ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

命日

2007年05月31日 | ノンジャンル
今日は、私の命日である。 
おかしな言い方ではあるが、2年前のこの日、私は、
死にかけた。死んでいてもおかしくは無かった。

だが、今思い起こせば、ある意味で、それまでの自分が
死んだともいえる。
確かに、かろうじて拾った命なのである。

あれから2年。命を拾って、新たな生活を始め、生きる事が
出来たおかげで、様々な事が徐々にではあるが出来てきている。
新たな人生2年生といったところか。
まだまだ、死ねない意味があることを、ひしひしと
実感しつつある。

明日は原点の日。また新たな一年を生きるスタートを
切れる事に感謝しながら、大切な日を迎えたいと思う。

そう、あの日は水曜日であった。2年経ったから、明日は
金曜日である。
なんでもない、当たり前のことなのだが、なにかしら
感慨深いものがある。
命日と位置づけた日の翌日が、言い換えれば、もうひとつの
誕生日となる。
断酒を誓って再スタートをした誕生日である。
これ一つをとっても、生と死は、表裏一体である。

光と影、動と静、覚醒と睡眠、吸気と呼気。転ずる境目は
あまりにもきわどく、計り知れない。
だからこそ、一瞬の迷いに逡巡することなく、原点にのっとって、
具体的に動く事を、これからも続けて行きたいと思う。



安定期

2007年05月25日 | ノンジャンル
我々の大原則は、「節酒は出来ないけれども、断酒は出来る」
ということであり、たった一杯のお酒が、全てを振り出しに戻し、
回復の道を途絶えさせるという、大きな危険性を持つ中で、
断酒を継続している。

この大原則を、強迫観念として捉えるならば、今後の生活
そのものが、何となく重苦しいものとなってしまう。

「もう一生分飲みましたので、お酒は終わり」と考えた方が、
気分的には楽である。

ここで、脅迫的な事ばかりを並べて、いわゆる恐怖による断酒を
押し付ける事によって、過渡期ともいえる3年間を乗り越えさせ、
安定期へと導入していく事は、意義深い面もあるが、それでは、
本人の意志というものの確立が、3年もの期間を経ても成されて
いないという、本末転倒の結果となってしまう。

強制的な矯正が必要とされる、場合、期間もあるだろうが、
それだけでは根本的な断酒継続の力とはなりえない。

少し話を転ずれば、現時点での自分自身の状態を客観的に見た
場合、健康面では完全に回復し、家庭生活、社会生活もなんら
支障なく、また、最大の相違点として、依存症の病識、理解と
いうものがかなり深くなっている事が挙げられる。

この状態で、仮に節酒を前提に再飲酒をしたとしても、ある程度の
期間は、コントロールしながら飲むという事が出来ると思われる。 
期間、程度にもよるが、再びピタッと止めて、断酒生活に入るという
ことも可能であろう。

だがそれは、あくまでも一定の期間であって、継続的に
コントロールし続ける事は、到底不可能である事は、誰よりも
自分自身が認識し、自覚している。
そして、再び理性の力の及ばぬ囚われの身となってしまう事も、
明らか過ぎるくらい明らかに見えている。

強迫観念でも、強制でもなく、自らの選択として、一杯のお酒に
もう二度と手をつけないことにしているのであって、あくまでも
自身の自由意志として、その道を選んだにすぎない。

時に、飲めたらなぁと思ってしまう自分を、自分で苦笑しながら
受け入れた上で、飲む事は決してしない。
何も、肩を張った生き方ではなく、それを自然な事として受け入れ
られるようになっていくのに、少なくとも3年という時間が
必要なのかもと感じている。

ありのままの自分で、ごく自然な事として、断酒を継続していく
段階に、足を踏み入れたところなのかもしれないと考えている。


脱皮一年前

2007年05月23日 | ノンジャンル
日曜日の月例会には、久しぶりに娘と共に参加した。

一人で参加している時は、指名される事は五分五分で、娘と
一緒の場合は、ほぼ毎回指名される。 
今回も、彼女が発表した後、私が指名された。
いつもの事ながら、娘の後に話しをするのは、やりにくい。

ただ今回は、もう断酒2年が目前という事もあって、
指名されたなら、ちょうど病院へ駆け込んだ前後の状況を
中心に、つまり、一番話すのが苦しく、辛いところを、
あえて話そうと考えていた。

別段、意識はしていないものの、潜在的なフラッシュバックで、
何となく気だるく、沈みがちな状況の中、わざわざ大変なところを
話すというのは、いかにも自分らしい発想だが、実際に話し
終えると、それなりにスッキリとした安堵感に満たされた。

少々、荒療治的な面があるが、苦しいときにあえて辛い事をぶ
つけることで、互いに相殺される場合もある。 
もちろん、逆効果となってしまう場合もあるのだが、そこは
自身の事なので、状態を見極めた上で、そういう方向に
持っていったという事だ。

飲みたくは無くとも、飲めたらいいなと思っている我が身を、
わざわざお酒の場に置くようなものである。
この結果は、飲めない事への鬱憤を余計に蓄積させてしまうか、
飲めない自分を逆に冷静に認めるのかのどちらかである。
もちろん、前者の場合、スリップの可能性を大きくしてしまう
事は否めないし、我慢の断酒をしているものにとっては、
極力避けるべきことである。

が、ひねくれものの私としては、あえてそういう場面に身を置いて、
なるべく経験値を高めようとしてきた。
断酒していく中で、避けられない場面を、あえて先にどんどん
経験することで、経験値と共に、耐性というか、免疫力を
上げようとしてきた面がある。

おかげで、また1年をしっかりとした意志を持って
迎えられそうである。
とりあえず、3年を無事に過ごすことで、一つの脱皮を図りたいと
考えているので、また新たな1年という、いいタイミングで、
発表をさせてもらえたなと、感謝しているのである。


警鐘

2007年05月19日 | ノンジャンル
断酒生活で、一つ不満に思い続けている事がある。

アルコールの毒が抜け、食欲も出て、食事を美味しく感じ、
仕事は忙しいながらも、以前に比べれば、遥かに規則正しい
生活を送っている。

様々な波はあるものの、何とかそれを乗り越え、2年を目前にした
今、血液検査や尿検査の結果も完璧で、非の打ちどころが
無いのだが、どうにも朝の体調がすぐれない。

簡単に言ってしまえば、眠くて眠くて仕方が無い。身体が目覚める
のに、随分と時間が掛かってしまう。
これは、長い間続いている事で、その分、週末に安定剤を少し
服用して、身も世も無く眠りこけてしまうのが、楽しみにさえ
なってしまっている。

飲んでいた頃も、確かに二日酔いなどで辛い朝も多かったが、
身体の目覚めというものはまだ早かった様に思える。
特に睡眠時間にはあまり関係がなさそうであるし、この朝の
目覚めの問題には、唯一、今なお悩まされている。

この病気に罹っている人で、眠れない悩みを持つ方々は
多いのだが、私はというと、眠れるけれど、起きられないのが、
悩みである。

しかしながら、考えれば、お酒に逃げていた普段の生活を一変して、
断酒して逃げ場を無くし、素面で向き合うという事を始めた頃は、
かなり大変であった。
まだまだ、それを繰り返しながら、回復していく真っ只中である以上、
全てが快調というわけには行くまい。

どこかにしわ寄せが行くことは明らかで、それがたまたま、
目覚めというところに行ったという事であろう。

一病息災という形にしていく以上、その一病を、常に感じさせる
ことのあるほうが良いとも言える。
目覚めの悪さは、この完治しない病気を持っているという事の
証であり、その事を決して忘れない為の、警鐘なのかもしれない。



夢会席

2007年05月18日 | ノンジャンル
久し振りにハッキリとした夢を見た。

月例会で、何故か新聞記事のようなものを皆の前で、読み上げて
いるのだが、なんともしどろもどろで、どこを読んでいるのか
解らなくなったりして、うまく読み上げる事が出来ない。

ワーカーさんも手伝ってくれたりするのだが、結局、時間が
迫っているので、途中で終了という、じれったい気持ちで
目が覚めた。

まだ朦朧としている意識の中で、まあ、例会で発表する夢を
見るということは、悪い事でもなし。。。と考えていた。

ここで、再び眠りに落ちると、今度は、母親と、その友人?と
3人で外出先の料亭の座敷にいて、食事をしている夢を見た。

なぜか、日本酒を飲んでいて、母親が追加注文をするのに、
「お酒にする? ビールにする?」と訊いてきた。
母親は、若い頃の元気な姿で、私の隣に座っている。

「日本酒はきついなぁ。ビールにするわ。」と言うと、
「ビール一本!」と大きな声で注文していた。

何故か、飲む事に後ろめたさもあったのだが、あり得ない
その場面で、母親と一緒なら飲んでもいいと思っていた。。。。

ほんの束の間の夢であったが、久し振りに母親が登場した。
しかも、気の若い、姉のような雰囲気を持っていた時の姿だ。
そろそろ、この世に戻ってくる時期なのかもしれないなどと、
何となく考えていた。