ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

網戸

2020年06月29日 | ノンジャンル
角部屋の我が家は窓が多く、通気が良いので
夏の猛暑日でも、エアコン要らずである。

玄関側が淀川なので川風が入り、部屋の中にいても
屋外にいるのと変わらないほど風が通る。

よって、暖房が要らない分、夏の電気代は
一年の内で最も安くなる。

風通しが良い分、蚊や虫の侵入が多いので、
網戸は必須である。

梅雨の合間の晴れの休日、網戸を洗おうと思ったが、
傷みもあるので、思い切って張り替えることにした。

大きい網戸が3張り、半分の小さい網戸が1張り。
合計7面の張替えである。
網で7メートル、ゴムで30メートル必要となる。

前回張り替えたのは、もうかなり以前だったと
思うが、今回、作業を始めると、たった2面
張り替えた時点でもう腰が悲鳴を上げだした。

何とか小さい網戸と大きい網戸1張りずつを
張り替えた時点で、ギブアップ。
残りの大きい網戸2張りは、また次の休日にと
文字通り弱腰になった。

昼食を取って一息入れた後、出来るところまで
やってみるかと意気も上がり、結局残り2張りも
張り替えて、気持ち良く休日の午後を過ごせたが、
普段とることのない姿勢での長い作業に、今日は
脚の筋肉痛と腰痛で階段の昇り降りが辛い。

さて、部屋の通気を考えると、どのサッシも
開けるのは右側なのだが、寝室だけ左側である。

となると、注意するべきは、半開きである。
左側に網戸という場合、窓が半開きでは意味がない。
最も蚊の侵入してほしくない寝室にわざわざ蚊を
入れては、元も子もない。

これからの時期、コロナ対策の換気という点では、
最適の環境である。新しい網戸で、部屋を通る風も
何だか清浄な気がするのである。





夏マスク

2020年06月23日 | ノンジャンル
今年2月以降は、品薄続きでなかなか買えなかった
マスクも、今では売り切れずに店頭に並んでいる。

とはいえ、平常時の価格に比べれば、まだまだ
割高である。

梅雨に入り、蒸し暑い季節となって、外出時に
マスクを着用すると蒸れて暑苦しい。

室内にいても、話をしていると、なんだか
息苦しくなってくる。

あれだけマスクマスクと騒いでいたのに、
贅沢なもので、今では夏用の冷感マスクが
品薄になり、開店前に行列ができるのも、
通常のマスクではなく、この冷感タイプの
夏マスク目当てらしい。

高温多湿な国々でも、驚くほど感染は
広がっている。
国内は落ち着いてきたとはいえ、解除が進んで
人の移動が多くなればそれだけリスクは高まる。

だが基本的には、飛沫感染、手指からの感染が
殆どであることは間違いない。

つまり、口を開けない、手洗いをしっかりする
という予防措置は変わらない。

黙っているなら、マスクは必要ない。
車を一人で運転していてマスクをしているのは
意味が分からない。

人と話す時、周りに人がいる場で電話で話す時など
口を開かねばならない時こそマスクは必要である。

よって、これから最も警戒すべきは、マスクを
外さねばならない飲食と、口を開けて人と話す
という事がセットになった複数での飲食店での
食事、夜の接待を伴う飲み屋であろう。

お酒に酔えば、なおさら警戒は弛む。

感染の可能性の高い状況を理解すれば、
自ずと予防の措置もそれに即したものと
できるのである。





夏至

2020年06月22日 | ノンジャンル
372年振りに夏至の日食となった日曜日。

父の日であることも忘れていたが、久し振りに
お好み焼きを作ろうと、仕込みの最中だった。

その頃は曇っていたので、いずれにしても
観測は出来なかったが、空を見上げることぐらいは
したかったと思う。

次の日食は10年後らしい。
10年単位というのは、もう自身の残寿命との
兼ね合いに等しい。

梅雨も明けないこの6月に、昼間が一番長くなる
日があるというのも不思議な気がする。

これから日照時間はだんだん短くなっていくが、
夏の暑さはこれからが本番である。

とはいえ、夏至と聞くと、これから昼が短く
なっていくということに寂しさの琴線が弾かれる。

これも歳の所為かと思いながら、キラキラではなく、
ギラギラでもなく、鈍いながらも自身をいつまでも
輝かせたいと祈るのみなのである。





屹立2

2020年06月20日 | ノンジャンル
このところパート2が多い。

今年の年頭に書いて頂いた「屹立」。
ちょっと気負いすぎかとも思ったが、
一人立つ事は、愚痴と言い訳を
断つ事でもあるとの覚悟だった。

そして直後からの前代未聞のコロナ禍、
緊急事態と経済の長期フリーズ状態。
身動きの取れないまま、半年に
なろうとしている。

それでも収入に影響が出る事もなく
過ごせているのは幸せであろう。

会社では従業員としての管理職、
役員、株主と、多様な立場にあるが、
役員報酬も株主配当も、要するに
会社の決算利益に準じる。

つまり、従業員としての業績が、
それらを左右する事に変わりない。

以前は事業部の業績のみに腐心して
いたのが、昨年からは会社全体の
経営にも参画して、面倒な事が
増えたのだが、ひとつだけ
良かったのは、決定権が大きくなった
事である。

取締役会に稟議をかけて承認を
取らねばならなかった事も、
ほとんど自身で決定できるので、
その分、時間と手間は省ける。

しかしながら、責任の圧倒的増大には
時に身慄いを覚えるほどである。

今、改めて自ら選んだこの書の言葉を
見つめなおしている。





断酒三原則

2020年06月17日 | ノンジャンル
断酒の三本柱は、通院、抗酒剤、自助グループである。
これはいわば、自分の意志と足で動く能動的、
積極的行動である。

しかしながら、能動的であるが故に、事故は
つきものである。それがいわゆるスリップだ。

これを補完するものとして、必ずしも消極的では
ないにしろ、受動的要素を排除する意味で、
断酒三原則があると思われる。

お酒を身辺に置かない、お酒に近づかない、
お酒を持ち込ませないである。

非核三原則の様だが、お酒をわざわざ造るアル中は
いないので、お酒のある所に近づかないとした。

この三本柱と三原則をしっかりと日常の生活に
根付かせることができれば、その人の回復は
約束されたに等しい。

さて、自分の例で言えば、全く以て劣等生である。
三本の内、忘れた頃に通院する一本のみ、三原則に
至っては、ひとつも遵守出来ていない。

接待で夜の街に出て、飲み屋にも行く。
断酒しているとは知らない取引先からは、お酒が
送られてくる。
誰かに差し上げるまでは、そのまま家にお酒がある。

この状況は、もう10年以上続いている。
そして、私の断酒はと言えば、今年で15年となった。

これを踏まえて、私自身の経験例を取り上げ、
通院の一本柱で断酒はできると公言すれば、
ただの馬鹿である。

少なくともこの病識を自身が罹患することで
しっかりと得た者にとっては、人の命に係わる
ことに対して無責任な発信は決してできない。

これまで何度も記してきたが、この疾患については
一事は万事ではなく、万事万様なのである。
私のある意味特殊な例を、万例とすることは
断じてできない。

他人を死に至らしめる様な、取り返しのつかない
無責任な行為を、こうした公の場でするほど
頭はやられていない。

繰り返すが、三本柱と、三原則は、断酒の要である。
これをしっかりと生活に根差しめてこそ、断酒継続と
回復の可能性はそれだけ大きくなる。
こういう場で言えるのは、それのみなのである。