たな目的を求めるのが人間の性である。

それは達成したものよりも、さらに困難で、
時間のかかることであることが多い。

つまり、一つのゴールにたどり着けば、
次のゴールを決めずにはおれないということだ。

この時、達成された当初の目的は、新たな目的達成の
ための手段、方法、あるいは布石となる。

必要に迫られて、断酒を開始したものは、あらゆる
手段を使って飲まないように努力する。
つまり、断酒の継続が目的なのである。

ところが、それが安定してくると、断酒は自身の
生きる目的のための手段であることに気が付く。

その時にこそ、いわゆるお酒に囚われた心の
真の解放がある。
要するに、飲んでいる場合ではないのである。

目的がさらに大きくなれば、それまでの目的は
またひとつの手段、布石となる。

生きるとは、この繰り返しかもしれない。

虹を見たいと歩き続けてきた人が、虹を見た時、
今度は、虹の向こうを見てみたいと思うのである。






異国

2017年10月23日 | ノンジャンル
社員旅行で、台風が接近する沖縄へ飛んだ。

いわゆる慰安旅行なのだが、台風の接近情報や
フライトの運行状況確認ばかりで、慰安どころでは
なかった。

現地ではレンタカーでの移動。お酒を飲まない私は
常に運転手で、むしろ部下や社員の慰安に尽くした
感がある。

それでも思ったほど台風の影響は少なく、
それなりに沖縄の旅を楽しめた。

最後の夜は風雨も激しくなり、島の台風を
体験することとなった。

ローカルの番組では、台風状況が切迫した形で
放送されていたが、BSなど、本土中心の
番組では、ほとんどが衆議院選挙の動向で、
離島のことなど大して気にも留めていない
ようだった。

首里城にも足を運んだが、ここは琉球時代から
一つの王国であり、むしろ中国へ献朝する
国であった。

中国文化や南方の風俗が色濃く投影された地であり、
むしろ日本はこの国より搾取と隷属を強いてきた。

同じ日本とは言え、本土からは遠く離れた
異国である。
島の人々の、どことなく本土から置き去りに
されている感覚もよく分かった。

沖縄返還を喜んだのも、つまりは、奪われた
自分のものを取り戻した喜びに過ぎない。

それを大事にするかどうかは、自分の勝手次第と
いうことだ。

なんとなく、申し訳ないような気分で帰路に
就いた。

台風は島をそれたものの、本土直撃方向で、
大阪は暴風雨に見舞われていた。

伊丹空港への着陸なので、まるで気にもして
いなかったが、上空を何度か旋回し、
結局ダイバートで、関西空港に着陸した。

逆パターンは多いのだが、伊丹から関空への
ダイバートは初めての経験だった。

やはり、自身の信条通り、現地、現場に
行ってみて、肌で実感しなければ、わからない
ことの方が多いと思った。

そしてなにより、あの空と海は、守っていかねば
ならないと思ったのである。





秋雨

2017年10月18日 | ノンジャンル
秋雨前線が停滞する中、南方で台風も発生し、
肌寒い雨の日が続いている。

昨年は、秋をすっ飛ばして、冬が来たよう
であったが、今年は秋の夜長を楽しめるかと
思いきや、同じようにいきなり冬支度が必要に
なるやもしれぬ。

街の木々も紅葉を飛び越していきなり葉を落とす
ような勢いだが、いまだに朝顔が咲いている。

どうも、ここ何年かの気候の不順は、四季折々の
周期さえ狂わせているようだ。

意外とこの気候の不順というのは人体にも精神にも
大きな影響を与える。

急に寒くなって血圧が上がり、倒れる人もいれば、
気持ちが滅入り、日常生活に支障をきたす人も
いるだろう。

厄介なのは、春先と同じように、おかしな行動に
出る人も増えるということである。

やはり、冬から春へ、夏から秋へという時期は
要注意なのである。

昔、受験で頭がいっぱいいっぱいであった時、
担任の教師は、道端にひっそりと咲く花を眺める
余裕を持てと仰った。

何をのんきな事をと思ったが、それとなく
気にかけていると、ちょっとしたアスファルトの
隙間、ブロックの割れ目、路傍の石の間に、小さな
生命が健気にも芽を吹き、花を咲かせている。

誰に気づかれずとも良い、自分なりの花を咲かせて
いこうという気になったものだ。

その先生は、そんなことを言ったかと、覚えて
おられないかもしれないが、受験のノウハウや
名言めいたことではなく、そのささやかな一言が、
今でも時折、私に気づきを与えてくれる。

そして、何より、自身の生きづらさの中で、
今なお、支えとなる教えでもあるのだ。

雨に濡れる季節外れの朝顔を眺めながら、
子育てではなく、子育ちに彼は焦点を置いて
いたのではないかと、ふと思ったのである。