ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

ノンマルト

2016年04月21日 | ノンジャンル
「ノンマルト」

若者や女性には、あまり聞き覚えがないかもしれないが
我々の世代の男性なら、すぐにピンと来る。

特撮のウルトラシリーズでは、音楽、ストーリー共に
異色を放つウルトラセブン。

ノンマルトは、現代の人類以前からこの地球に住む
地球原人である。

いわゆる新人類に征服され、海中へとその生存場所を
移したのがノンマルトだ。

陸上の地球人が、海洋開発のために今度は海にまで
進出してきた。
存続の危機にさらされたノンマルトは反撃を試みるが、
最終的には滅亡させられてしまう。

陸上を制覇し、海洋をも制覇し、今度は地球外の
宇宙まで制覇しようとする限りない人間の欲望。

もちろん、それは探究心という面が大きいのだが、
ひとたびそれが利潤につながれば、他の犠牲を
省みないのは人類の歴史であり、本然である。

幼い頃に感じた、他を犠牲にするという違和感。
それは、今なお消えないばかりか、世情を
見るにつけ、なおさら強くなる。

ノンマルトの使者である少年の声は、
いつもあちらこちらで響いているはずなのに、
まるでそれに耳を貸そうとはしない現実。

あれから半世紀、ノンマルトの悲劇は
今なお繰り返されている。






震災

2016年04月19日 | ノンジャンル
まさか熊本、九州でこれほどの震災が起こるとは
夢にも思っていなかった。

考えれば、桜島、阿蘇山など、活火山がある以上、
その可能性は高いのだが、噴火によっていわゆる
応力除去がなされているだろうからと考えていた
節がある。

何のことはない、やはりこの国は地震列島なのだ。

大学の先輩が八代に住んでいる。すぐに連絡が取れて、
無事を確認できたが、その後に本震。

今なお、余震が続いている。

これも、被災者に寄り添うとは言っても、自分に
できることをするしかない。

支援物資は、被災者の現場に行き届くことが
最も肝要であるが、これが最も難しい。

空路鹿児島へ、陸路八代へと考えていたが、一人で
運べる物資など高が知れている。

通信状態も悪いであろうから、なるべく連絡を取らず、
義援金を送ることにした。

様々な団体が義援金を募っているが、被災地への
分配ということを考えて、赤十字にした。
結局はここに全ての義援金が集まらざるを得ないので、
直接振り込みをすることにした。

自分にできることを精一杯で、支援していきたい。

今はともかくも、早く余震が収束してくれることを
祈るしかない。





つけまつげ

2016年04月14日 | ノンジャンル
いつまでも若く美しくとは、世の女性の望み
なのだろうが、最近のメイクには驚かされる。

付けて、塗って、貼って、描いて、あげくに
カラコン装着と、メイクなのか仮装なのか
わからない。

韓国に行けば、飲み屋の女の子は、どの子も
同じような顔をしているし、最近では日本でも
同様である。

まあ、メイクがその人の一日をポジティブに
できるならそれも良かろうが、よくそれだけの
時間をかけて毎日できるものだと感心する。

たまに会う人ならともかく、いつも顔を合わせる
女性なら、やはり素顔美人がいい。

お風呂上りの顔が別人のようだと、びっくりして
しまうだろう。

因みにカミさんは、ファンデとリップぐらいで、
チャチャッと仕事に出かける、なかなか男前の
性質である。

それにしても、つけまつげなど、私が子供の頃に
世の女性がこぞって付けていたが、今どき、また
同じように流行するとは夢にも思わなかった。

これにもまして、カラコンは私から見れば
アンドロイドのようで気持ち悪い。

いわゆるナチュラルメイクで、その人その人の
個性をチャーミングに引き出す方が、
よほど魅力的だと思うのだが。

舞台じゃあるまいし、自然に還れと思うのである。






自分を生きる

2016年04月13日 | ノンジャンル
年が明けてはや四月となったが、世間はまるで
もう一年を集約しているかのように喧しい。

麻薬だ。賭博だ、不倫だ、詐称だ、虐待だと、
兎にも角にも批判のネタに事欠かないようだ。

確かにマスコミやバラエティー番組にとっては
それはありがたいことなのかもしれないが、
それに踊らされている大衆には、もっと根深い
ものがあるように思える。

無論、犯罪に対しては厳しい批判があって
しかるべきだが、あくまでも当事者間の問題に
ついてまで執拗に批評を重ねるのは見苦しい。

架空の世界における一面を見て、その人の全てを
わかっている気になっているとすれば、
そちらの方がなお恐ろしい。

どうも世間ではいろいろとストレスの溜まっている
人が多くなってきて、もっと言えば、妬みや嫉みの
多い人達が、そういったネタを利用して、
批判や批評という憂さ晴らしをしているようにしか
見えないのである。

憧れや望みは、その人をしてプラスに向かわしめる
ことが多いが、憂さ晴らしの批判は決してその人の
プラスにはならない。

ネタはともかく、それに対して騒いでいる人達の方が、
私には理解できない。
自身を省みて、いくつになっても、成長していこうと
する人には、騒ぐ気もなければ、そんな暇もない。

亡くなった母親が言っていた。
「人のことをどうこう言っている間は、まだまだ駄目。」と。

他人を下げて、自分が上にあがったような気になる愚かさを
戒めてくれた言葉である。

自分は自分なりに、誰に認められようと、認められまいと、
しっかりと自分の人生を生きていけばよいのである。





酒席

2016年04月08日 | ノンジャンル
断酒を始めて直後から、仕事上の酒席を
これまで数えきれないほど、こなしてきた。

もともと飲めないわけではないので、
その場の空気というか、雰囲気もよくわかる。

ただ、同じなら楽しい席にしたいのに、
酔った勢いで日頃の鬱憤をぶちまける人には
閉口する。

何のことはない、自分も昔は酔って議論していた
ことも多かったのだから、人のことは言えない。

ただ、その議論や論争自体を、酔った当人同士が
あまり覚えていないので、現実的には何ら
生産的なことはない。

しかも、互いの本音をぶちまけながら、互いに
スッキリせずに終わることがほとんどである。

この負のスパイラルは、やがて依存症へと
つながっていく危険性を孕んでいる。

酔って、まとめてぶちまけるのではなく、
ひとつずつでいいから、素面の時に
具体的に出していく勇気を持とう。

それは、酒席の議論とはまるで異なり、
より建設的な方向へと向かわしめる機会となる。

何より、自分自身を依存症から逃れさせることに
繋がるのである。

同じ飲むなら、楽しく飲むのが一番なのである。