ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

ひとまわり

2012年04月23日 | ノンジャンル
今日は母親の命日である。

早いもので12年が経ち、13回忌となる。

この6月で断酒が7年となる。

中学に上がったばかりの娘は、今、大学2回生。
小学生だった息子は高校3年生。

なんとかかんとか、やっとの思いでここまできた。
できれば、子供たちの独立まで生き延びて、親の責任を
全うしたいと思う。

欲を言えば、孫達とも出会って、話をしてみたい。

いずれにせよ、また新たな5年という月日が、私自身の
正念場となることは間違いない。

ともかくもこの5年。これを必死で生き抜けば、
一つの大きな節目となることは間違いない。

なんとか、母親に叱られずに済むよう、精進して
いきたいと思う。

私はともかく、大きくなった孫の元気な姿を
また見せてやらねば。

連休には、お墓参りに行こうと思っている。



流転

2012年04月23日 | ノンジャンル
昨年から今年にかけて、私の一本柱ともいうべき通院が
ままならない。

何がどうあろうと、週に一度の通院は欠かさずに
いたのだが、出張などが重なり、時に数ヶ月も
通院できないこともあった。

もしかして・・・と、心配して下さっていた
看護師さんもいるが、自助グループに所属せず、
抗酒剤も常用していない私にとっての通院は、
唯一の断酒継続の支えであり、それをわかって
下さっている方から見れば無理もない。

通院先のクリニックは、院長先生が逝去された後、
ご子息が院長として後を継ぐことになったのだが、
その後いろいろあって、退かれたようだ。

新たな院長となってからようやく通院できたので、
そのあたりの経緯については知らない。

ところが、今度はその新たな院長がクリニックを退き、
ご自身で開業なさるという。
この2月3月は、クリニックにおいてはなにがどうなるやら
大騒動であったようだが、私はまるで何も知らなかった。

4月より新しい院長も決まり、各患者さんの主治医、
担当ワーカーも順次更新されていっているようだが、
開業された先生の方への転院勧誘などもあるようで、
待合にいても何となく落ち着かない雰囲気がある。

勧誘されるまま、そちらに移るという人もいれば、
元々の主治医や、あるいはワーカーさんに説明を求める
人も多く、何となく騒然というか、雑然としている。

たかがこの一年少しでこうもめまぐるしい変化が
起こるとは、私も想像だにしていなかった。

ただ、クリニック自体が閉院するとか、無くなるとか
いうことでない以上、別段、私自身に動揺はない。
仮に無くなるとしても、多分、何が変わるということも
無いような気がしている。

折々に、その都度必要な時に診察は受けるが、
私の主治医は亡くなられた院長先生以外にはいない。
担当ワーカーも、初めから共に歩んできた方
以外にはいない。

いつも帰りには、クリニックを出てから、診察室に向かって
一礼をして帰る。
駅からクリニックへ。 クリニックから駅へ。
この道を歩く。クリニックのある場所に向かう。

たとえクリニックがなくなったとしても、その場所へ
向かって、その道を歩けば、私の柱は倒れることはない。

大恩ある院長先生がもうこの世にいらっしゃらない以上、
失敗してお許しを乞うことはできない。
そして、亡くなった人を裏切ることもできない。

仮に辛い時や、苦しい時があろうと、私は心の中で
先生の診察を受けることになる。
あの穏やかな笑顔を思い出すたびに、生きられるだけ
頑張ってみようという気にさせられるのである。



不惑

2012年04月09日 | ノンジャンル
繰り返し述べておくが、アルコール依存症というのは、
お酒をやめたくとも、やめられない、そして健康も、お金も
家族も、仕事も、社会的立場も失い続ける病気である。

無論、最後に失うのは自身の命であるが、それでも
やめられないから病気なのである。

まして、抗酒剤、医療をもってしてもその恒常的な回復を
望むことはできなかったのである。

共に飲まずにいようとの約束をした二人から始まった
自助グループによって初めて、この病気の回復の希望が
見出だされ、現在に至っては初期の医療による健康の回復と、
病識の獲得、抗酒剤による飲まない決意と習慣化、そして、
同じ苦しみを共有する仲間と共にやめ続けていく、
いわゆる三本柱によって、回復が可能と認識されて
きたのである。

医療現場では、せっかく元気になった患者がまた飲んで
ボロボロの姿で帰ってくる。

抗酒剤を飲んでいるふりをして、周りをだまし、
またお酒を飲む。

今度会うまで飲まずに過ごそうと約束した相手が、
飲んでしまう。

いずれの場合でも、飲んでしまった本人以上に当事者が
落胆し、失望する場合が多い。

だが、医療側にしろ、家族側にしろ、本人でない以上、
本当の意味での理解は難しい。

反面、本人同士の励まし合いの中で、一方が飲んでしまった
場合、もう一方に与える影響はかなりの大きさとなる。

だが、これもいわゆる初期の話である。

何度でも人を裏切り、何度でも人を失望させる病気なのである。
そういう病気であることを、まずは誰よりも自身が
知らねばならない。

結局は、いかに自分自身がこの病気を認識し、その上で
自分自身の人生をどう生きていくのかということに
尽きるのである。

医療側にいるなら、そのベストを尽くし、仲間であるなら
その形は様々であれ、その人が本当の意味で立ち上がる
きっかけを与え続けていけばよい。

その人が立ち上がろうとするのか、そのまま死んで
いくのかはその人自身の問題であり、その人の
自分自身に対する責任なのである。
言っておくが、これは責任であり、自由ではない。

病識が深まれば、自ずと自身の責任を自覚していく
ものである。

たとえその人が回復の道を歩めず、不遇のまま
亡くなったとしても、誰に責任があるわけでもない。

周りの者にとって病識を深めることは、本人の回復を
あきらめないことであり、本人の病識が深まるなら、
それは何度でも立ち上がるべき自身の責任を自覚する
ことなのである。

もう自分ひとりで、回復しても何の役にも立たないと
甘美な自己憐憫の酩酊の中にいたいのなら、そのまま
死ねばよい。

人はどんな立場であれ、社会において生きていくなら、
必ず自身の役目と責任があるものだ。

そこから逃げて、自由を主張するのは笑止である。
お酒を飲まないということは、もはや条件でも意志でもなく、
自身の責任のひとつなのである。

他人の断酒に責任など持ちようがないが、自身に確固とした
責任を持ったなら、逆に随分楽になると同時に、他人に
対しても「あきらめない」想いが強くなるものである。

仲間とは、自分を、互いをあきらめないことなのである。


決心速度

2012年04月04日 | ノンジャンル
出張が多いせいで、飛行機に乗る機会が多い。

もう何度となく乗ってきたが、いまだに飽きることはない。

順風満帆というのは船の話である。
真艫の風、つまり追い風によって帆船は楽に進める。
無論、横風、向かい風であっても、間切りをして
前へと進むこともできる。

飛行機において最大の力とエネルギーを要するのが
離陸である。
また、最も危険な要素をはらんでいるのが、
離着陸時である。

さて、いずれの場合も、追い風ではなく、向かい風において
離陸、着陸の力を得る点が、帆船とは異なる。
正確に言えば、追い風では離陸時の力のロスとなり、
着陸時に減速できないことになる。

逆風が、飛行機が飛び立つ力になるとは、何とも人の
生き方にも似ていて興味深いではないか。

もちろん、上昇して巡航高度に達すれば、追い風に
乗った方がスピードは増す。

さて、離陸時に滑走を始め、スピードが上がっていくが、
なにかの異常があった場合に、離陸を中止するか、
そのまま離陸をするかの判断基準となる速度設定がある。

ある速度までなら中止ができるが、一定の速度を超えると
ともかくも離陸をすることになっている。
それを決心速度という。

この速度に達して離陸を中止すれば、オーバーランなどで
必ず事故に繋がる。

決心速度を越えたなら、もう離陸するしかないのである。
これは、人の決意というか、覚悟にも似ている。

決心速度に達する前に、離陸を中止してしまうということが
日常においてもありはしないか。

離陸を恐れ、離陸の後の上昇の苦しさを恐れて、
途中で中止することを繰り返していては、雲の上の
見たこともない眩しい空を見ることはできない。

つまり、それは自身の決意、覚悟という意味で、
まだ本当には決心速度に達したことがないのである。

そこに達すれば、もう理屈もへったくれもなく、
離陸するしかない。やめれば墜落死である。
逆風を力として離陸すれば、上昇もまた逆風を力として
苦しくとも飛んで行ける。

離陸の苦しさに比べれば、上昇の苦しみはいかほどの
ものでもない。
そして、いつまで続くのかという苦しさの中で、
突然明るい世界がひろがる。巡航高度である。

あれほど苦しみ、力を出し尽くしたかのような
離陸、上昇に比べれば、まるで力のいらない楽な、
楽しい空の旅が始まる。

「この素晴らしき世界」の歌が、心に響く世界が
あるということ。 そして、必ず自分自身もそこへ
辿り着くことができるということ。
そして、その始まりは、決心速度に達するということ。

飛行機に乗るたびに、離着陸のたびに、そんなことを
窓の外を眺めながら考えている。