ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

披露宴

2014年11月26日 | ノンジャンル
連休の日曜日、会社の元部下の披露宴に出席した。

祝い事の宴席というのは数年ぶりだが、もう慣れた
ものである。

乾杯も、形だけにして、香りを嗅いで終わり。
徐々に盛り上がる宴席も、素面で新郎新婦、周りに
目が行き届くので、お祝いとしては、かえって
良いかもしれない。

趣向を凝らした披露宴も、それを十分楽しめる。
ただ、ご親族の方のお酌のご挨拶だけは何とも
困ってしまう。

とりあえず、ビールグラスを置いておいて、少し
お酌を受けることで、その場は済ませられるが、
いつも、一口でも飲めたらなと思ってしまう
瞬間である。

ただ、そこに、一口くらいならという油断はない。
現実的に、その後にずるずるということは
まずあり得ないこともわかっているが、
その一口を飲むか飲まないかは、私の意志である。

そして、その意志を自身のものとしておくには、
飲まないでいるしかない。

おかしな話だが、こういうお祝いの席なのだからと、
一口飲めば、それは自分の意志でありながら、
自分の意志を挫く発端となってしまう。

奈良漬一切れで、再飲酒へのループに戻って
しまった人も少なくない。

何年経とうが、一日断酒というのはそういうこと
なのである。

ともあれ、料理を堪能し、晴れの姿を目に焼き付け、
幸せを分けてもらったような気分で家に帰った。

むしろそのことが、招待をしてくださった方々に
とっても、なお喜ばしい事ではないかと思う。

次の披露宴は、また会社の関係か、あるいは娘という
ことになるかもしれない。

それはそれで大変であろうけれど、楽しみでもある。
少なくとも、2回はしっかりと見届けねばなるまい。





謳歌

2014年11月19日 | ノンジャンル
恵まれた幸せを、皆で喜び、楽しみあうこと。

謳歌という言葉は、私などの世代では、今でいう
チャラい印象が濃かったが、もう現代では
その言葉を聞くことも珍しい。

「青春を謳歌する」という言葉も、とんと目にも
耳にもしない。

恵まれた幸せということで言えば、それを認識しているか、
していないかで話は真逆となる。

幸せというものは目に見えない。だから、その人によって
見えないものを、どう見ていくかにかかっている。

あたりまえのことなど一つもない、実は恵まれて
いるのだと気づくか、あたりまえに慣れて、
足りることを知らずに不満な日々を送るか。

感謝の日々と、愚痴の日々とでは、雲泥の差となる。

苦労や悩みが多くとも、それに対して行動できることに
感謝していけば、道は開ける。
そしてより大きな喜びや幸せを感じられる。

可能性ということで言えば、若い世代のそれは、
より大きなものであろう。

存分に青春の醍醐味を謳歌してもらいたいものである。






飲酒運転

2014年11月06日 | ノンジャンル
飲酒運転の処分や罰則が厳しくなっていく始めは、
12年ほど前のことだったか。

断酒して9年なので、約3年間は運良くというか、
事故も起こさず、検挙もされず済んだことになる。

もう時効だろうが、飲酒運転などは変な自信があって、
何とも思っていなかった。

飲んでいる、少なからず判断力や反射能力が低下して
いることを意識しながら運転していたので、逆に普段より
緊張感があって、大事には至らなかったようである。

飲酒運転の検問も、何度か余裕の笑顔で切り抜けた。
一度だけ、見逃してもらったこともあったが、今なら
絶対無理であろう。

飲酒運転の怖さは、能力の低下に反比例して、気分が
高揚しているため、普段ならしない無理なことを
してしまうことである。

つまり、事故の確率を2倍どころか4倍以上に
上げてしまうことになる。

改訂を重ね、罰則が非常に厳しくなった現在では、
その件数も確実に下がってきているが、現実的に
依存症の人にとってはまるで関係ない事である。

事故などのニュースを見ていても、この運転手は
依存症ではないかと思うことがよくある。
免許を取り上げられても、なお飲んで運転するというのは、
その一例ではないだろうか。

さて、最近では、脱法ハーブなる、薬物と言っていい
ドラッグを吸引して運転し、大きな事故を起こすという
ケースが頻発している。

運転者の状態を見ると、明らかに幻覚、幻聴をきたし、
ひどい場合は癲癇に似た、全身マヒ状態を呈している。
もはや運転どころではない者が滅茶苦茶な運転をする
のだから、これほど恐ろしいことはない。

依存症患者でいえば、極めてひどい離脱症状下で
運転しているようなものである。

それに比べれば、まだ飲酒運転の方が状況としては
ましである。

要するに、かろうじて理性が残っているか、まったく
正体不明で、理性も意識も飛んでしまっているかの
違いで、いずれにしても、運転できる状態ではない。

今、断酒しているからといって、過去を振り返れば
私にどうこう言う資格はない。

ただ、アルコールにせよ、脱法ハーブにせよ、
薬物であることの認識と、薬物を摂取すれば
内面において普段の自身とはまるで別人となって
しまうことを肝に銘じておかねばならない。

依存症は周りを巻き込むが、それが事故となれば
何も関係のない一般の人の命まで巻き込む
ことになる。

それは、自身の一生や命をもってしても、
償いきることは決してできないことを
知るべきなのである。