昨年一年が茫然とした中で過ぎ去った感があるせいか、
3度目の緊急事態宣言と最初の宣言が重なる。
ステイホームのゴールデンウィークと休業要請。
政府も3度目の発令の事態に首相が謝罪し、
自粛を呼びかける。
要するに、昨年の主流を仮にA型とすれば、
今年の主流がB型、つまり異なるタイプとなって
いるのだから、いわゆる仕切り直し対応が
不可欠である。
ところが、継続的な長期戦に倦怠感が蔓延し、
それが各個人の対応措置の弛緩となっている。
緊急事態宣言自体も、初めの時に比べれば
その危機感には大きな隔たりがある。
自由と権利ばかり主張し、その前提にある義務と
責任は他者へ押し付ける。
感染しないようにというよりも、他者に感染さない
ようにという意識が希薄化していないか。
感染拡大の責任は、政府・行政にあるのではなく、
個人個人にあることは明白である。
いくら政府や行政を責めたところで、感染拡大は
収まらない。
予防の観点からも、それが脆弱となるケース、
つまりマスクを外さねばならない場面、外したまま
口を開ける場面、三密の場面をどれだけ一人一人が
回避できるかがカギとなる。
ワクチンの有効性もまだわからないからこそ、
今できる事をしっかりとしていくしかない。
他者に感染さないようにと自身に課す義務と
責任とに全ては懸かっていると思うのである。
若い緑が芽吹く季節になった。
その場を動けなくとも、言葉を発せなくとも、
芽吹き、葉を広げ、花を咲かせ、実を結ぶ姿に、
学ぶべきは多い。
3度目の緊急事態宣言と最初の宣言が重なる。
ステイホームのゴールデンウィークと休業要請。
政府も3度目の発令の事態に首相が謝罪し、
自粛を呼びかける。
要するに、昨年の主流を仮にA型とすれば、
今年の主流がB型、つまり異なるタイプとなって
いるのだから、いわゆる仕切り直し対応が
不可欠である。
ところが、継続的な長期戦に倦怠感が蔓延し、
それが各個人の対応措置の弛緩となっている。
緊急事態宣言自体も、初めの時に比べれば
その危機感には大きな隔たりがある。
自由と権利ばかり主張し、その前提にある義務と
責任は他者へ押し付ける。
感染しないようにというよりも、他者に感染さない
ようにという意識が希薄化していないか。
感染拡大の責任は、政府・行政にあるのではなく、
個人個人にあることは明白である。
いくら政府や行政を責めたところで、感染拡大は
収まらない。
予防の観点からも、それが脆弱となるケース、
つまりマスクを外さねばならない場面、外したまま
口を開ける場面、三密の場面をどれだけ一人一人が
回避できるかがカギとなる。
ワクチンの有効性もまだわからないからこそ、
今できる事をしっかりとしていくしかない。
他者に感染さないようにと自身に課す義務と
責任とに全ては懸かっていると思うのである。
若い緑が芽吹く季節になった。
その場を動けなくとも、言葉を発せなくとも、
芽吹き、葉を広げ、花を咲かせ、実を結ぶ姿に、
学ぶべきは多い。