ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

沈思黙考

2016年02月19日 | ノンジャンル
この世では、民族、文化、宗教、言語の違いに
関係なく、人は2つの種族にわけられる。

まともであるか、まともでないかの種族にである。

ナチスドイツのホロコーストを生き延びた、
心理学者のヴィクトール・フランクル教授の
言葉である。

ナチスの親衛隊の中にも、ユダヤ人に対し、
人としての品位を持っていた人は多くいたし、
囚人として収容所に押し込まれたユダヤ人の
中にも、親衛隊以上に残虐な人もいた。

団体であれ、社会であれ、国家であれ、その人が
所属する集団に関係なく、その人に品位があるか
どうかが問題なのである。

人としてまともであるか。
そう問いかけたときに、自信が消え失せてしまう
トホホな自分である。





長旅

2016年02月15日 | ノンジャンル
来週は、タイ、スイス、ドイツへと出張となった。

暑い国へ飛んで、その後厳しい寒さの国へ飛ぶ。

大阪が10度、タイが35度、スイスが3度、
ドイツが-1度といったところだ。

ゆでた後、冷水でさっと締めるようなものだ。

出張が多いことを羨ましがられるが、
空港-ホテル-仕事先-ホテル-空港という場合が
ほとんどで、観光地など行ったことがない。

楽しみといえば、やはり景観と食事になる。
観光ではなく、仕事で行くとなると、
そんなものなのである。





STAP細胞

2016年02月09日 | ノンジャンル
O氏の手記出版で、もう忘れかけていた
STAP細胞の話が再燃している。

正確には、STAP細胞の話ではなく、一連の騒動の
O氏の立場からの顛末記である。

まるで犯罪者のような扱いを受けてきた彼女の
心情は察するが、研究者としての手記ではない。

新たな発明、発見、開発については、それが偶然から
起こったものであれ、理論的に必然の結果としてであれ、
いわゆる普遍性を持った理論構築がなければ意味がない。

実際上、研究段階で偶然に発見される事というのは
意外に多い。

様々な試行錯誤の繰り返しの中で、偶然起こった
失敗や事故がきっかけで、大きな発見となるケースも
少なくない。

但し、経緯はどうであれ、その手順で同じ結果が
導き出せるか、つまり再現性、普遍性があるかを
実証して初めて研究論文とすることができる。

万能細胞というのは、ES細胞に見られるように、
ごく自然に存在する。それを人為的に生み出す研究で
あれば、なおさらその再現性は不可欠である。

STAP細胞があると明言するなら、それ以前に、
その再現性の裏付けが不可欠となる。

仮説としての研究論文なら別だが、STAP細胞を
生み出す実質的な研究理論であれば、再現できない
となれば必然的にそれは意味をなさない。

これまた、事の本質を離れたところで騒ぎだけが
大きくなっている気がしてならない。

理論上、STAP細胞があるというなら、それは
周知のことであり、STAP細胞を生み出したと
いうなら、何度でも再現するのが研究者であろう。





本質

2016年02月08日 | ノンジャンル
北朝鮮のロケット発射で、日曜日の朝は
騒然となった。

がしかし、個人的には、宮古島や石垣島などに
地対空ミサイルが配備されたことに注目していた。

有事の際、喫緊を要する時に、呑気なことは
言っていられないが、一旦配備された以上、
果たして撤収が為されるのかどうかに注目している。

戦争にはいずれの側にも大義名分がある。
むしろその大義名分によって、人々は戦争へと
駆り立てられていく。

その大義名分の本質を常に見極めていかねば
ならない。

ところが、半日もしないうちに、やはり話題は
K氏の薬物使用の問題に返り、各方面、各関係者の
コメントが飛び交っていた。

周りではいろいろな人がいろいろなことを
言っているがと前置きしてわざわざコメントされた
内容も、大して変りがあるわけでもない。

信じられない、残念だ、裏切られた、嫌いになった、
早く罪を償って更生してほしいなどなどなど。

この人たちに決定的にかけているのは、薬物依存の
病識である。
普通の、ごく一般の人に対してならともかく、
薬物依存者に対してどれほどの常識めいた、あるいは
道義めいたことを言ったところで意味はない。
つまり無駄なのである。

そんなことは言われなくとも本人が一番わかっている。
それでもやめられない、「病気」なのである。

そこのところの理解失くして、表面上のことについて
いくらとやかく言ったところでそれは無駄なのである。

嘘をつく、騙す、約束を破る、裏切るなど、普通では
わざわざ自身の信頼を失う、あるいは人から寄せられる
信頼を裏切ることなど誰もしたくないのだが、
その普通ではなくなってしまうのである。

薬物を入手することしか頭にない生活になり、
入手できなくなることを最大に恐れる。
つまり逮捕を恐れるのであるから、その他のことは
むしろどうでも良いことになるのだ。

今や逮捕されて、入手先などの情報については
黙秘しているとのことなので、まだ本気でやめよう
という段階にはいっていない。

ルート先からの報復を恐れてとの見解もあるが、
断薬するとなれば、それはもう命がけである。
報復など恐れるに足りない。

恐れているのは、入手先を失うことなのである。

自分の知識や経験、常識に囚われていると、
物事の本質を見誤ることがある。
人の思い込みほど、問題をややこしくさせて
しまうものはないのである。

因みに、下のキュートな写真の人の性別は
男性である。





更生

2016年02月05日 | ノンジャンル
K氏の薬物使用容疑のニュースに喧しいが、
結論から言うと、きっかけはどうであれ、
すでに依存体質となってしまっている者を、
どれほどの刑罰に処したとしてもあまり意味はない。

刑に服している間は、薬物も抜け、まともな
規則正しい生活を送ることもできるが、
出所してくれば、すぐまた繰り返すケースが
ほとんどである。

法律で禁じられている薬物の所持、売買などについて
捜査し、その根本的な薬物の持ち込みを叩くのは
意味がある。
それは、薬物に手を出すきっかけをなくしていこう
という方向だからである。

しかしながら、依存体質となってしまっている者は、
罪人というよりは病人である。
これをいくら罰しても、治るわけではない。
風邪をひいている人を牢屋に入れたところで
治らないのと同じである。

罪を償って更生してほしいという意見が大多数だが、
そうではない。
病気を治して、再発しないように再生してほしい
というのが、依存症というものに対する本質なのだ。

いくら鞭でたたかれても治らない。
本人に再生の意志があることを条件に、
治療と回復へのプログラムを進めるしかない。

再生の意志がなければ、同じことを繰り返すであろう。
少なくとも、懲罰で治るような生易しいものではない。

繰り返し言うが、更生でも矯正でもない、再生のみが
可能なのである。

つまり、生まれ変わること、あるいは、リセットする
ことは不可能で、過去の自分を受け入れた上で新たな
生き方を始めていく、再生のみが可能だということだ。