ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

クローズド

2019年05月31日 | ノンジャンル
断酒例会というのは、言いっ放しの聞きっ放し、
つまり良い意味でのクローズドな場である。

そこには意見交換も主張も必要なく、体験という
事実を自ら語り、それを共有できるものは共有する
という、いわば共感の場である。

同じ病気で、似たような体験をしたものが集まり、
共感することで自身の回復、つまりは復元を
図る場である。

あれ程ひどくはないと思うなら、そこまで行か
なかったことに感謝しつつ、そこまで行っていても
おかしくなかったと反省し、その程度かと思うなら、
そのあたりで気付けなかった事を自身のこれからの
戒めとする。

良い意味での閉鎖的な場であるがゆえに、
共有できるものは多い。

他の体験に意見を述べたり、病気の苦しみを共有する
ことから外れた主張をする者がいれば、その場の
本来の意義はなくなる。

同じ病気に苦しむ者にとっては開かれた場であるが、
そうでないものには閉ざされた場なのである。

そこにわざわざ押し入って、自身の意見を
主張するならそれは共感ではなく凶漢である。

昔、米国大統領が来日した折に、蹴鞠を見て
自らその輪に入り、サッカーのリフティングで
その輪を搔き乱していたことを思い出す。

体験した者でなければ分からない苦しみを
共有しようとする場において、その苦しみを
知らないものが土足で踏み込むなら、
それは凶漢である。

嘆かわしきは、凶漢は常に自身が凶漢であることを
知らないし、排除によって自身を省みることも
しないのである。

クローズドな世界に入るには、少なくとも
その世界の人を理解しようとする心が必要であるし
それが無ければ、そこに入る必要は毛頭ない。

クローズは、閉ざされた意味のほかに、密接に
近しいという意味があるのである。





9 to 5

2019年05月30日 | ノンジャンル
昔の洋画や洋楽のタイトルではない。
就業時間の事である。

新卒で入社した会社が現在の勤め先なのだが、
当時としては珍しく完全週休二日制で、終業時間も
9時から5時となっていた。

女性が多かったので、掃除などを課せられる
ことはなかったが、新人は15分前には出社して、
その日の段取りと準備をするようにと上司に
指導されていた。

ところが、大抵、始業ギリギリに出社することが
多く、たびたび上司に叱られた。

自分でもよくわからないが、就業時間というものに
縛られることを頭から拒絶していた。

その後、出社は遅め、つまり遅刻して、
退社も遅め、つまり残業してという事が
通常となった。

随分いい加減な社員で、釣りバカ日誌の浜ちゃんの
ようなものだが、仕事よりも好きな趣味があった
わけでもない。

実のところは、仕入先は日本でも、販売先は全て
海外であったので、時差があるのである。

担当するマーケットによって、現実的に仕事の
できる時間帯は異なる。
無論、約束の時間に遅れるようなことはないが、
一律に定まった就業時間で対応できる仕事では
ない以上、最も効率の良い時間帯で仕事をするのが
ベストだという持論があり、それを実行していたに
すぎない。

フレックスタイムという言葉が世間で知られる
ようになるずっと以前から、私自身、一人でその
フレックスタイムを適用していたことになる。

仕事もないのに、だらだらと残業して、残業手当を
稼ぐせこい人もいたが、同じく仕事もないのに
早朝出勤して、定時頃に始動できる頭にするのも
時間の無駄である。

思えば、タイムカードの出社時間は赤字が
多かったが、勤怠控除が付いたことはなかった。

そういう意味では、自由度、柔軟度という点で
自分に合った職場なのであろう。

そうでなければ、これまで頑張ってこれなかった
かもしれない。

もちろん、オンオフで切り替えのできる仕事なら、
定時の出社、退社で良いだろうが、大きな流れ
というか、うねりの中での仕事であり、
ひとことで言えば臨機応変の対応が常に要求される
以上、就業の時間帯もむしろ自由である方が
自然なのである。

現在は、10 to 20 という感じで落ち着いている。





仲良く

2019年05月26日 | ノンジャンル
これまで母親の名前だけだった墓石に
父親の名前が刻まれた。

もう19年ぶりということになる。
そんなに長い間、気ままに一人でいた
母からすれば、また二人でと、迷惑に
思っているかもしれない。

二人で生きている間は、喧嘩が絶えなかった。
それでも、母が逝くまでの10年ほどは
仲良く暮らしていたと思う。

その頃のまま、これから二人、
仲良くいてほしいものである。





夜の帳

2019年05月24日 | ノンジャンル
多忙さの中ででも、ふと茫然とした間隙がある。

飛行機の待ち時間、仕事の合間の一服。
機内から窓外を眺めている時間。

ホテルの一室から眺める夜景。

どの時間も、次の行動に移る、つかの間の
休息に似ている。

だが、夜景を眺めていると急にふっと感慨深い
ものが込み上げる。

母親が亡くなった時は、人前ではこらえていたが、
泣きに泣いた。
抑えることのできない想いが溢れ、何とも
度し難かった。


今年、父親が亡くなって、実は一滴の涙すら
こぼしていない。
突然逝った母と違い、覚悟をしていた上に、
最期の直前に看取れたことが大きな違いなの
かもしれない。

しかし、何気ないこのひと時に、言い知れぬ
淋しさが込み上げる。

闘いを終えて、帰りたい場所が母であり、
闘いのさなかに、それを想って奮起させられる
のが父なのであろう。

男なのである。

母は自身の内にある。父は自身の外にある。

内なる想いと、外なる生き様。

私は紛れもなく、この母と父によって創られた。
そして、自身をこれからも創っていく。





人の暮らし

2019年05月23日 | ノンジャンル
5月の予定もひと段落したが、これから梅雨入りと
なるにも拘わらず、初夏の陽気である。

これまで各国を回ってきたが、名所や観光地
などに訪れることも少なく、人に羨ましがられるのも
お門違いな話なのである。

とはいえ、少ないフリータイムに、普通の街並みを
歩くことをひとつの楽しみにしている。

その地域での、普通の人の普通の暮らしぶりが
見えて、散策しているだけで楽しい。

一つ言えることは、国も違い、言葉も違い、文化も
生活習慣も違うのだが、人々の暮らしというものは
おしなべれば大して変わりはない。

飲んで、食べて、話して、歌って、踊ってと、そういう
普段の生活の根本は変わらない。

なんだ、何も特別な事はない、自分たちと同じ
人間ではないかと、当たり前のことだが、
それを頭ではなく、肌で実感できるのである。

その時、自分もまた外国人ではなく、今ここにいる
人達と変わらない自分を感じることもできる。

そういう共通の根本的な暮らしという面を
重ねれば、自分を特別とも、他人を特別とも
思わない、普通の人同士の感覚が養われる気がする。

それこそが、多くの国々に赴き、人と会ってきた
私の今を創った糧なのであろうと思う。

一緒に飲み、一緒に食べ、一緒に話す。

人と関わるというのは、さほど複雑ではないのである。
むしろ複雑にしてしまっているのは自分ではないかと
思い直せば、難しい事ではなくなるだろう。