昨日は、カミサンの誕生日だった。
残業もあり、遅くなったので、ワインとチーズケーキを
買って帰った。
自分でお酒を買うのは久し振りだが、なんということはなく、
ちょっと奮発して、口当たりの良い熟成ワインを選んだ。
彼女が通うスポーツクラブで、ベリーダンスの
プログラムがあり、最近その練習を頑張っているらしい。
動きのチェックに、専用の、腰に巻くコインスカーフなる
ものがあるらしく、それを探して気に入った商品を購入した。
ささやかな、本当にささやかなお祝いではあるが、
楽しいひと時となった。
巷のニュースでは、また虐待関連が多くなってきた。
彼女は母親を亡くして、親戚にあずけられ、そこで虐待を
受け続けていた幼少期を持つ。
今なお、身体に残された傷跡さえある。
虐待は連鎖するという。虐待を受けた過去を持つ者が、
親となった時に同じように自分の子供に虐待をしてしまう。
自分が傷つけられたから、人を傷つけてしまうのか。
やられたからやり返す。それはいい。
だがやり返す相手は誰なのか。
殺されたから殺す。
それで済めばいいが、恨みの連鎖はどんどん
繋がっていってしまう。
言われたから言い返す。聞く耳をいずれも持たなければ、
互いに罵倒し合うこととなり、不毛な論争となる。
制御しがたい負の連鎖を繋げていってしまうのも
人間なら、それを断ち切って、正へと転ずることが
できるのも人間である。
彼女は、命がけで子供達を守り、育ててきた。
そして、飲んだくれている父親の姿が、子供達に害となると
判断するや、私をさえ断ち切る覚悟を毅然と持っていた。
彼女は、自らに刻まれた負の鎖が、子供達に繋がって
しまうことを最も恐れ、自ら断ち切ったのだろうと思う。
しっかりと自分の足で立ち上がり、歩いて行けるようにと、
ただそれだけを願い、祈り、厳しくも、愛情豊かに子供達と
向き合ってきたように思う。
彼女が一人で子供達を守っていく覚悟を決めた時が、
私が断酒を覚悟した時でもあった。
あれから5年経った。ささやかなお祝いのひと時を、
家族皆で、笑顔で過ごせる幸せを感じずにはおれない。
子育てには、やっぱり父親がいないとだめだと
言い切る彼女の言葉に、つくづく父親でいられる
今の自分をありがたいとも思うのである。
そして何より、私に向けられる彼女の笑顔の自然さに、
無上の喜びを感じるのである。