ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

姉弟

2007年06月29日 | ノンジャンル
長年、娘と息子を見ていると、同じ親から生まれた子とはいえ、
こうも違うものかと、不思議な思いがする。

娘は、部活は水泳部、得意系は文科系、我慢強く、陽気で快活、
基本は体育会系で、大らかである。
細やかな気遣いも出来るのだが、それを表には出さず、自然に
振舞っている。
難を言えば、素裸でうろうろする天然系を何とかしてほしい。

息子は、部活は陸上部、得意系は理数系、あまり我慢強くは
ないが、興味のある事に対する集中力は強い。
陽気というよりは、黙っていられないタイプで、おしゃべりな
わりには、冷静に物事を見ている部分もある。 
悪く言えば、注意散漫だが、素直で無邪気なのが、基本のようだ。

娘を太陽とすれば、息子は月のような印象として見ている。


こうまで正反対な姉弟二人ではあるが、喧嘩しながらも、
すこぶる仲が良い。
お互いの性格をよく理解していて、弟も、越えてはいけない限度と
いうものを、わかっているようだ。

その上で、偉そうにものを言う弟が可愛いようで、喧嘩しても、
結局、甘え上手な弟に姉が絆されるというパターンが多い。

二人を見ていると、姉弟とはいいながら、まるで、その関係が
夫婦のように思えるときがある。
性格も、興味も、何もかもが正反対のように見える二人が、
互いに補い合って、楽しく過ごしているというのは、なんだか、
理想の夫婦像の様で面白い。

性格の不一致、価値観の相違という理由で、離婚する夫婦も少なく
ないのだが、むしろ、一致しない、相違するという事で、自分の
パターン以外の経験が出来るわけで、互いに合わせたり、合わせて
貰ったりという事をしていけば、2倍楽しい事になる。

違いというものは、それを認識すれば、世界が広がるという事
でもあるのだ。
もちろん、そこには、互いに「可愛げ」というものを感じて
いなければ難しい。



映画

2007年06月27日 | ノンジャンル
映画の好きな両親の影響からか、幼い頃より、いろいろと
観ていたが、いつのころからか、映像そのものよりも、
映画音楽に魅せられるようになった。

小学生の頃だったと思うが、何を思ったか、父親が
4スピーカーの本格的なステレオを購入し、映画音楽大全集
といったレコードを購入した。
当時のあらゆるジャンルの映画音楽が網羅されており、
その多彩な音楽を圧倒的なサウンドで楽しむという贅沢な
ことをしていた。

その頃の家庭の経済状況を考えればありえないことなのだが、
父親はご満悦であった。
私が触れる、ほとんどの音楽は映画音楽で、高校生ぐらいに
なってようやく、洋楽などを楽しむようになったが、基本は
やはり、映画音楽なのであった。

LPレコードのジャケットには、名場面とあらすじが載っており、
まだ見てもいない映画の情景を目に浮かべたりもしていた。
そして、とにかく、映画はよく観に行った。
ロードショーなど、とてもではないが、高くて観ることはできず、
3本たての安い映画館をはしごして、食事を抜いてお金を浮かせ、
一日に9本も観たこともあった。

それぞれの映画のストーリーもごちゃ混ぜになってしまうだろう
と思うのだが、さすがに若い頭は、しっかりとそれぞれの映画に
感動を覚えて、記憶に残している。

今も懐かしい映画音楽が流れると、その映画のシーンが即座に
フラッシュバックしてくるが、ここ何年というもの、映画館に
足を運んだことが無い。
どうしても今ではビデオやDVDとなってしまうのだが、
たまには、映画館でゆっくりとその雰囲気も楽しみながら、
映画を観たいものである。

そういえば、子供ができてからは、春休みや夏休みのアニメ
映画を観るのがほとんどで、一人でとか、カミサンと二人で
映画を。。。なんて余裕はまるで無かったように思える。

映画と聞けば、付いて行きたがるであろうが、デートだと
いえば、子供たちも納得する年頃になった。 
今度カミサンを誘って、ゆっくりと観に行ってみようかなと
考えている。


マイナスからゼロへ

2007年06月25日 | ノンジャンル
前回の記事に関連して、考えていた内容と、頂いたコメントの
内容が、符合していた部分があったのだが、
それは、マイナスからゼロへという事である。

飲んでいた頃は明らかにマイナスで、自身ばかりでなく、
家族も周りもマイナスへと引きずり込んでいたのである。

それが、断酒によって回復への道を歩み始め、自身も周りも
回復へと進んでいく事になるのだが、ここで大きなギャップが
出てくる。

自分本位な考え方が抜け切らないうちは、本人はすぐに
回復してきた健康と、体調を、プラスと捉えてしまう。
そして、そのプラスに居る自分という前提で、頑張っている
自分を褒めてくれ、認めてくれとなってしまう。

最も滑稽なのは、人よりも苦労して頑張っている分、人よりも
偉いと勘違いしてしまう事であろう。
人によって差はあるであろうが、少なくとも、断酒何年という
時間を掛けて、ようやくマイナスからゼロに戻った、つまり、
普通の人並みに戻ったというだけなのである。

「偉く」なったのではなく、やっとこさ「まとも」になった
というべきか。

素面で物事に向き合う事を重ねて、まともになってから、
更に自身の向上を目指していくところに、初めてプラス要因が
出てくるだけであって、飲んでいないだけでは、プラスでも
なんでもない。
むしろ、ゼロに近づきつつあるといった段階なのである。

ゼロというのは、もちろんマイナスにもプラスにも繋がる、
フラットな位置であり、驕りはマイナスへ、謙虚はプラスへと
その人を誘う。

考えれば、初期の頃は、例会での聞きっ放しというのが
苦痛であった。
それは違う、おかしいと、反論したい気持ちが強かった
ように思う。
逆に、言いっ放しでは、賛同してくれているのか、反感を
もたれているのかもわからない状況に物足りなさを感じていた。

今は、とにかくも、人の話を、内容に関わらず聞けるように
なってきた。
しっかりと聞いた上で、自分の中で咀嚼し、消化して、
吸収するものは留め、必要ないものはさらっと排泄する事が
できるようになった。
それと共に、言いっ放しということにも、さほど抵抗が
なくなってきたように思える。

これは、明らかに自身の精神面での変化ではあるが、
かといって、ゼロを越えたプラスではあり得ない。
少しずつではあるが、「まとも」に近づいてきただけの
話である。

家族や周りのものが、明らかにプラスとみなされる日々の
生活をしている事を見た上で、初めて、自分がようやくゼロを
越えるところまで来たのかと考える方が間違いなさそうである。



聞くという事

2007年06月23日 | ノンジャンル
この病気の本人は、その酒害のピークの頃の記憶はハッキリ
していない。なにせ、脳自体が麻痺状態であるのに、逐一自分の
してきた事を詳細に記憶しているはずが無い。

断酒して、回復の道を歩み出してから、徐々に思い出す事も
あるだろうがごく一部であろう。

だが、家族や。周りの被害を受けた者は、細かい事まで鮮明に
覚えているものである。
だからこそ、そういう人達の話は、まず素直に聞く事が
肝要である。
いくら否定しようが、自分が覚えていないだけで、事実は事実
なのである。

本人が回復を自覚できるのは、健康面だけであるといっても
過言ではない。断酒生活による、精神面での回復は、他者の
評価を見ない事には、わかりようが無いのである。

この辺を誤解していると、断酒を続けている自分を認めて
もらいたいという事に囚われがちである。
そして、自分が飲まずに頑張っている事の主張が前面に出てくる
事になる。

そうすると、例えば家族が、あの頃は大変だったという様な事を
話した場合、こんなに頑張っているのに、いつまでも古い話をして
という事になる。
そんな事もあったのか、苦労を掛けた、大変だったなと、素直に
聞けるようになるのが、回復という事なのである。
家族も、その回復が見えるから、昔の話も出来るのである。

もう、否認したり、自己憐憫に陥ったり、家族や周りのせいに
したりして、飲んでいた頃と変わらぬ生活をするのは、
やめにしようではないか。

飲まないだけで、飲まない事だけを自負心として、変わらな
い自分を認めないばかりか、人の話も聞けないようであれば、
何年断酒しようが、同じ事である。

飲めば異常者となり、飲まない事で、やっと普通の人と
変わらないというレベルなのだ。
更なる向上、つまり、回復を目指すならば、弁解や自己主張を
する前に、人の話に素直に耳を傾け、それをしっかり消化して、
吸収もしくは排泄するという事を、繰り返していく
ほかは無いのである。


午前様

2007年06月22日 | ノンジャンル
極力、お客さんなどの接待の必要がある場合は、週末に予定を
組んでもらうようにしている。

滅茶苦茶な生活リズムから、断酒後は、まともな規則正しい
生活を大抵は送っている中、平日に接待が入ると、かなり
きついからである。

もちろん、そう都合良くはいかない場合も多いのだが、
なるだけ休み前の週末に持っていこうとはしている。

。。。と、昨日、そろそろ帰ろうかと思っていたところへ、
社長から電話があり、大阪へ来ているとの事。
仕事で東京からわざわざ出張していらしたのに、一人淋しく
大阪の夜を過ごさせるわけにもいかない。夕食と、
夜のお供をする事とした。

馴染みの店では、久し振りという事もあってか、大いに
盛り上がり、気がつけば午前様となっていた。
社長をホテルへ送って、自宅へ戻ったのが夜中の3時近く。
それからお風呂に入って、くつろぐと、もう明け方近くに
なっていた。

2時間ほど仮眠して起き出したが、思ったほど
辛くはなかった。
まあ、あと一日だからといつもの時間に家を出て、仕事に
就いたが、昼食を取って午後からが大変だった。

とにかく目をあけていられないほど眠くて、ガムを噛んだり、
コーヒーを飲んだりして、何とか凌いだ。
もし仕事が暇だったら、確実に居眠りをしていたであろう。

お酒が入っていないから、なんてことは無いのだが、やはり
それなりに疲れは出る。
飲まなくてもこの疲れようなのだから、飲んでいた時は、
相当だったろうと予想できる。
確かに、半休を取ったり、ひどければ休みを取ったり
していた事を思い出した。

今夜は、ぐっすりと眠れそうであり、それがまた、
楽しみでもある。
週末の朝寝坊が、至福のときと感じている自分がおかしいが、
今回は特別幸せな朝寝坊となるであろう。