ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

年の瀬

2019年12月30日 | ノンジャンル
仕事はどうなるかわからないが、
とりあえず会社は休みに入り、
大掃除と、友人達との納会も
終わり、何年振りかのゆっくりとした
年の瀬を迎えている。

これほど余裕のある大晦日も珍しい。

缶のお茶から茶葉が出てきたり、
栗が一卵性?双生児だったり、
キテレツなことが続いている。

何か良いことありそうな、
最後の幸運になりそうな、
変な心持ちである。

ともあれ、心穏やかに、新年を
迎えられること自体が幸せなのである。

許されるなら、また今日と変わらず
明日を生きる。

それはこれからも変わらない。

皆様にも、幸多き年越しとならん事を
祈るばかりなのである。





この道

2019年12月26日 | ノンジャンル
今年も残すところわずかとなった。

昨年末は腰を痛めて散々な年越しだったが、
今年は多忙とは言え、無事に一病息災で過ごせた。

課題や問題も多く、更に出処進退に関わることも
あり、身近な人達を見送った年でもあった。

どれをとっても、もう二度とはご免なのだが、
変化の異名である時間の中で、自らが動ける
というのは、ありがたい事なのであろう。

動けるうちに動き、動けなくなったら、
また新たな生へと旅立ちたいものだ。

道に倒れたなら、その道に依って立ち上がる
しかない。

道が無ければ、進んで道を開くしかない。

過去がどうであれ、未来がどうであれ、
「今」に自分の足跡をつけていくしか
ないのである。





お茶の葉

2019年12月24日 | ノンジャンル
昨夜は近しい先との忘年会。
食事の後、飲み屋で緑茶を飲んでいたが、
開栓した缶のお茶から何やら出てきた。

ん?と見れば、瑞々しい緑の葉っぱである。

何千本かに一本、生茶葉が入っていて、それに
当たれば、強運の持ち主!的なメーカーの
遊び心かと思ったが、もちろん初めての
経験である。

抽出した後の茶葉かとも思ったが、加工の
痕跡がまるでない。
お茶の生木より摘んですぐの茶葉としか思えない
張りと、固さの葉である。

記念に? その葉を持ち帰った。

今日になって、改めて見てみると、
やはり生葉である。

メーカーにクレームをつけるつもりなど毛頭なく、
むしろその珍しさに興味津々で、ありがたいとさえ
思っていた。

だが、製品のクレームで苦労している最中でもあり、
珍しさに喜んでいる場合ではないと思い直して、
メーカーに連絡を取った。

調査の為、その葉を送って欲しいという。
製造工程からいって、生葉が混入するなど
あり得ない。

作業員の衣服に付着していた葉が、何らかの
拍子に、充填時に缶へと混入した可能性も
ない事はないが、まずはないといってよい。

とすれば、この混入は、人為的なものの
可能性が高い。となればこれはメーカーにとっては
一大事である。

その生葉が、お茶に関係ない別の植物の葉であれば、
更にその可能性は高くなる。

調査結果は報告してくれるそうだが、私としては、
その葉を記念に取っておきたかった。

とまれ、害のあるものでも無し、年の瀬に
あり得ない事が起こったことを僥倖とすべき
かもしれない。

単純に、茶柱が立った好運感の1000倍にも勝る
驚きと喜びを感じている。

恐らく、宝くじに当たるよりも低い確率だろう。
何ともいい気分で今年を終われそうである。





首脳会談

2019年12月20日 | ノンジャンル
大仰なタイトルだが、要するに製造メーカーの
トップと、各部門の管理者との会議である。

一泊二日の強行軍で、みっちり会議と現場査察も
行なったが、査察途中で新たな問題発生、
査察後にも問題発生と、波乱の週となった。

中国ではトップダウンで、問題が発生した場合、
その責任の所在を明らかにして、処分、つまりは
解雇をも含む罰則が適用される。

多くの場合、その責任から逃れようと、ごまかしや
虚偽によって、問題を大きくしてしまうか、
同じ問題の発生原因としてしまう。

問題発生の折には、その原因究明と、同じ問題を
繰り返さないための対処が不可欠であり、
個人の処罰で解決する事ではないと何度も
説明してきたが、ここに至って、ようやく
その意味を本当に理解してもらえたようだ。

とはいえ、それで問題が減ることはあっても、
無くなることはないだろう。

改善とは、成長と同じで、終わりのない歩みに
他ならない。

根本的な指標を持ちながら、一つ一つの
課題に取り組み続けるしかないのである。

それでも、共に同じ指標に向かって歩みを
重ねることができる仲間とは、ありがたい
ものなのである。