「固執」
これを、「こしつ」と読まれるだろうか、それとも、
「こしゅう」と読まれるだろうか。
読みの間違いを正す本を書店でパラパラとめくっていて、
「おや?」と思ったのが、この言葉である。
その本は「こしつ」と読むのを正解とし、「こしゅう」という
読みに対し、執着の「しゅう」から読み違えているのか?
と解説さえしていた。
私のような古い人間からすれば、これは、「こしゅう」
であって、「こしつ」こそが誤りである。
ただ、「こしつ」という読みが一般に慣用的に使われているため、
それが容認されているに過ぎない。
つまり、本来はどうであれ、世間一般で常用されている言葉が
正しいとされている。
言葉というか、言語は生活に密着した生きものである以上、
時代と共に変化していく事は避けられない。
言葉には歴史があり、文化があり、思想がある。
その人の言葉づかいにも、その人となりが現れる。
同じ言葉であってもそれを使う人によって、その言葉の
人に与える印象は千差万別である。
また、人が言葉を使う時、その言葉の意味する事を伝えたいが為に
それを使うわけでもない事がままある。
人が言葉を口にする時、その言葉には様々なものが同時に
乗っかって発せられるのである。
我々は、その言葉に乗っかっているものを察し、汲み取る
文化にいる。よって、その言葉の意味でもって全てを伝えようと
する文化にある人とのコミュニケーションは、やはり骨が
折れるのである。
話が逸れたが、例えば「代替」をどう読むか。
私は「だいたい」と読む。
慣用的には「だいがえ」、「だいかえ」などと読む。
「代替案」を「だいたいあん」と話すと、??? の人が
たまにいる。
私も古い人間となってしまったようである。
しかし、どちらの読みでも、きちんと漢字変換してくれるのに
気がつく度に、その変換辞書を地道に作ってこられた方に
敬意を表したいと思うのである。
これを、「こしつ」と読まれるだろうか、それとも、
「こしゅう」と読まれるだろうか。
読みの間違いを正す本を書店でパラパラとめくっていて、
「おや?」と思ったのが、この言葉である。
その本は「こしつ」と読むのを正解とし、「こしゅう」という
読みに対し、執着の「しゅう」から読み違えているのか?
と解説さえしていた。
私のような古い人間からすれば、これは、「こしゅう」
であって、「こしつ」こそが誤りである。
ただ、「こしつ」という読みが一般に慣用的に使われているため、
それが容認されているに過ぎない。
つまり、本来はどうであれ、世間一般で常用されている言葉が
正しいとされている。
言葉というか、言語は生活に密着した生きものである以上、
時代と共に変化していく事は避けられない。
言葉には歴史があり、文化があり、思想がある。
その人の言葉づかいにも、その人となりが現れる。
同じ言葉であってもそれを使う人によって、その言葉の
人に与える印象は千差万別である。
また、人が言葉を使う時、その言葉の意味する事を伝えたいが為に
それを使うわけでもない事がままある。
人が言葉を口にする時、その言葉には様々なものが同時に
乗っかって発せられるのである。
我々は、その言葉に乗っかっているものを察し、汲み取る
文化にいる。よって、その言葉の意味でもって全てを伝えようと
する文化にある人とのコミュニケーションは、やはり骨が
折れるのである。
話が逸れたが、例えば「代替」をどう読むか。
私は「だいたい」と読む。
慣用的には「だいがえ」、「だいかえ」などと読む。
「代替案」を「だいたいあん」と話すと、??? の人が
たまにいる。
私も古い人間となってしまったようである。
しかし、どちらの読みでも、きちんと漢字変換してくれるのに
気がつく度に、その変換辞書を地道に作ってこられた方に
敬意を表したいと思うのである。