ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

風化

2013年05月30日 | ノンジャンル
この3年ほどの忙しさときたら、昔の何倍もの
密度であることが、ひしひしと感じさせられる。

前の年のことがもうずいぶん昔のように感じるほど、
次から次へと息をつく間もないくらい
「為すべき事」に直面し、走り続けている。

気が付けばという言葉を何度も使っているが、
ふと時の流れと、自身の自覚とがずれて
しまっていることに驚かされる。

今年もまた、6月を迎える。
私にとっては、新たに生きる闘いを開始した月である。

あれから8年になる。
中学に上がったばかりだった娘と、小学生だった息子は
共に大学生。

振り返る暇もない今の自分にとっては、まだまだ感慨も
薄い。
子供たちが一人前になるまではという一点で、
石にかじりつくような思いで頑張ってきた。

ともかくも、前を向いて進むしかないと、死に物狂い
であった。いや、むしろ今の方が陶酔も酔夢もない分、
本当に必死なのかもしれない。

断酒を継続しているからといって、悩みが無くなる
わけではない。全てがうまくいくわけでもない。
むしろ、悩みは大きくなり、うまくいかない事の方が
多いだろう。

ただ、現実に向き合い、乗り越えようとする限り、
それができる身体であることこそが幸せなのだろう。

衰えを感じているとはいえ、まだ十分に動けることに
感謝したいと思う。

時の流れの中で、風化していくことは何ものに
おいても避けられない。
日々新たに一日断酒という決意がそこに新たな
前進を生み出すのみである。

20年以上断酒を継続してきた人が、結婚式の
たった一杯のお酒で、また連続飲酒に陥り、
命を落とした。
この業界では珍しくもない話である。

年を経れば、風化も進み、身体は衰え、同じように
この病気の意識も薄れていく。警鐘となる症状が
まるでないからである。

しかし、この病気は、何十年断酒を継続しようと、
風化することはない。
この病気には、是も非もないのである。
飲んで死ぬか、飲まずに為すべきことを為さんと
生き延びるかのいずれでしかない。

完治もない、風化もしない病気という、貴重な
経験を我々は持っていることになる。

1日は土曜日である。この日に先生に会えないのは
淋しい限りだが、その場に行けば、いつもの笑顔が
浮ぶだろう。
これまで、いくつもの笑顔に支えられて、
今の自分がある。

先生、私は、元気です。






不毛

2013年05月23日 | ノンジャンル
大阪市長の問題発言でメディアが喧しい。

私人の立場で、私的な席での談話ならともかく、
公人としての発言の場で取り上げる話題でもないことを
取り上げ、それが問題になるや、ムキになるところは
まだまだ若いということだろう。

それにしても、この発言をめぐっての各メディアや
女性を代表しているかの錯覚に陥っている人達の
集中砲火的な取り上げ方には苦笑を禁じえない。

戦後68年、当時の真実を知るものも少なくなってきた。
戦争という狂気の中で、明日の命も知れない過酷な
日々を過ごす状況にあるものを、現在の常識で
判断することはできない。

人権だの、道義だの、尊厳だの、そんなものは衣食足りて
礼節を知るということに過ぎない。
当時は衣食どころか、命自体が足りなかったのである。

それは、兵士であれ、一般民であれ、いわんや女性であれ
同じことだった。
一日を生きるのではなく、どう生き延びるかが全てであった。

人の命を数にし、どれほどの数を奪うか、奪われるか
によって勝敗を決するのが戦争である。

その狂気の中で理性を保ち続けたものも多くいる。
しかし大半はその狂気に翻弄されたものであったろう。

ともあれ、問題発言そのものよりも、日本の
ジャーナリズムに対して、薄ら寒い思いをした。
この国にはもはや気骨のあるジャーナリズムは失われて
しまったのかとさえ思える。

そこには、大衆迎合と、バラエティー化と、
スキャンダリズムしか見えない。

政治とは別の問題として、真の事実関係を徹底的に
探求しようということはそっちのけで、表面上の
馬鹿騒ぎにも似た空虚な論評のみである。

問題の本質は、彼の発言ではなく、事実の探究と
明確な実証という責務に対し、あまりにも怠慢で
あった戦後のジャーナリズムにある。

無論、占領下にある以上、今では考えられないほどの
制約や統制、抑圧があったことも事実である。
言論の自由が保障された現代であるからこそ、
戦場記者のみならず、ジャーナリストと呼ばれる以上は
命がけの気骨を持ってもらいたいものだ。

その記事こそが、後世に燦然と輝くのであり、
ジャーナリストとしての名を遺すのである。

残念ながら、いわゆるレポーターは履いて捨てるほど
多くいるが、真のジャーナリストはこの国では
本当に少なくなってしまったようである。



北風

2013年05月08日 | ノンジャンル
5月の連休といえば季節は初夏。
毎年、汗ばむ時期とのイメージだが今年はなんだか
肌寒い連休となった。

北海道では5月の雪。
この小さな列島の北と南で、冬と夏が同居するおかしな
気候となったが、連休明けにはその寒気が南下して、
高い太陽の陽射しが強い中、冷たい風が吹き荒れた。

大地を焦がす陽射しの中、冷たい北風が吹くのは
真夏ならありがたいのだろうが、不順な気候は
人の一年のリズムを狂わせる。

心身ともに不安定となる原因にもなるので、
善からぬ事件や犯罪が増えないことを祈るばかりである。

風も水もぬるむときは、心も弛む。

引き締め直しという意味なら、いつも心に
北風を吹き込んでおきたいと思うのである。