ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

断酒で変わった事

2006年02月28日 | ノンジャンル
最も顕著な形であらわれた変化は、食欲であった。朝、昼、晩と、
3食をきっちりと取るようになった事だ。そして甘い物が食べられる
ようになった事。いや、むしろ欲するようになった。

以前には、考えられない事だ。酒代よりは全然まし。。。と言う事を
父親に聞かされ、妻は殆ど毎日のように蜆の味噌汁を食事に供した。
血液検査の各数値は見る見る改善され、殆ど毎日下痢をしていた
のが、嘘のように止まった。
そして、下半身の筋力が徐々に戻り、ふらつきや、足のだるさも
感じなくなった。

駅の階段などを急いで駆け上がると、途中でがくがくしていた足に、
力が漲ってきた。
特にお酒で暴れたり、暴言を吐いたりという事は無かったので、
社会的な信用を著しく失墜するような事は無かったが、それでも、
頑として飲まない事で、以前より、周りの評価は上がっている
とも感じる。

断酒によって敏感になった分、神経が疲れやすくなった点は
否めないが、これは、際立った変化の部類ではなく、いろいろな
波を繰り返して、時間をかけながら変わっていくものだと
認識している。

妻に言わせると、酔っ払って愚痴や不満をぶつぶつと、一人言を
言っている事が多かったのだそうだが、それが、ぴたりと
止んだそうである。
本人は、あまり気がついていなかったのだが。。。

他の患者さんと比べてどうかという事は、あまり考えないように
している。
お互いに断酒が必要であるという共通の一点で、認識している。
他の患者さんとの比較で、自分の中に優劣の感覚を持つ事は、
かえって危険と考えているからだ。
共に、もうお酒は飲めない、同じ立場の方々という認識のみで、
考えるようにしている。

初めは、失敗を繰り返す人を見て、正直、自分の方がましとの見方を
したが、見方を変えれば、この病気の恐ろしさの一つの実例である。
もはや自分の意志ではどうにもならない病気であれば、少なくとも、
その病気が再び発症するまでの、自分の意志がコントロールできる
ところで、頑張るしかないのである。

冷静に考えれば、そこのところで支えとなってくれるものは意外に
多いのだ。家族であったり、自助グループであったり、薬であったり、
通院であったりと、自分の意志を強化してくれる助けというのは、
多くある。あとは、それを自分で望むか望まないかだけの
話なのである。


運転

2006年02月28日 | ノンジャンル
幻覚症状が出ていた頃、運転する妻の横で、様々な幻覚を見、幻聴を
聞いていた。その恐怖からか、通院しだしてから、しばらくは
運転は出来ずにいた。

昨年7月中旬以降に職場復帰した後も、車に乗る事は
無かったが、お盆休みに母親の墓参りに三田方面へ、そのまま
ドライブと観光をかねて、天橋立まで足を伸ばした。

多少の不安はあったが、快適で、楽しく感じる事の出来る
ドライブだった。
その後は、何ら問題は無かったが、お客さんを真夜中にホテルへ
送る時は、帰りにまた不安が募った。一人で運転していると、
幻覚が見えた場所や、方向に、どうしても目が行ってしまう。
幸い何も無かったし、見えなかったが、少なからず緊張した
運転であった。

酒酔い運転が常習であった私だが、何度検問にひっ掛かっても、
お咎め無しと言う事が多かった。スピード違反、駐車違反なども無く
(幸運としか言いようが無いが)、無傷で、ゴールド免許を
維持している。

しかし、当時は、夢の中で運転をしていて、いくら踏んでも、
ブレーキが効かないという夢を幾度と無く見た。
ある意味、自分に対する警告であったかもしれない。

今では危険察知の能力が向上して、すこぶる安全運転である。


周囲の反応

2006年02月26日 | ノンジャンル
早いもので、2月も終わりに近い。これで9ヶ月の断酒となるわけだが、
あまり意識もしていない。これまでの、周りの反応というか、
状況については既に述べたように、様々な波はあるものの、
概ね落ち着いている。
自分自身が落ち着くと、周りも落ち着くものかと、なんだか可笑しい。

先だって、馴染みの店に、どうしようかとも思ったが、半年振りに
寄ってみた。驚きと共に、皆、歓迎してくれたが、ママさんも昨年、
十二指腸を患って入院していたらしい。

不幸は得てして、重なるものだ。お酒を飲まずとも、例によって充分
楽しめたが、お茶を飲んでいるにも関らず、料金がお酒を飲んでいるのと
変わらないのには、閉口した。
水商売とは良く言ったものだが、またしばらくは寄る気にもなれない。

ここのところ、千客万来で、息つく暇も無い。来週はまた、出張の
予定がびっしりだ。
お酒をやめて、年が明けた途端、こうまで忙しくなってきた事が
不思議である。
タイミングが良すぎはしないか?

絶える事が無かった、妻との揉め事も、めっきり減った。反対に、
妻の笑顔を見る事や、二人で話しをする事が、目立って多くなった。
良い傾向だ。

当初は、飲んだくれていた頃の事を引き合いに出して、揉めた事も
あったし、二人でほっと一杯。。。という楽しみも無くなって
しまったと責められた事もあったが、その頃は、自分自身まだ
不安定な時だったのだろう。
今ではそんな事も無いし、ほっとして、飲みたい時には、
別段何の気遣いも無く、私の前で飲んでいる。

少量で赤くなって、眠気の方が勝つような体質だから、
私のようになる事はまず無い。結構な事だ。

上の娘は、大らかなタイプで、私が病院で初めて診察と処置を受け、
ふらふらの状態で帰ってきた時も、心配はしながらも、内心可笑し
かったようだ。
私が、お酒でおかしくなってしまった事は理解しながらも、
少しぐらい酔っ払ったほうが、お父さんは面白いのになどと
いって、笑っている。
それでも、やはり、飲まない私の方が良いともいうのだが。。。

反対に、下の息子は、どちらかというと神経質なところがあり、
勘も鋭い方だ。
ふらふらで帰ってきた私の姿には、少なからずショックを受けた
ようで、その後一切お酒を飲まない私の事を、内心、いろいろと
気遣っているようだ。
妻が私の前でお酒を飲んでいる時は、信じられないといった
顔をしていたし、妻の飲んでいるチューハイの入ったグラスを
お茶と間違えて、娘が私に出し、危うく飲んでしまいそうに
なった時も、何を考えてるねん!と、真剣に怒っていた。
子供なりに察する心を持っている事が、なんともいえず
嬉しい気がする。

父親も、妻とは結構連絡を取り合っているようだった。
そして、常に「頼むぞ」の一言を最後に電話を切るようだ。
私にもごくたまに連絡がある。何という事は無い話しで
始まるのだが、最後は、必ず、「辛いか知れんけど、辛抱せえよ。」
と言って締めくくる。
この一言を言いたいがために、連絡して来るのだろう。いくつに
なっても、親とはありがたいものである。

一つ悔しいのは、息子が成人した時に、二人で一杯飲むということが、
もう、かなわない夢となってしまった事だ。それとなく水を向けると、
息子は大人になってもお酒を飲まないと言い切る。私のようにならず、
普通に飲む分においては、なにも問題が無い事を話すが、今のところ
(あたりまえだが)お酒は飲まないと決めているような節がある。
まあ、その時には、お酒無しでも、本音で話しの出来る父子に
なりたいものだ。


飲んでしまう時とは 2

2006年02月23日 | ノンジャンル
妻の死
これは、あまり現実味を帯びた想像は出来ない。私よりも7つ年下で、
健康が取柄の彼女が、現代の平均寿命からいっても私より
先に逝く事は、まるで考えられない。
しかし、何が起こるか想像する事すら難しい今の世の中で、
仮に彼女が先に逝ってしまったら。。。

それは、考えるも恐ろしい事だ。少なくとも自分の親以外で、
唯一といって差し支えのない、自分を理解してくれている人を
失う事なのだ。
これは、どうも、耐えられそうに無い。耐える術を知らない。
自分自身の存在すら、定かではなくなってしまうかもしれない。
そういう本音の反面、最後まで見守ってやりたいという思いもある。

矛盾もはなはだしいが、どこかで、保証の無い自信があるのだろう。
「おれが絶対先に逝く。こいつが先に逝く事はあり得ない。」という、
おかしくも、願望に似た自信があるのだ。 
それが逆になったとしたら。。。。

自分を立ち直らせる鍵は、「子供たちの親は、もう自分しかいない。」
ということの自覚以外には無いであろう。本当の意味でそこまで
いくには、それなりに時間が必要ではあろうが。。。。
やはり、どう考えても、この最悪の事態は、想像できない。

子供の死
不惑の歳を過ぎた男にとって、余生は自身の為というよりも、未来を
より良きものにする為に、何が出来るのかという事に焦点を当てた
考察をする傾向が強い。

特に身近な「未来」である、子供たちに目を向けると、改めて健全な
身体と、健全な精神の大切さを思わずにはいられない。子供は社会の
鏡とも言えるが、この荒んだ世の中で、実に子供らしく、素直に
育っている事に半ば感心する。
子を持つ親となった以上、最低限の責任は果たそうとも考えているが、
決して義務ではなくて、一つの希望なのだ。

この子達が生きるであろう未来を、少しでも良くするための布石を打つ
ということが、自身の課題でもあると考えている。

しかるに、世の中の出来事はあまりにも酷く、悲惨なニュースが連日
絶える事が無い。
事故、放置、虐待、殺人、自殺、心中、監禁、誘拐、などなど、
子供が犠牲となる事件の何と多い事か。
自分の子供達だけは。。。と、何ら根拠も保証も無く、自分に言い
聞かせて祈る毎日だが、もし、不幸な事態となったら。。。と、
考えるだけでもおぞましい。

自分の夢も、希望も、願いも、祈りも全てが一瞬にして奪われる
事になるのだ。
私を救ってくれたのは、父親や妻、そして子供達だ。その子供達を
奪われるといことは、とてもじゃないが、耐えられそうにない。
断酒だの何だのと自分の事をどうこういっていられる状況では
無いだろう。
理屈ではなく、これは、ある意味、妻の死よりも遥かに大きな
心の痛手となってしまう。普通である事の幸せが身に沁みている今、
こんな異常な事には、さすがの私の想像力も限度を超えてしまう。

お酒を飲んでしまう?
それどころではない、そんなことは、頭から消え去っているだろう。
断酒の継続というのは、人との関わり合いの中で、初めて出来る事だ。
ほんの一杯、いや、ほんの一口という、すんでのところで、子供たちの
笑顔が私を踏み止まらせた事もあった。
それを失えば、自分にとっての断酒の意味は何も無くなる。無くなるが、
お酒を飲む事は無いだろう。目をつぶれば、笑顔が見える。その顔を
目にして、お酒などとてもではないが、飲むような気分には
ならないのである。

考えたくも、想像したくも無い事であるし、そう出来ない事でも
あるが故に、どうか、自分の人生を健やかに全うしてもらいたいと、
祈るばかりである。

自身の死
順当にいけば、孫の顔も見て、ごく普通に家族に見取られて
逝く事ができれば、これ幸いであるが、こればかりは自分で
何とかできる事ではない。

どこでどんな死に方をするのかは、天のみぞ知ることであろうが、
できれば、死ぬ間際に、自分の人生を振り返る暇(いとま)が
あればと考えている。

もっとも、今の世の中で“普通に”死ぬという事自体、難しい
事かもしれない。
実際に、昨年はすんでのところで命拾いをしただけで、転落死という
事になっていても、別段おかしくも無い状況であった。
もちろん、意識も定かではなく、自分自身、わけもわからないうちに
死んでいたという事になっていただろう。それはそれで、本人に
とっては何ら苦痛も無く、幸せな事であったかもしれないが、
残されたものにとっては、堪ったものではない。
 
まだまだ、死んでる場合ではないと、何かに守られたような
気がしている。 
“生かされた”以上、その意味を考えながら、これからの人生を
大切に生きねばと、心から思う。

ところで、真っ当な死に際を迎えられた時、その時こそ、
私は最後にお酒を飲もうと思っている。最期を迎えて、
不埒ではあるが、断酒のご褒美というわけではない。

もう、人生を終わるという段になれば、何ら迷惑をかける事が
無いという安心感から、私は『彼』に会いたいのだ。
もう死んでいく私に、『彼』は、何を語るだろうか?

それでも、先があると考えて、私にお酒をもっともっと飲ませようと
するだろうか?
もっとも、もし、その時にお酒どころか、何も咽喉を通らない状態
であれば、それもおぼつかないだろうが。。。。 
点滴にアルコールを入れてもらおうかなどと馬鹿な事まで考えている。

死の間際という、“安心”な状況においてなら、私は再び『彼』と
話をしたいと思っている。
『彼』がその時に、私に何を話し、私に何をさせようとし、
私に何を聞かせ、私に何を見せるのか。

死んでゆく自分自身に更なる絶望を与えるのか、私の人生自体を
意味の無い、虚しいものとして嘲るのか、それは解らないが、
いずれにしても、最期に『彼』が私にする事を見てみたいという、
強い興味と好奇心があるのである。


飲んでしまう時とは

2006年02月23日 | ノンジャンル
遠い先の事を考えたり、想像したりする事は、断酒の継続にとっては
あまり芳しい事ではない。むしろ、一日一日を大切に、断酒の日々を
積み重ねていく事が肝要であることは、論を待たない。
ただし、自分のようにひねくれた人間にとっては、あえて、
直面せざるを得ない将来の出来事を想像して、予めその事態に
直面した時の自分を考察してみる事も、意味が無い事ではない。

大いなる節目といえる、冠婚葬祭をベースに考えてみる。

父親の死
これは、現実的に最も近い将来、起こるであろう、重大事である。
元気に働いている父親からすれば、心外な話であろうが、
子の立場では当然ながら覚悟せねばならない事である。
では、その時に、自分はどうなってしまうか?
葬儀の場には、無数のお酒好きな親戚や、父親の友人が
押し寄せる。故人の供養の為という事で、お酒が酌み交わされる。
その場で、一人、お酒を口にしないで居られるものだろうか? 
悲しみの中、「この日ぐらいは。。。」との思いが、
頭を過ぎらないか?

結論として言う。飲む事は、まず、ないであろう。 離脱症状に
苦しんでいた時に、父親として、いや、男として、私を救って
くれた人との、別れの時である。
母親との別れとは、まるで違うものがそこにはある。
男の別れとはそういったものだ。
お酒を断つという誓いを、改めて胸に刻みつける別れなのだ。
心に焼き付けた父親の最後の顔は、その後の私の断酒を支え続けて
くれるに違いない。

娘の結婚、息子の結婚
親としては喜ばしい事なのか、想像の上では甚だ疑問であるこの
イベントにおいて、飲酒欲求が顔を出すかどうかというのは、
難しい問題だ。今の時点では、そういった欲求は無いだろうとは
思えるが、祝いの場の、ある意味で当事者であるが故に、かえって
危険度は高いと考える。一人前となり、巣立ってゆく我が子を
見送る時の、複雑な心境は、想像するに難い。一応の責任を
果たせた安堵感と、一抹の寂寥感。そして、門出を祝いながらも、
幸多き未来をと、祈るような気持ち。。。

喜びと、安堵と、寂しさと、祈りと。。。。お酒に手が伸びる要素が
ふんだんにある。
飲むつもりは毛頭無いが、悲しみや辛さの対極にある、喜びや
ふっと力の抜けるところに、必ず魔というものは付け込んで来る。
だからこそ、この時ばかりは、よくよく覚悟しておかなければ
ならないと考えている。
さほど遠い先の話でも無いであろう。日ごろの覚悟が、最も過酷な
条件で試される時であると自覚している。