ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

天と地

2011年07月23日 | ノンジャンル
正直、ブログどころではなかった。

この6月と7月。

いったい何なんだという想いが交叉する。

かつて経験したことがないほどのトラブル。懊悩の日々が続く。
食欲もなく、眠れず、息をするのも苦しい。

何もかも、もうどうでもよくなって、すべてを投げ出したく
なることもしばしばであった。

それでも、ともかくも一日一日、自分のできることを
精一杯という想いで頑張ってきた。

その苦労が報われて、天にも昇る想いであったのもつかの間、
再びどん底へと叩き落された。

もがけばもがくほど、見えない闇の底へと引きずり込まれる
ような日々の中で、それでも自分を信じて前へと気持ちを
向けていった。

大きな山場となったその時は、なんとしても乗り越えようと
這うようにして上りながら、見込んでいた目的を果たせず、
失意と無念の中で帰国した。

何故、これほどまでに苦しまねばならないのか。
私が何をしたというのか。

日々、決死の覚悟で闘う中、もう終わりにしてもいいかという
想いが頭をかすめることもあった。

不眠不休で疲弊し切った身体。 何もできなかった無念さと
失意の底に沈む心。

また一からやり直すか。 そう覚悟を決めたときだった。
一筋の光が射した。
苦しみの中で、それでも前へという想いでいた時に
いくつかの可能性が頭に浮かんだ。

そのうちのひとつが、見事に実現し、一気に問題解決の
突破口となった。
奇跡ともいえるそのドラマティックな展開に、
思わず目頭が熱くなった。

すべては無駄ではなかった。 いや、むしろ無駄なものは
何一つなかった。

この地獄と天国とを何度も行き来したような2ヶ月間。
私が学んだのは、地獄にいるときこそ、自身の可能性という
目には見えない光を信じること。

そして、文字通り天国にいるときこそ、心からの感謝を
忘れないこと。 

なかなか、自身が地獄や天国にいるときは、他人のことに
想いが及ばない。
だが、自身を開き、感謝できれば、他者への思い遣りの
心の層をひとつ重ねることができる。

そうして、ひとつひとつ重ねていく中で、その分、人は強く、
優しくなれるのかもしれないと思う。

まだまだ、これからが本番ではあるが、つかの間のひと時を
穏やかに過ごしたい。

そういえば、昨日はカミサンの誕生日。
今夜はささやかなお祝いの、楽しい時間を夫婦で過ごしたい。
彼女の笑顔に、どれほど支えられ、救われたか知れない。

笑顔とは、その人ばかりでなく、他人をも照らす光なのだろう。






折り返し

2011年07月04日 | ノンジャンル
気が付けばもう7月。

梅雨も明けきらないうちに、真夏日が続いている。

季節の移り変わりは、断酒してからというもの
確かに肌身で感じられるようになってきたのだが、
どうも今年はおかしい。

それほど、3月の震災や津波の被害の惨状のインパクトが
大きいということでもあるだろう。

辛い、苦しい6月を終え、大変ではあるけれども、
また充実するであろう7月を迎えた。

多忙な日々を送る中で、改めて時の過ぎゆく早さに
しばし呆然とする思いがする。

とはいえ、立ち止まっている暇などない。
ともかくも、前へ向いて進むしかないのであろう。

過去は消せない。
常に、今から、ここから、私から。

今を生きることが未来へとつながる。

思いついたことは、とにもかくにも具体的に動くことを
心がけている。 そうした時の合間にこそ、
本当の休息がある。

ふと見上げると、そこには夏雲があった。