ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

暮れる年

2010年12月30日 | ノンジャンル
仕事に一区切りをつけて、御用納めとしたが、休み明けには
すぐまた様々な課題が待っている。

今年も休み明けの日にすぐ鹿児島へ飛び、それから一気に
走り抜けたような一年であった。

新年もまた、走り続ける一年となればよい。

年明けには、その年の抱負を念頭に、やるべきこと、
やらねばならないことを紙に書くのもいいとは思うが、
できれば、やりたいこと、やろうと思うことを具体的に
紙に書いて、ひとつの基軸にしたいものだ。

やりたくはないけれど、やらざるを得ない断酒なのか、
やりたい、やっていこうという断酒なのか。

それは、生きていくしか仕方がないという「息る」なのか、
生きたい、生きていこうとする「活きる」なのか。

来年も、この「活きる」にこだわって生きたいと思う。

年末年始は寒波でかなり冷え込みそうです。

どうぞ皆様、体調など崩されませんよう、ご自愛いただいて、
穏やかな新年をお迎えになってください。






去来

2010年12月27日 | ノンジャンル
慌ただしさの中で、実感のないまま
今年も残りわずかとなった。

一応明日で終業ではあるが、状況によってはぎりぎりまで
出勤ということになるかもしれない。

すっきりと締めをして、新年を迎えたいものだが、
取引先が各国とあってはそれも難しい。

いずれにせよ、気持ちの上だけでもきれいにけじめを
つけたいものである。

今年を振り返れば、年明けからトップギヤで走り始め、
ひと段落の暇もなく、息子の受験。
無事に志望高校へ進学し、やれやれと息つく暇もなく
展示会など様々な企画に忙殺されていた。

腰をひどく痛めて動けなくなったのもその頃である。

長年、お世話になった車ともお別れし、新車を購入した。

いよいよ娘の大学受験で、また頭の痛い年越しとなるかと
思いきや、推薦で早々に志望大学への合格が決まった。

悲喜こもごも、善いことも悪いことも半々とは
よく言ったもので、仕事面では過去最低の業績となり、
真剣に進退に悩んだ時期もあった。

お世話になった方々が相次いでお亡くなりになったことも
大きな衝撃であった。

ただ、子供達がそれぞれ自分の進みたいと思う道を
まっすぐに歩み、なによりも家族皆が健康で明るく、
元気に一年を過ごせたことが至上の幸せである。

生き続けていれば、様々なことがある。
堪えがたい苦痛も、懊悩もある。
だがそればかりではないし、それは断酒にしても
同じことである。

人それぞれ、生き続けてきた軌跡をその後ろに持っている。
だが、続けていくということは、今をそして未来を
志向している。

やはり大事なのは今なのである。
前を向いているか、諦めないでいるか、辛いその一歩を
踏み出そうとしているか。

今年も皆様には大変にお世話になりました。
その励ましの一言一言で、どれほど自身を支えて
頂いたことか。

自助グループに参加していない身にとっては、この場で頂く
激励や共感に救われる思いをすることもしばしばあります。

記事の中では、大変失礼かとも思いますが、
感謝し、お礼申し上げたいと思います。
ありがとうございました。

どうか、新しい年が、皆様にとってせめて、良いことが
半分以上となる年であることを心よりお祈り申し上げます。

また、少し早いのですが、どうぞ、来年も相変わらずの
激励を賜りますよう、伏してお願い致します。

進む一歩は、今を生きる一歩。
前を向くのは未来を見ること。
新たな年が、ともどもに一歩前進の年となることを
願ってやみません。




懺悔

2010年12月26日 | ノンジャンル
懺悔と言うと、教会で牧師に罪を告白するイメージだが、
実は仏教用語である。

昨年、今年と振り返るに、ひと言で言えば飲まずに
自分自身とまともに対峙する時であったように思う。

無論それは今も続いているし、これからも続いていく。

くだらないプライドばかり高いくせに臆病で、
人の顔色ばかり伺っている小心さ。

そんな自分が情けなくて、強がって一段高いところへ
身も心も置こうとするが、その虚しさもわかっていて、
己の人としての幅、度量のなさに愕然とする。

寛容、包容という言葉から程遠い小ささだ。
時に情けなさ過ぎて、消えてしまいたくなることもある。

離脱症状で幻覚を見ていたとき、テレビ画面一杯に
ありとあらゆる罵詈雑言が浮かんでいた。
あれは、自分自身に向けての文字ではなかったか。

そんな自分に対するどうしようもない嫌悪を、
飲んで酔うことでしか紛らわせることができなかったのか。
かろうじてお酒で自分を支えていたのだろうか。

今、全てに対して素面で対峙している中で、そのことが
本当に良くわかるのである。
その当時は、お酒なしではとても自分を支えることは
できなかった。

自分自身は、その当時と大して変わりはない。
そして、お酒なしで、ひとつひとつのことに正面から対峙し、
自分の情けなさに折れそうになりながらも、なんとか
生き続けている。

あの時に死んでいたと思えば、恐いものはないはずなのだが、
それでも現実を生き続けていれば、恐いことは多い。

断酒を継続している自分を褒めようなどという気は
さらさらない。
他人から見れば、偉いとか、意志が強いとかということに
なるのだろうが、自分の意志の弱さは自分が一番知っている。

一日断酒は、一日を生きるということ。
素裸の自分と向き合って、一日を戦うということ。
誰に負けようと、自分に負けなければよい。

誰になんと言われ、なんと思われようと、自分に恥じることが
なければよい。

今のままの自分でよいとは思わない。
だが、ありのまま、今日のこの一日を生きていく。
一歩を前へ進める。 それはそのまま、戦いである。

この日、この空、この私。

たとえ一ミリでも、前を向いて進む戦いを誰でもない、
自身に挑み続ける。

いつでも、どこでも、今から始める、私から始める。

苦しさも、楽しさも、そのまま抱いて、前を向く。

そして、なにがあろうと、己の可能性だけは信じて
やらねばならない。




クリスマス

2010年12月20日 | ノンジャンル
いつになく暖かい冬で、年末という気分も希薄なのだが、
昨年は息子の高校受験準備で、今年も娘の大学受験準備で
落ち着かない年末年始かと思っていたが、早々に大学も
決まり、やれやれ、少しは気楽な年の瀬かと安堵していた。

今朝、ベランダを見ると、窓に何かが貼ってある。

「ん? まさか・・・」

我が家恒例の、子供達のサンタさんへの手紙である。

「高校生にもなって、図々しいにもほどがある。」

とは思いながら、一応、内容を確認する私。

何が欲しいのかわからないと、余計に時間も手間も
かかるので、苦肉の策として、サンタさんへの手紙を
窓の外側に貼って、ツリーを飾ることを教えたのも私。

その手紙がなくなっていれば、サンタさんがちゃんと持って
行ったということ。

もう何年になるだろう。少なくとも10年以上にはなる。
どうしても書いてあるものが見つからなくて、代わりの
プレゼントと、サンタさんの手紙を置いておいたことも
あった。 それらしく見せるために英文で書いて・・・

もちろん、今となっては二人ともサンタが私であることは
百も承知している。
承知している上で、敢えて手紙を貼っているのである。

私の性格を知り抜いている。人に頼みごとをするのが
苦手なくせに、人に何かを頼まれたなら、最善を尽くす。

わかっているなら、もう少し気を遣って、安価なものに
すればよいものを、そういうところだけは無邪気なもので、
欲しいものを素直に書いている。

毎年のことながら、12月の小遣いの一部はプレゼントに
消えていく。

サンタさん、私にこそ、キャッシュというプレゼントを
くださいな。 当選する宝くじでもいいです。 
いや、くじは買うので、当たるプレゼントを・・・・






韓流

2010年12月19日 | ノンジャンル
12月に海外出張というのは、記憶にある限りでは
米国のデトロイトへ行ったのが初めてのことであった。

とはいっても、まだ初旬で、それでも街はクリスマス
一色であった。
雪で真っ白な街は、文字通りホワイトクリスマスで、
今でも鮮明に覚えている。

本来、クリスマスを挟んで休暇を取る欧米では、この時期に
わざわざ仕事に来る物好きもいない。
昨年、欧州への出張も、12月を避けて11月に組んだ。

アジアでは一年の最大の節目は旧正月であるから、あまり
クリスマス、年末年始は普段と変わりない。

今回の韓国出張も、そんな背景があってのことで、
フライトもさして混んでいなかった。
もっとも、例の爆撃事件があってから、観光客の数も
減ったようである。

街もクリスマスという雰囲気でもなく、当然ながら
年の瀬という雰囲気でもない。 
どうも12月という気分が薄れてしまう。

うまく言えないが、今の韓国というのは、人にせよ街にせよ、
日本の昭和の雰囲気が漂う。
活気と力にあふれ、その反動として何かしら
哀愁のようなものがあって、一昔前にタイムスリップした
ようであった。

仕事上は密接な関係があり、これからも互いに協力関係を
強化していかなければならないのだが、それはそれとして、
個人的にはあまり好きになれない。

その際たるものが臭いである。
食文化、生活を否定するつもりは毛頭ないが、常にニンニク、
唐辛子、ニラなどの食材がふんだんな料理を食している為に、
体臭、口臭が他国人にとっては尋常ではない。

出張中は、寝る間もないほどの忙しさになるのだが、
その分昔と違ってやたらとお腹が減る。
数日の滞在ですら、帰国するとニンニク臭いと家人に言われる。
言われずとも、自分で臭いことがわかるほどである。

ドラマならいいだろうが、実際にそばで話をしようものなら、
どれほどの整形美人だろうと、顔をそむけたくなる。
残念ながら、韓国人とのロマンスは、鼻の良い人には
お勧めできない。 匂いフェチなら話は別だが。