秋分の日を越えて、急に肌寒くなり、秋色が
濃くなってきたかと思いきや、また夏戻りした
ような日中である。
それでも空は高く澄んで、乾いた風が秋の薫りを
運んでくる。
もう今年も加速度的に終わりに向かう時期となった。
最後の四半期というのはなぜこうも毎年慌ただしく
一瞬の様に駆け去るのか。
一日一日、悔いのないようにとは心がけているが、
正直なところ、仕事にせよ休日にせよ、昔のような
張りあいがない。
子供たちが一人前になるまではという張りあいも
なくなり、家族で楽しい休日をということも
少なくなった。
フル充電で動いている時は、残りなど気にも
していないが、残りが少なくなってくると、
それをどう使うかを考えるようになる。
細く長くか、太く短くかというのは、
そういう時にこそ真剣に考える事なの
かもしれない。
どれほどの時間が許されているのかは
わからない。
とすれば、これまで通りに生きていくしか
ないだろう。
永遠に生きるかのように悩み、
明日死ぬかのように今日の覚悟を決める。
もっと楽に生きれば良いものをと自分ながら
苦笑する。
まあ、楽をするのは最後の方に取っておいて、
その最後を楽しめなかったとしても、それは
それでよしと思って、また今日を生きている。
濃くなってきたかと思いきや、また夏戻りした
ような日中である。
それでも空は高く澄んで、乾いた風が秋の薫りを
運んでくる。
もう今年も加速度的に終わりに向かう時期となった。
最後の四半期というのはなぜこうも毎年慌ただしく
一瞬の様に駆け去るのか。
一日一日、悔いのないようにとは心がけているが、
正直なところ、仕事にせよ休日にせよ、昔のような
張りあいがない。
子供たちが一人前になるまではという張りあいも
なくなり、家族で楽しい休日をということも
少なくなった。
フル充電で動いている時は、残りなど気にも
していないが、残りが少なくなってくると、
それをどう使うかを考えるようになる。
細く長くか、太く短くかというのは、
そういう時にこそ真剣に考える事なの
かもしれない。
どれほどの時間が許されているのかは
わからない。
とすれば、これまで通りに生きていくしか
ないだろう。
永遠に生きるかのように悩み、
明日死ぬかのように今日の覚悟を決める。
もっと楽に生きれば良いものをと自分ながら
苦笑する。
まあ、楽をするのは最後の方に取っておいて、
その最後を楽しめなかったとしても、それは
それでよしと思って、また今日を生きている。