ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

結果と成果

2009年08月30日 | ノンジャンル
予想以上の選挙の結果に、頭を抱えているのは実は
自民党ではなくて、民主党なのではないか。

大勝利の結果は、成果ではない。今まで人が担ぐ神輿に
野次を飛ばしていたものが、今度は自ら神輿を担いで、
野次に晒されることになったわけで、どこにも逃げ場所は
なくなったのである。

党の存続に関わる背水の窮地に立たされたと言っても
過言ではない。
勝利の余韻に浸っている暇などないのである。

さて、この与えられた機会をどうしていくのか、
全国民の目が炯々と注がれることとなったのである。

選挙の勝利は結果であって、ゴールではない。
マニフェストの遂行という責任を負うスタートである。
そして、具体的且つ長期的な成果を出すことが勝利に報いる
最低限のことであり、それ以下であれば、存在の意味さえも
失う程の立ち位置となったということである。

なかなか、面白い年となりそうだ。
まずは、お手並みを拝見しようではないか。
この大勝利が大善となるか、大悪となるか。
それも、一切の弁解が許されない中でのスタートである。

政権交代を謳い文句にしていたものが、
いざそれが実現すると、実は交代した後のことは
まだ考えていなかったなどということでは、
お話にならないのである。

テレビを見ていると、どうも勝って兜の緒を締める
顔つきをしているものが少ないように思える。
勝利を確信したものが、未だ戦いが続く中で悠々と
ケーキを食べているなどと聞けば、尚更不安はつのる。

本当の結果は、成果次第であることは今も昔も変わらない。
追い詰められたのはどちらであるのか。
いずれにせよ、与党にしろ、野党にしろ、正反対の立場を
現実に体験する良い機会であり、むしろ本当の改革
というものは、そういった自らの体験がなければ
実現しがたい。

双方に対し、「やってみろ」という国民の
判断だったのではないか。

もちろん、その判断の責任は国民に帰するのである。



新たなステップ

2009年08月29日 | ノンジャンル
離婚騒動も一応の収束を見た。皆様にもご心配をかけました。

先週末などは、心で泣きながらも、頭と身体は必死で
動かしていた。
今、また週末を迎えて、なんだか夢のようでもある。

あれからカミサンは以前にも増して私に優しく、
不気味なほどである。
今度は何の前振りかと、勘ぐってしまう自分が
なんだか可笑しい。

思い返せば、きっかけは私にすれば他愛もない事であった。
だが、カミサンにとってはこれまで頑張って私を支えて
来たことを、一気に否定されたような衝撃だったのであろう。

ただ、離婚を突きつけられ、それを覚悟した私が取った
行動が、子供達の将来を第一においていたことが
彼女をして考え直させたのかもしれない。

お酒を断つのは難しい。それを継続することはもっと難しい。
だがそれ以上に、遥かに困難な事は、飲まずには
いられなかった自身の生き方を変えていくことであろう。

私は飲んでいた頃、暴力を振るったことはない。
物に八つ当たりすることはあったが、怒鳴ったりすることも
稀であった。

健康も損なっていたであろうが、断酒と並行して内科的治療が
必要となるほどではなかったし、まあ、そのギリギリの
ところで断酒生活に入ったため、無事に済んだのであろう。

飲んだくれて、仕事に穴をあけるようになり、彼女に離婚を
宣告されて目が覚め、きっぱりとお酒を断つも、かなり危険な
離脱症状にみまわれ、病院へと繋がったのだが、結果、
依存症と診断されたものの、家族を残してまだ死ぬわけには
いかないという一点で立ち直る事を決意したのである。

それは即ち、もう二度と飲まない決意でもあった。

その後二ヶ月近い通院で休職はしたものの、収入を途絶え
させることは一切なかった。
景気動向によって、賞与の変動はあるものの、収入自体がない
月はかつて無い。
それまでも、今も尚、家計は支え続けてきている。

つまり、家族にせよ、健康にせよ、社会的立場にせよ、
全て首の皮一枚のギリギリのところで失わずに済んだのである。

さて、ここで賢明な読者はもうおわかりであろうが、
先に述べた事は、自身がどれほど独りよがりな人間で
あるかを顕著に示している。
全てを自分が背負って、いや、もうすでに押し潰されている
にもかかわらず、背負っているつもりで、もがいている
だけなのに、自らの力で進んでいるつもりでいるという、
ひどく滑稽な姿がそこに見える。

それほどの度量も、器もない男が、過分なものを背負って
いるつもりでいるというのは、笑止である。

このあたりに、飲まずには生きられなかった過去の自身の
問題が浮き彫りにされる。
その問題が何も解決されていなければ、飲まない分が余計に
その問題を深刻にしてしまう。

飲みたい気持ちを力ずくで抑え込んでいたのが、
飲まないのが普通になっていき、己が為すべきことを考え、
それを為していこうと日々精一杯の努力をしていたはずが、
いつのまにか分不相応な背負いこみ、気負いに囚われ、
この病気になる背景ともなった状況に自分自身を再び
置いていることに気付かされた。

家族にすれば、断酒を4年継続させながら、飲んでいた頃と
何も変わっていないではないかという失望とも絶望とも
言えぬ落胆があったに違いない。

この病気は、神経科、精神科で扱う病気であり、
本人ばかりか家族をも巻き込む。
回復とは生きることであるが、どう生きていくのかが
最も難しい課題である。

つまり、回復とは一言でいえば変化である。
飲まない中で起きる、あるいは起こしていく変化は、
その鏡である家族にも如実に表れる。

分相応でいいではないか。出来ないことを諦めないで、
出来るだけの事を精一杯で、日々を暮らしていこう。
肩を張らずとも、気負わずとも、背伸びをせずともよい。

自分は自分でしかないのだから、今の自分より、少しでも
前を向いた明日の自分でいたい。

本当に微々たる変化かもしれないが、その分、確かに自分は
変わり、家族も変わる。
断酒丸5年をゼロ復帰と考えていた私に、期せずしてその前に
自分を直視し、原点を改めて肝に銘ずる機会となった
今回の一件は、偶然とも思えない。

何を為すべきか、そのためにどう生きるべきかという命題を
胸に、一つずつ、少しずつ己を変える具体的な行動を、
心機一転、新たに開始したいと思うのである。




別れの向こうに

2009年08月26日 | ノンジャンル
しばらく、更新できずにいた。それどころではなかった。
ほとんど仕事で終わったお盆休み。休みが明ける直前に、
あるきっかけを機に、カミサンが切れた。

私には、なぜ彼女がそこまで切れて激昂しているのかが
よくわからない。
わからないということは、私もまた、飲んでいないだけで
何も変わっていないということである。

家族を巻き込んで、苦しめたことは、本当の意味では
わからない。飲んだくれていたのだから、いくら素面で
思い出しても、本当のところは忘れている。

自分がもうこれではいけないと思い始めた時点からは
細かいところまで鮮明に思い出せるが、それ以前は
自分は普通であると思い込んでいただけで、
実際は異常な状態であったろう。

彼女の話を聞くなかで、何もわかっていなかったこと、
ましてや自身が何も大して変わっていないことに愕然とした。
何を言われようとも黙って聞いていた。

そもそも、お酒に逃げないと生きられなかった自分が、
飲まずにいること自体、奇跡に近い。それを支え続けて
きたのは他ならぬ家族である。

だが、私自身が今度は飲まないことを言い訳に
していたようだ。
この不況の中、仕事も大変である。子供達もこれから
いよいよお金が掛かる。
一人で何もかもを背負いこもうとする癖は相変わらずで、
飲めない代わりに別の逃げ場を自然と探していたような
気もする。

そして、自分の中で繰り返し湧きあがる思い。
どうだ、飲まないだろう、家計を支え続けているだろう、
家の事も完璧にしているだろう、俺が、俺が、俺が。。。

そうしてどんどん自分を孤立させていく。
家族と話すのも億劫になっていく。疲れ切っていく。

このままでは、同じ事を繰り返す。
カミサンはそう直感したに違いない。

まるで絨毯の中にたまった埃を叩きだすように私を責め立てる。
追い詰める。
自分が巻き込んだとはいえ、家族の苦労や辛さなど、
本人がわかるわけがない。
巻き込まれた側からすれば、その苦労や辛さに比べれば、
飲まないでいる辛さなど、比ではなく、歯牙にもかけない。

わかりあえる訳がない。初めから無理なのである。
最早、離れて暮らすしか術がない。

飲まなければ普通であると思っている私は、家族から見れば
明らかに病的であり、支えているつもりの私が、
逆に支えられている、その認識すら薄れていたようだ。

飲まねば生きられなかった私である。
その「飲まねば」の根本的なところを少しずつでも解決して
いかなければ、、何も変わらない。
まさに断酒4年を越えて、ドライドランクの状態と
なっていたようだ。

「まだ飲んでくれている方が良かった。」という他の家族の
話を聞くことがあったが、 まさか自分がそうなるとは
思ってもみなかった。

これまで幾度となく離婚の危機を乗り越えて暮らしてきた
二人だったが、今度こそもう終わりだと覚悟を決めた。
いや、むしろその方が家族の為であろう。
いつまでも私という病人を抱えて苦労する必要はない。

命拾いをした時に私を支えたのは家族であった。
今一度、立ち直ろうと心を決めたのも 家族のためであった。
その揺るがぬ思いが断酒の原点となって自分自身を支え、
飲まずにこれまで生きてきたのである。

家族と離れ、一人になったとしても、その原点自体が
揺らぐことはない。
私には出来ないことを、彼女は子供達に出来るだろう。
私は私に出来ることをすれば良い。

腹が決まった以上、即行動である。
動かずに悩み、悩んで動けずを、飲んでいた時は
繰り返していた。
自身を変えるのは難しいが不可能ではない。
考えて、悩んでようやく動くというパターンを脱却して、
ともかく行動に打って出るということが必要であることを
自覚し、意識し、実行してきたはずである。

何事も具体的に動く。
悩む暇があれば、身体を休めて具体的な動きへと
繋げていく。

自身の習慣的な根強い傾向を変えていくには、
それに反することを辛抱強く実践していく他はない。
それが元の習慣に抗する習慣となるまでにはかなりの
時間を要する。

娘が、「お母さんから。」と言って、私に通帳とカードを
渡した。私は家を出た。

区役所で、離婚届の用紙をもらい、ついでに期日前投票を
済ませた。
その足で不動産に寄り、ともかく家賃の安いところを条件に
物件を探した。
稼いで、出来るだけ養育費に回さなければならない。
稼ぐぐらいしか出来ない自分は、 仕事を必死でする以上、
とりあえず風呂と寝る場所さえあれば十分である。

好物件が見つかったが、入居は9月から。
仕方がない、それまでは安い宿で過ごすことにした。
離婚届に記入、署名、押印をして、印鑑と共に封筒に入れ、
送ろうかと思ったが、当分の着替えなども必要なので、
カミサンがパートでいない時間帯に家に帰り、テーブルに
その封筒を置き、ある程度の荷物をまとめて再び家を出た。

居場所をなくす。これは何よりも堪える。
ましていい年をした大の男である。
道端に寝転がるホームレスを見て、ひどく身近に感じた。 
だがそんな勝手は許されない。
何もかもを投げ出して、勝手に生きるなら、
せっかく命拾いをした者に生きる意味はない。

カミサンに「出て行け。」と言うつもりはさらさらなかった。
昔一度だけ口にしてしまったことがある。
彼女の生い立ちを考えれば、絶対に言ってはならない
言葉なのだが、お酒が入っていた私は吐き出すように
怒鳴ったことを覚えている。
今の素面の私が口に出来る訳がない。

時折、娘からメールが入る。何事もないような、普段と
変わらない内容に、思わず気が抜ける。
少しやり取りをして、夜も遅くなるのでお休みを言って
メールを終える。

一人でいるというのは、なんと気楽で、なんと味気なくて、
なんと淋しいものだろう。
子供達の笑顔を思い浮かべると、涙があふれた。
何をやっているんだろう俺はと。

何となく今年は乱気に充ちていると感じていたが、
まさか自身にもこのような形で表れるとは予想だにして
いなかった。だが、断酒を持続できるようになってから、
離婚をしたという話もよく聞く。

いずれにせよ、断酒で精一杯の時期でなかったことが
不幸中の幸いであった。
自分の中の原点は、揺るがぬものとなっている。
つまり、「為すべき事」がある以上、なんとしても
それを為すことを、自身の支えとして生きて
いけるのである。

できるなら、本当にできるなら、もう一度だけチャンスを
もらってやり直したいと何度も思ったが、それももう無理な
話である。己が為すべき事をのみ考えて、頑張っていくしか
ないではないか。
それを為し得た後は、またその時に考えれば良い。
今はただ、一日一日を具体的に動いていく他はない。

それにしても、ふと耳にしたこの懐かしい曲が、
何とも切ない。。。(涙)


</object>



カミサンからメール着信。

「もうけじめはつけたんだから、休みの日ぐらい、
ご飯を食べに来たら?」

『…ありがとう、じゃあ、お邪魔します。』



帰ると、笑顔で私を迎える彼女。


『え・・・』


「一人でよく眠れた?」

『・・・』

「ちゃんと食べてた?」

『・・・』

「一人で食べても美味しくないでしょ。」

『ああ。』

「楽しくないし。」

『うん。』

「私らもね、3人で食べても美味しくないし、楽しくないんよ。」

『・・・』

「さあ、みんな、ご飯、ご飯!」

わけがわからないが、わけはわからなくてもいいのだろう。
夫婦とはそういうものなのかもしれない。

離婚届は、右側が空欄のまま、タンスの引出しにある。

ふと思い出した。 世界一優しい言葉を。

「あなたは、私が守るから。」


</object>



回向

2009年08月15日 | ノンジャンル
墓参をし、清めてお供えをし、線香を上げ、祈りを捧げる。
先人や亡き家族の菩提を願い、供養する。

慣習的となったとはいえ、こういう時を一つの節目の時期に
持っていることは、日本の美徳であると思う。

さて、回向ということを少し考えたい。
これは、回し、向かわしめると書く。
何を回し、向かわしめるのか。

これは、生きる者が己の善根、功徳をもって、亡き者へ
回し向かわしめ、その菩提を得さしめるということである。
つまり供養する者、すなわち生きる者が、生きていくその中で
善行によって積んだ善根を回向し、亡き者を弔う
ということである。

いくら豪華な法要を営み、盛大なお供えをしようと、
生きている者が不幸であれば、それは供養とはならない。
誰が不幸を回してもらいたいものか。迷惑千万である。

例えば、仏道修行とされる読経や偈を誦すなどするのは、
生きている者しかできない。
その行によって得られる善根、功徳を、回向するというのが
本来の供養であり、これは何も特別な時期においてのみ
なされることではなく、むしろ日常的なものである。

端的に言えば、今を生きる者が、悩みや苦しみはあっても、
日々の生活にささやかながらでも幸せを感じ、その幸せを
感謝しつつ、亡き者に回し向かわしめる中に、表裏一体の
幸福があるのである。

自らが生きる力を失い、不幸にある中で、亡き者が安らかに、
菩提を得ることはない。
真の供養というものは、まず自らが幸せを感じ、それを
回向するところにある。

不肖の息子である私は、時に悩みや苦しみ、
どうしようもない絶望さえも回向してしまう。
生きていようが、亡くなっていようが、関係ないのである。
幸せも、不幸せも、分かちあってもらうつもりである。

いつか、苦しみよりも、幸せの方を多く分かちあえれば、
それで良いと思っている。
幸せだけを回向するなどと気負わねばならない相手ではない。
時には、助けてくれとすがりつくことさえある。

それでも、互いにわかりすぎているほどわかっている
ことがある。
私の幸せは、すなわち家族の幸せであり、それはそのまま、
亡き者の幸せ、つまり供養なのである。




踏出す一歩

2009年08月15日 | ノンジャンル
一歩前進。

それをコマ送りのように細かく見れば、踏出す足が今の
位置よりも前に着地するまで、それを後ろに残された
もう一方の足がしっかりと支えている。

踏出された足は、またしっかりと地を踏みしめて、
もう片方の足が更に前へ踏出されるのを支える。

どちらの足も、前へ踏出す足となると同時に、他方を支える
軸足となる。これを繰り返して、人は前へ進んでいける。

自身にとって踏出す力、そして支える力が何であるかを
改めて考えてみることは、非常に大切なことである。

自らの力の発動がその主源である事は当然ではあるが、
その発動を促す様々な機縁は、人との関わりの中で得られる
ものであることに感謝したいものである。