台湾の事である。
正確には、独立国家としては認められていないのだが、
この国の人々は、懐の深さが半端ではない。
日本の統治下にあった国の中でも特に親日国で
あるのも不思議なのだが、その背景に人々の
底知れぬ優しさがある。
一例をあげると、商売をしていて、客先からは
支払いを受けているのに、仕入れ先には決済せずに
支払を引き延ばし、挙句には夜逃げして雲隠れ
という事件が度々あった。
何のことはない、どこででも聞く話だが、普通、
支払を踏み倒して、とんずらするような人は、
余所ではともかく、およそ同じ場所には戻って
これない。
戻っても当然ながら、どの面さげてとなり、
誰も相手にしないから商売など成り立たない。
まして債権のあったものなら、下手をすれば
あらためて意趣返しという事も起こりうる。
ところが、台湾では、しばらくほとぼりを冷ませて
当の本人が元の場所に戻ってくる。
ばかりか、周りがそれを受け容れる。
そして、その人がまた商売ができるようにと
協力できることは協力する。
信じがたい事ではあるが、これまで多くの例を
見てきた。
他の国、特に日本においては考えられない
ことである。
私たちは契約社会の中で生きている。
だがしかし、人との関係や繋がりにおいて、
それを契約化しすぎているきらいがある。
本来、契約などというもので構築できるほど
人と人との関係は単純ではない。
そうして、私たちも民族風土として持っていた
豊かな内面性を、契約という狭小で陳腐な
規約によって喪ってきたのかもしれない。
台湾の様々な友人に会うたびに、相手本位の
心豊かさにいつも感銘を受ける。
そう、つまり、感銘を受けるという事は、私自身、
懐の浅きを露呈していることになる。
仕事上はともかく、人との関わりの中で、何かが
欠落してしまっていることに気付かされるのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/5b/3355f6555f890741ca37b5ac6c68e36e.jpg)
正確には、独立国家としては認められていないのだが、
この国の人々は、懐の深さが半端ではない。
日本の統治下にあった国の中でも特に親日国で
あるのも不思議なのだが、その背景に人々の
底知れぬ優しさがある。
一例をあげると、商売をしていて、客先からは
支払いを受けているのに、仕入れ先には決済せずに
支払を引き延ばし、挙句には夜逃げして雲隠れ
という事件が度々あった。
何のことはない、どこででも聞く話だが、普通、
支払を踏み倒して、とんずらするような人は、
余所ではともかく、およそ同じ場所には戻って
これない。
戻っても当然ながら、どの面さげてとなり、
誰も相手にしないから商売など成り立たない。
まして債権のあったものなら、下手をすれば
あらためて意趣返しという事も起こりうる。
ところが、台湾では、しばらくほとぼりを冷ませて
当の本人が元の場所に戻ってくる。
ばかりか、周りがそれを受け容れる。
そして、その人がまた商売ができるようにと
協力できることは協力する。
信じがたい事ではあるが、これまで多くの例を
見てきた。
他の国、特に日本においては考えられない
ことである。
私たちは契約社会の中で生きている。
だがしかし、人との関係や繋がりにおいて、
それを契約化しすぎているきらいがある。
本来、契約などというもので構築できるほど
人と人との関係は単純ではない。
そうして、私たちも民族風土として持っていた
豊かな内面性を、契約という狭小で陳腐な
規約によって喪ってきたのかもしれない。
台湾の様々な友人に会うたびに、相手本位の
心豊かさにいつも感銘を受ける。
そう、つまり、感銘を受けるという事は、私自身、
懐の浅きを露呈していることになる。
仕事上はともかく、人との関わりの中で、何かが
欠落してしまっていることに気付かされるのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/5b/3355f6555f890741ca37b5ac6c68e36e.jpg)