ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

不毛

2017年12月13日 | ノンジャンル
家内は美容師である。

忙しい店で、多い時には40名もの老若男女に
接する仕事である。

文字通り、人に会い、人に接し、人の髪を切る。
そこには一期一会の真剣勝負がある。
美容師が資格ではなく、免許である所以だ。

話を聞いているだけで、こちらが疲労困憊しそうに
なるほど大変な仕事だ。

それでも、仕上がりを見たお客さんの満足の笑顔が
彼女を支えている。

時に、認知症のおばあさんが、家族に付き添われて
カットに来るそうだ。

待ち時間の間、付き添いの人にぶつぶつと文句や
嫌味ばかりを言っているそうである。

家族も大変だろうとは思いつつも、自分にできる
ことはカットとスタイリングでしかない。

そのおばあさんの髪を仕上げて、ミラーチェックと
なった時に、おばあさんの顔がパッと明るくなる。

いくつになっても、女性は女性なのである。
鏡に映った自分の姿に一喜一憂するのだろう。

そのおばあさんも、見違える姿に、自分の輝きを
取り戻す。

帰るときはいつも、ありがとう、ありがとうと
言いながら明るい笑顔になるそうだ。

そして、その笑顔に、ご家族も、家内自身も
救われる思いがするだろう。

仕事という点では、本当に羨ましい限りである。

業績が評価の中心であることに変わりはないが、
実際に人に会って接するという点では、私の仕事は
はるかにその機会が少ない。

取引先がほとんど海外という事もあるが、それでも、
実際に会って話すことが、日常のメールや電話を
より具体的、現実的なものにしてくれる。

彼女にとっても、私にとっても、ネット上だけの
やり取りというのは、何も意味をなさない。

まして、議論や中傷など不毛なだけである。

彼女の場合、連絡通信手段としてのみの
ツールである。

そもそも不毛であれば、彼女の技術を活かせる
髪そのものが無いのである。