ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

花粉症

2018年04月30日 | ノンジャンル
幸いなことに、アレルギーの類は一切ない。

花粉症に悩む人には同情するが、実際の辛さは
わからない。

ただ、風邪をひいた時のように、鼻づまりと、
鼻孔の奥に膿が溜まったような不快感、
微熱による頭痛と倦怠感、加えて目のかゆみ等
想像することはできる。

だが、実際に風邪もひいていないのにその同じような
症状が日常的にとなるとたまらない。

嗅覚は鋭敏で、例えば同じ車内にいる女性が
生理中かどうかもわかる。

外出中など、黄砂やホコリ、排ガス、PM2.5と
思しきもの、そしてもちろん花粉なども鼻孔の奥で
感知している。

一番つらいのが、中国出張で、飛行機が降下する際、
雲の層を抜けてから、もう一層、何やら黄色っぽい
層がある。
ここに機体が入ると、途端に変な咳が出始める。

滞在中は常に息苦しさに悩まされる。
市販のマスクなど役に立たない。PM2.5どころか
PM0.5ぐらいの超微粒子が普通に飛散している。

喫煙者だが、煙草の煙の粒子は意外に大きい。
例えば、ハードディスクと、それに書き込みや
読み取りをするためのヘッドとのクリアランスの
方が小さい。

鼻が詰まることがないので、異物は鼻水と共に
ずるっと排出できる。
時折、脳ミソまで出てきたかと思うくらいである。

さて、花粉症の話である。
それまで何ともなかった人が、突然発症することも
あるらしい。

年齢を重ねる中で、体質や抵抗力の変化に
起因するのかもしれない。

若い頃から、国内はもちろん、海外への出張が多く、
様々な環境を経験してきた。
つまり、多様な水と大気を経験してきたことになる。

今更、デリケートな花粉症を発症するとは
思えないのである。





嫌われる勇気

2018年04月29日 | ノンジャンル
他人を好きだとか、嫌いだとかいうのは、
それぞれ個人の主観である。

嫌われるよりは、好かれる方が良いが、それに
囚われたなら、それでなくても見えない自身を
見失う。

大体、自分に置き換えてみれば、好き嫌いなどは
自分の感性である。
相性の良い相手もいれば、悪い相手もいる。

自分に嫌いな人もいれば好きな人もいる以上、
つまりは自身も好かれたり嫌われたりする事は
自明である。

わざわざ嫌われようとする必要はないが、
誰からも好かれようとする必要も毛頭ない。

無論、自身が好きな相手には好かれたいと思うが、
それも相手次第である。
相手の好みに合わせて、自分を偽ることは
長続きしない。

逆に、嫌いな相手に好かれたとして、それが
嫌悪から好感に変わることはままある。

ある意味、人の感性などというものはそれだけ
いい加減なものだという事だ。

好き嫌いは理屈ではない。そのいい加減な感性と
いう事である。

嫌われることを恐れず、好かれることを求めず、
自分らしく生きていけばよい。

ありのままの自分を、嫌いだという人もいれば
好きだという人もいるのである。





見る目がない

2018年04月27日 | ノンジャンル
一般に人を見る目があるとかないとか言うが、
見られる側にとっては迷惑な話である。

仕事上、人事に関わることも多いが、相手を
見る目は、多分にこちら側の求人の理想に
近いかどうかを見る。

より近い人を採用、あるいは配置という事に
なるのだが、それがそのままその人の全体の
評価にはなりえない。

相手もまた、こちらを見て、自身の理想とする
求職に近いかどうかという評価、判断をする
立場でもあるのだ。

さて、人を見る目があるというのは、例えば
面接などの折に、その人自身を見ているという
ことである。

身なりや言葉遣い、態度や受け答えなどは、
印象という点では重要だが、実は人を見る
という点では、あまり重要ではない。

マニュアル化された面接ではなく、予想もしない
質問や課題に直面した時の、いわゆるその人の
素顔が垣間見えた時に、その評価は変わる。

「日常会話程度なら、英語を話せます。」
と言う相手に、

「では簡単に自己紹介と、この会社でやりたいことを
 英語でお話しください。」と課題を与える。

頭の中では何とかしようと必死なのが分かるが、
なかなか言葉が出てこない。
5分ほどの沈黙の後、「はい、結構です。」と
面接を終える。

その時、意気消沈して帰っていった彼は、
今では営業の部長クラスである。

人を見る目というのは、要するに人のどこを
見ているかである。

ネクタイで言えば、印象という点では、デザインや
柄に目が行くが、人を見るというのは、それを
どう締めているのか、その人自身が結んだ結び目を
見るのである。

根拠はなくとも、直感というのは多分に信頼できるが、
いわゆる人を見るという事において、印象派では
恐らく見誤る事の方が多いと思われる。

むしろ見る側が抽象派であれば、言葉は悪いが
意外な掘り出し物に出会うのである。





五月の空

2018年04月26日 | ノンジャンル
またこの季節がやってくる。

花も緑も盛んになるその初めに、突然散った若い命。

自分が年を重ねるごとに、その苦さが色濃くなる
ようにも思える。

時折、何気なく空を見上げることがある。
そんな時、ふっと笑顔が見えた気がする。
あの、あどけない、いたずらっぽい笑顔である。

亡くなった者は、亡くなった事を認識できない。
それをするのは、遺された者のみである。

苦悶もある、後悔もある、喜びも、悲しみも、
嬉しさもある。
それは、生きていればこそなのである。

見上げた空に浮かぶのが、笑顔であることが
自身にとっての救いであろう。

また夏がやってくる。