ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

カオス

2010年07月29日 | ノンジャンル
また身近な人の死に接し、考えさせられる。

白い、穏やかで、安らかなお顔であった。

どんな栄華も虚飾も、この死に顔だけは飾ることができない。
その人の一生が、生き方が、どういうものであったかが、
最後の最後に相として表われる。

生と死は一体である。生きている間でも、髪や爪は
いわば死であり、生と死が一体となって共存している。

日々、細胞は死に、新しい細胞が生まれ、そのミクロの
生死の繰り返しによって、マクロたる生命体は存在している。

人体で起きていることは、地球全体でも同じように起きている。
あらゆる生物、植物の生死が繰り返される中で、地球という
一個の生命体が機能している。

生命の誕生の前には、必ずカオスがある。そして、死後は
再びそのカオスへと還っていく。

宇宙では、星の死はカオスを意味し、すなわち新たな星の
誕生を意味する。

生命というものが生死一体の中にあるのなら、この五体は
すなわち宇宙の具体的当体と言える。

ならば生命とは宇宙であり、宇宙とは生命なのだろう。

そして、生死を繰り返すその原理、法則を、人は神と言い、
仏といい、意志と言う。

私はそれを、誰が創ったものでもない、無始不変の法理で
あると信じる。

死は決定されたことであると共に、生も決定されている。
その法理に照らせば、生も死も、生命の一側面でしかない。

先であろうと、後であろうと、大した違いはない。
共にカオスへと還り、共にカオスより生じる。
そのカオスの中にこそ、生命の法理があるのであろう。






テイク・オフ (機内)

2010年07月25日 | ノンジャンル
滑走路に向かい、管制の許可を待つ。

一瞬の静けさの後、パワー全開の轟音と共に、背中がシートに
押しつけられる。
V1から、離陸決心速度のV2へ。 機体が傾き、テイクオフ。

上昇を続け、巡航高度に達して、シートベルトサインが消える。
離陸の緊張から解き放たれる時である。

同時に機内サービスが始まる。 おしぼりが配られ、
まずは飲み物のサービス。

気の利いたフライトなら、ワゴンが廻ってくる前に、
シャンパン、ビール、コーラ、ジュースなどの注がれた
グラスをトレイに乗せて、キャビンクルーが機内を廻る。

以前なら迷わずビールだった私が、ジュースを選ぶ。

機内食が配膳されると同時に、赤か白かと、ワインを
選ぶように声をかけられる。
思わず、REDと言ってしまいそうになるが、
内心苦笑しながら、「I’m Fine」。

以前なら、その区画を担当するクルーの名札をチェックして、
彼、あるいは彼女を名前で呼び、30分おきにビールを
持ってくるよう頼んだものだ。

機内食など、お酒のつまみ程度で、デザートにはいつも
手をつけなかった。

今では、全て平らげるし、大きな楽しみの一つとなった。

機内では、本を読んだり、少し眠ったり、映画を見たり、
音楽を聴いたり、窓外を何も考えずに眺めていたりと、
長時間のフライトでも苦にならなくなった。

飲み続けるフライトでは、時間の感覚もおかしくなるのか、
今よりもかなり長く感じていた気がする。

それでも、機内サービスにおいて、飲み放題のお酒を
飲めないことと、空の上で一杯やれないことが、
なんとなく損をしたような気にもなる。

なんともさもしいというか、まだまだだなと思う時である。






テイク・オフ

2010年07月25日 | ノンジャンル
出張で飛行機に乗ることが多い。

長時間のフライトの時は、窓外の空を眺めながら、
考えるとはなしに、徒然に思いをめぐらせている。

飛行機というのは、離陸と着陸の時が最もエネルギーを
必要とし、最も危険な時でもある。
ほとんどの事故は、この離陸時、着陸時である。

パイロットも、長時間、緊張感の中で操縦桿を
握ることはできない。 巡航に達すれば、自動操縦に
切り替えて、飛行状況を監視する。

ひとつの問題が全体の問題とならないよう、常に2系統以上の
フェイルセーフが徹底されている。

機内食にしても、機長がビーフを選べば、副操縦士は
フィッシュを選ぶというように、食あたりなど万一の場合に
備えて、同じものを食べることはない。

さて、断酒というのは、その初期は離陸のようなもので、
最も力が要る、最も危険な時であろうかといつも思う。

その時期が、半年か、1年か、2年かは人それぞれだろうが、
ともかくその時期を脱して、巡航高度に達しないと、
楽にはならない。

離陸、上昇の、最も苦しい時期にスリップすれば、また離陸から
始めることになる。この最も力の要ることを繰り返せば、
苦しいばかりである。

今、その苦しみの真っ只中にいる人は、いつか必ず巡航高度に
達することを信じて、何とか頑張ってもらいたいと思う。

もちろん、巡航に移ったとしても、油断は大敵であり、
思いもかけない事故で墜落ということもままある。
楽になったからこそ、警戒と監視だけは怠ってはならない。

さて、着陸である。

人生をまさに終えようとするその時こそ、断酒する
身にとっては最も危険な時である。
もう最後だからいいではないかと思うのも、人情ではある。

だが、最後の最後で、墜落して旅を終えるのか、無事に着陸して、
安堵と満足の中で旅を終えるのか。

私は、最後に残された力を振り絞って、静かな着陸をして、
旅の幕を下ろしたいと、今は願っているのである。






断ち切る

2010年07月23日 | ノンジャンル
昨日は、カミサンの誕生日だった。

残業もあり、遅くなったので、ワインとチーズケーキを
買って帰った。

自分でお酒を買うのは久し振りだが、なんということはなく、
ちょっと奮発して、口当たりの良い熟成ワインを選んだ。

彼女が通うスポーツクラブで、ベリーダンスの
プログラムがあり、最近その練習を頑張っているらしい。
動きのチェックに、専用の、腰に巻くコインスカーフなる
ものがあるらしく、それを探して気に入った商品を購入した。

ささやかな、本当にささやかなお祝いではあるが、
楽しいひと時となった。

巷のニュースでは、また虐待関連が多くなってきた。

彼女は母親を亡くして、親戚にあずけられ、そこで虐待を
受け続けていた幼少期を持つ。
今なお、身体に残された傷跡さえある。

虐待は連鎖するという。虐待を受けた過去を持つ者が、
親となった時に同じように自分の子供に虐待をしてしまう。
自分が傷つけられたから、人を傷つけてしまうのか。

やられたからやり返す。それはいい。
だがやり返す相手は誰なのか。
殺されたから殺す。
それで済めばいいが、恨みの連鎖はどんどん
繋がっていってしまう。
言われたから言い返す。聞く耳をいずれも持たなければ、
互いに罵倒し合うこととなり、不毛な論争となる。

制御しがたい負の連鎖を繋げていってしまうのも
人間なら、それを断ち切って、正へと転ずることが
できるのも人間である。

彼女は、命がけで子供達を守り、育ててきた。
そして、飲んだくれている父親の姿が、子供達に害となると
判断するや、私をさえ断ち切る覚悟を毅然と持っていた。

彼女は、自らに刻まれた負の鎖が、子供達に繋がって
しまうことを最も恐れ、自ら断ち切ったのだろうと思う。

しっかりと自分の足で立ち上がり、歩いて行けるようにと、
ただそれだけを願い、祈り、厳しくも、愛情豊かに子供達と
向き合ってきたように思う。

彼女が一人で子供達を守っていく覚悟を決めた時が、
私が断酒を覚悟した時でもあった。

あれから5年経った。ささやかなお祝いのひと時を、
家族皆で、笑顔で過ごせる幸せを感じずにはおれない。

子育てには、やっぱり父親がいないとだめだと
言い切る彼女の言葉に、つくづく父親でいられる
今の自分をありがたいとも思うのである。

そして何より、私に向けられる彼女の笑顔の自然さに、
無上の喜びを感じるのである。