ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

リコーダー

2017年02月27日 | ノンジャンル
小学生の頃、夢中で練習したリコーダー。

夜に笛を吹くなとよく叱られた。闇夜に響く
横笛は趣があるが、ソプラノリコーダーの
響きは、確かに夜にはそぐわない。

さて、思い出したのだが、課題曲がいくつもあって、
その難度が徐々に上がっていき、
クリアする毎に笛にテープを巻いてもらえる。

最初の課題曲をクリアすれば赤いテープ。
最後の課題曲をクリアすれば金色のテープ。

皆、金色のテープを巻いてもらうことを目指して
必死であった。高い方の「ミ」や「ファ」を
駆使しないといけない曲でかなり難しかったが、
クリアした時は嬉しかった。

中学生になると、二回りほど大きいアルトリコーダー
となり、これはこれで響きとしては好きだった。
「ロミオとジュリエット」のテーマ、
"A Time For Us" をフルレンジで演奏できた時は
自分ながら感動した。

ところで、クリアすると赤いテープを巻いてもらえる
最初の易しい課題曲は、「ソ」「ラ」「シ」
のみの曲であった。
曲名も忘れてしまったが、ご存知の方はいるだろうか。

ソラシラソ シソラ シラソラシ ララソ
シラソ シラソラ シラソシラ ソラシソラシラ
シソラシソ





血痰

2017年02月26日 | ノンジャンル
実を言うと、昨年は一年近く血を吐き続けていた。

若い頃に急激に身長が伸びたせいで、気管が
拡張気味で、壁が伸びて薄くなっている部位がある。

冬場の乾燥、風邪による咳、疲労という悪い条件が
重なるとたまに出血する。
 
治療といっても、出血部位から感染症を起こさない
ように処方される薬だけで、出血を止めるのは
静養しかない。

とはいえ、ゆっくり静養などできる状況ではなく、
結局、例年と変わらない多忙の一年を過ごした。

軽いときは、朝起きて吐き出す痰に少し血が混じる
程度で、その後は一日出血なしなのだが、
ひどいときは真っ赤な痰で、一日出血が治まらない。

原因はわかっているものの、常に出血しているのは
嫌なものであるし、命に別状はないとはいえ、
拡張部の破裂など、万一の大量出血を考えれば
不安もある。

そのせいもあるだろう、日々の生活をそれまで以上に
大切に生きた一年でもあった。
様々な課題ややりたいことを為し遂げるまではと、
その月々を祈るような思いで過ごしてきた。

それを為せるまでは何とか身を持たせてくれという
祈りである。

祈りの中で、一日を頑張り切れたことと、それを
支えてくれた全てのことに感謝する心が生まれ、
その心を日々新たにしながら積み重ねていく、
そんな一年であった。

12月に入った頃か、年の暮れに出血がぴたりと
止まった。
またぶり返すだろうと思いながら、今日に至るまで
出血はない。

病気に自身の生き方を縛られるわけではなく、
自分を縛るのは自分自身であること、
限られた命を生きる上で、感謝できる
生き方こそが大切だと改めて学ばせてもらった
一年であった。




オバマ前大統領

2017年02月25日 | ノンジャンル
米国で初の黒人大統領となったオバマ氏。
様々に批判も多かったが、最長任期8年を務め上げた。

私的には、彼の行動力には非常に好感と共感を持った。
ともかくも彼は自ら出向いて、人に会うということを
徹底して行った。

無論、その結果がより良い成果となった場合もあれば、
芳しくない場合もあった。
だが、まず自らの足を運び、自分の目で見て話して、
次の行動を決めていくという彼のスタンスは、
僭越ではあるが私のスタンスでもある。

離任の最後の挨拶で彼は言った。
「現実に人に会って話をしよう」と。

彼の8年が凝縮された言葉ではなかったかと思う。

仕事上でも、電話で話していて「なんだこいつは」と
思うことがあるが、実際会ってみるとまるで印象の違う
ということも多い。
また、その逆のパターンもある。

顔も知らない相手と不毛な議論や中傷合戦をした
ところで、自分自身は何も成長がない。

同じなら、例会のように、為になる言葉だけを
拾って、自身の糧とし、その言葉を提供してくれた
ものに感謝すればよい。

ブログや掲示板で知り合った断酒仲間とは、これまで
3人の方に実際にお会いしてきた。
いずれも素晴らしい出会いであったし、自身の断酒の
励みにもなってきた。

現実に人に会うということは、その人を見るだけ
ではなく、自分を見てもらうことでもある。

そこに大なり小なり、化学変化の可能性が
生まれるのである。





まわりくどい

2017年02月24日 | ノンジャンル
基本的に回りくどいことが大嫌いである。

堂々巡りの会議ほど時間の無駄はないと思っている。
それならば、とにかくやってみることに時間や
労力を使った方がいい。

うまく行かないことの方が当たり前で、
もともとなのだから、それがうまく行けば
有り難いという感謝になる。

いわゆる直接ぶつかって砕ける方なので、
根回しというのが苦手である。
営業マンとしては失格だが、これほど資質のない
営業マンも珍しいと自負している。

以前にも書いたが、最悪のケースを想定して、
打てる手を打ち尽くすので、必然的に一つ一つの
案件に対する姿勢は真剣となる。

一期一会と言葉にするのも、座右の銘にするのも
簡単だが、実際にそれができるかというとなかなか
難しい。

目の前の課題に対し、真剣であれば必ずそこに
人と会って話すという要素が不可欠となる。
これは現場主義の基本である。

となれば、意識せずともその真剣さゆえに、
一期一会の実践をしていることになる。

メールやSNSなど、ネットでの交信が主流になった
現代においても、いや、だからこそなおさら
人に会って、顔を見て話をするということが
大事なのである。

それがあってこそ、普段の交信が血の通った
ものになる。

要領よく世間を渡る虚しさよりも、死にたくなる
ほどの苦しみや悩みの果てに光を見出す喜びを
ひとつまたひとつと積み重ねていきたい。

人との関わりの中で、傷つき、励まされ、悩み、
喜べる。

そして、そのかかわりは、回りくどいものではなく、
直接的である方が望ましい。

その人となりを顕すのは目であるから、人と会うと
いうより、目を合わせることから、その人との
かかわりが始まるのである。





門出

2017年02月22日 | ノンジャンル
卒業論文にかなりてこずっていたようだが、
それも無事に仕上がり、いよいよ卒業となる息子。

内定の職場での赴任先が東京と決まったようである。

「仕事」というものに取り組む姿勢や、責任感という
点では、心配のない男である。

ただ、東京という大阪とは真逆の環境で、一人暮らし
というのが淋しいのではないかと思う。

いや、やはり東京に決まって淋しいのは私である。

娘なら、結婚という事が一つの巣立ちとなるのだろうが、
男はやはり仕事で独り立ちすることである。
そのことが嬉しいような、淋しいような、複雑な
心境で今いる。

そして、自分の頃と重ねて見るとき、やはり若い男は
輝いて見えるものだと実感する。

いくつになっても、この輝きを失ってはいけない。
それは挑戦し続ける勇気を持ち続けることで
あるかもしれない。

息子の輝きを自身に映すとき、月や星のように
光失せるようなことではいけないと、
また自らの生き方に襟を正すのである。