ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

責任

2021年04月26日 | ノンジャンル
昨年一年が茫然とした中で過ぎ去った感があるせいか、
3度目の緊急事態宣言と最初の宣言が重なる。

ステイホームのゴールデンウィークと休業要請。

政府も3度目の発令の事態に首相が謝罪し、
自粛を呼びかける。

要するに、昨年の主流を仮にA型とすれば、
今年の主流がB型、つまり異なるタイプとなって
いるのだから、いわゆる仕切り直し対応が
不可欠である。

ところが、継続的な長期戦に倦怠感が蔓延し、
それが各個人の対応措置の弛緩となっている。

緊急事態宣言自体も、初めの時に比べれば
その危機感には大きな隔たりがある。

自由と権利ばかり主張し、その前提にある義務と
責任は他者へ押し付ける。

感染しないようにというよりも、他者に感染さない
ようにという意識が希薄化していないか。

感染拡大の責任は、政府・行政にあるのではなく、
個人個人にあることは明白である。

いくら政府や行政を責めたところで、感染拡大は
収まらない。

予防の観点からも、それが脆弱となるケース、
つまりマスクを外さねばならない場面、外したまま
口を開ける場面、三密の場面をどれだけ一人一人が
回避できるかがカギとなる。

ワクチンの有効性もまだわからないからこそ、
今できる事をしっかりとしていくしかない。

他者に感染さないようにと自身に課す義務と
責任とに全ては懸かっていると思うのである。

若い緑が芽吹く季節になった。
その場を動けなくとも、言葉を発せなくとも、
芽吹き、葉を広げ、花を咲かせ、実を結ぶ姿に、
学ぶべきは多い。





風の中

2021年04月12日 | ノンジャンル
感染拡大が止まらない。

とはいえ、昨年流行のタイプとは異なる
ものであるから、再拡大というよりは、
新規拡大といった方が良い。

まして、感染力も重症化リスクも高い
タイプであれば、昨年より一層の予防意識が
要求されるところだが、一年以上に渡る
経験のない長期戦に、それを望むのも難しい。

時差出勤や在宅勤務で通勤電車は割合空いて
いたが、今では普段と変わらない。

人出も一時期の様に激減することもなく、増えて
いるところさえある。

高速も空いているし、行く先は墓園なのでと、
久し振りに墓参りに行った。
車で移動、墓参した後、また車で帰阪。
昼食は、店に入るのもどうかと思ったので、
ドライブスルーで車内で済ませた。

春の心地良い気候だったので、窓を開けて風を
感じながら運転していると、ふと子供の頃に
感じた春の風の薫りを思い出した。

そうだ、あの頃と同じ薫りだと思うと、
懐かしさが込み上げてくる。

この2ヶ月というもの、墓参りどころでは
なかったし、春の風を感じる余裕すらなかった。

明日の命はわからない。だがそんなささやかな
懐かしさに心が癒されるひと時があること自体が
幸せなのかもしれない。

新期のスタートにおいて、相変わらず周りの
状況も厳しいし、すでに今年の力を使い果たした
ような感があるが、またここから、今から、
自分からで歩みを進めていく。





マスク騒動

2021年04月07日 | ノンジャンル
昨年の今頃は、それまで中国や欧州に向けて
品薄となっていたマスクを提供することに腐心して
いたのが、国内も品薄になり、他人様どころでは
なくなっていた。

何とか社員のマスクと、消毒液などを確保して、
事態が落ち着くのを待てる状況になった頃である。

その後は、一時的にティッシュやトイレット
ペーパー、ハンドソープやうがい液などが
店頭から消えた。

体温計や、ゴム手袋、その他、コロナ絡みで
品薄となるものも多かったが、今ではほぼ
落ち着いている。

落ち着かないのは、変異種による感染の
再拡大であろう。

今では民間も含めて、PCR検査自体は簡易に行え、
検査数も格段に増えてきている。
その中で陽性となった数は毎日データとして
上がっているが、注目すべきは重症者数であろう。

インフルエンザの様に急性症状がないケースが
多く、潜伏・保菌期間も長いことで、慢性的に
感染が拡大するウイルスであるから、
やはり一人一人の継続的な予防措置が
不可欠となる。

飛沫感染、接触感染は明らかな事実である以上、
予防としては、手洗い、うがい、マスク着用、
換気、密を避けるといった、これまで繰り返し
呼びかけられてきた基本的な事を、しっかりとして
いく以外にない。

弛みというのは、予防措置の弛みであることに
間違いはないのである。

そんなものは必要ないというなら、その信念の
もとに、引き籠っておればよい。

予防というのは、何も自分が感染しないように
という事だけではない。
自身が感染者と想定して、他人に感染させない
ようにという心構えが、予防の基本である。

自分が軽症だからといって、他人に伝染して
しまったなら、その人が軽症である保証はない。

重症となった場合、責任の取りようもない。

予防というのは、自由でもなく、義務でもなく、
責任であることを知るべきである。

裸のサルが、素裸でジャングルを通り抜ければ、
無傷でいられるはずがない。

それを大丈夫だと強がって、他人に裸で行け
などと言ったところで、誰も聞く耳を持たぬ
ばかりか、その通りに裸で行くバカはいない
のである。






桜花

2021年04月06日 | ノンジャンル
およそ2ヶ月に渡る心労と辛労が峠を越え、
やっと一息付けた頃には、桜は散っていた。

パッと咲いて、パッと散るその生態は、様々な
抒情詩として詠まれるが、人の勝手な解釈や
感慨はどうあれ、それは実に現実的かつ
合理的なものである。

花を咲かせるというのは、植物にとっては
一大イベントであるが、それは最もエネルギーを
消費する事でもある。

桜の花は、冬にはすでに形成され、休眠している。
厳しい寒さの後の温暖さにスイッチが入り、
一斉に開花する。
同時に、次のエネルギー充填用の若葉も芽吹く。

受粉という、継承の役割である花は、まさしく
パッと咲いてパッと散り、エネルギーを
節約しながら、次のエネルギー確保用の若葉を
急速に広げていく。

その意味では、この春は桜の様に一年分の
エネルギーを使い切り、これからようやく
その蓄積と消費のバランスにおいて、蓄積が
上回る時節に入ったという事だろう。

桜散るというのは、終わりではなく、
新たなスタートという事になるのである。