ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

明日はない

2017年08月31日 | ノンジャンル
ほとんど毎日のように、事故や災害のニュースを
見聞きし、人々が亡くなっている現実を目のあたりに
しながら、それを切実に自分の事としては誰も
見ていない。

他人事ではあるが、他人事ではなく、自分の身に
いつそれが起きても不思議ではないのだが、
そのことを、どれだけの人が自覚しているだろう。

つまり、誰しもが、明日のことなど知れないと
漠然とは認識しながら、必ず明日はやってくる
という前提で、今日を生きている。

「明日がある」と信じるのは自由だが、
それは絶対ではない。

変わらぬ一日を終え、翌朝目覚めて、
また今日一日をと起き上がった時に心臓発作で
亡くなる人もいる。

いつものように出勤して、昨日やり残したことを
午前中に片付けようと考えている矢先に、
事故で亡くなる人もいる。

とはいえ、明日がないという前提で、焦燥感に
苛まれながら毎日を生きるとすれば、これは
不幸である。

明日があるのか、ないのかはわからない。
だが、あると信じ、万が一なくとも悔いのない
ように、今日を健気に生きていけば良い。

限りある時間だからこそ、それを大切にできる。
それには、明日はないという現実的な前提で
今日を生きるという実践を、幾度かしてみることも
有効だろう。

航海には明日はない。
今、この一瞬の連続のみなのである。





午後の珈琲

2017年08月29日 | ノンジャンル
子供たちの夏休みが終わって、穏やかな日々が
戻ってきた。

真夏のような残暑も、夏を走り抜いてきた私に
あらためて夏を感じさせようとしているかのようで
むしろ楽しんでいる。

時間に追われる多忙な毎日が、ひと段落して、
少し虚脱感に襲われもしたが、仕事は待って
くれない。

それでも、ごく普通の日常に戻った感はある。

仕事の合間であれ、休日の午後であれ、
一息つくときに飲む珈琲は、基本、夏でも
ホットである。

アイスコーヒーではあまり香りがしない。
カップに口をつける時の香りが好きなので、
リラックスタイムの珈琲は常にホットだ。

そういえば、午後の珈琲タイムなど、
随分久し振りだ。

こんなにも時間がたおやかに流れているとは
ついぞ知らなかった。

時の流れは同じでも、それをたおやかに感じたり、
一瞬に感じたりしながら、生きていく。
それでいいのだろう。





シード

2017年08月28日 | ノンジャンル
種の事である。

この夏、下は小学校1年生から、上は高校3年生まで
地域の英語の指導に当たってきたが、延べ64名に
対する指導に、2ヶ月間で100時間以上を
やりくりしてきた。

もともと、理数系が好きだったのだが、広く世界へ
自身の視野を拡げていく志を持って、語学の一点で
文系へと進んだ。

教師という道も興味はあったが、やはり世界へと
飛び出したかった。

就職して、常に語学に触れるという点と、海外へ
活動の場を広げていくという願いは叶った。

その後、自身の理数系の興味は、製造業に深く
関わっていく中で、特に物理、化学、生物、
数学と、改めて勉強できる環境となり、
思いもよらず広げていく事が出来た。

そして、希薄であったとはいえ、教育という
面でも、自身の子供たちが巣立った後に、
多くの子供たちと接する機会としてこの3年間
大きな広がりとなってきた。

こうしてみれば、所願満足と言って差し支えない
幸せをしみじみと感じている。

もちろん、生涯をかけて教職に殉じる人達には
比べようもないが、それでも子供たちの持つ
種が芽吹き、花開いていく姿を見る喜びと幸せを
感じているのである。

それは同時に、この年になっても、更に自身の種を
芽吹かせていけるという希望にもなっている。

大人のいい加減さを鋭く見抜く子供相手に、
決して手抜きはできない。

その真剣さ、できることを精一杯の本気さが、
いくつになっても種を芽吹かせる縁となることを
かえって、子供たちに教えて頂いた。

誰しもが、このシードを持つ。
互いにそれを芽吹かせ、花開かせていく事が
幸せという事なのだろう。





肯定の師

2017年08月27日 | ノンジャンル
先生との思い出を語る集いに参加して来た。

あれから7年になるが、多くの人々が参集し、
先生の朽ちることない威徳を感じた。

患者に寄り添い、患者に学び、患者とともに
歩まれたご生涯を新たに偲ぶ集いとなった。

参加した方々のお話を伺っていて、共通して
いたのは、先生が肯定の人だったということだ。

どれほどボロボロであろうと、先生は患者を
肯定することから診察を始められた。

どんな状況であろうと、必ず立ち直っていける
という患者の回復の可能性を決して諦めることは
なかった。

何度失敗しようと、本人も家族も諦めかけようと、
先生が諦めることはなかった。

先生は紛れもなく、肯定の師であったのである。